第100話 時間は存在しない
「寒いな」
汗が冷えてきて身震いした私を見て、秋月くんが手を引いた。彼の身体にすっぽりと覆われるようにして、私達は身を寄せ合った。こうしていると、お互いの体温でかろうじて暖を取れる。
「秋月くん、時間球持ってきてたんだね」
スウェットのポケットから、回収袋の紐が見えた。
「家の廊下で拾ってる時だった。フサ子が突然現れたんだ」
「そっか」
私の身体に回した腕に力が込められた。秋月くんも寒いのだろう。私は湯たんぽ代わりになれるだろうか。
彼の身体の隙間から、素晴らしい星空が見えた。
「ねえ。星が綺麗だよ」
「こんな時に呑気だな」
「八幡ちゃんも、奥多摩にいるんだよね。近くかな?」
「奥多摩って広いんだぞ」
「私達もテレパシーが使えればよかったのにね。そうしたら助けを呼べるのに」
「悠里」
耳元で名前を呼ばれた。低くて、優しい、大好きな声。秋月くんの温もりを感じながら、大好きな声で自分の名を呼ばれる。心臓が一跳ね、ドキリと搖れた。
秋月くんが顔をずらした。吐息が顔にかかって、その生暖かさに安堵と緊張を感じる。それは相反する感情のはずなのに、私にとってどちらも好ましいものだった。
「もしも今、私達が宇宙時間の中にいたら……」
私の声は小さかった。囁き声を出したのは、寒さのせいばかりではない。それだけの声量でも十分すぎるほど、私達の顔が近かったからだった。
「船底に穴が開くタイムリミットなんて、無効だと思わない? だって宇宙には、絶対的な時間なんてないんでしょ?」
そうだ。あれは秋月くんと八幡ちゃんと三人で、科学準備室で時間錠を作っていたある日のことだ。
『宇宙には共通の“現在”は存在しません。地球で今夜見える星の光は、その恒星が何年も昔に発した光なんです。地球で言うところの“現在”のその星の今は、地球から今のボクたちが見ることはできないんですよ』
八幡ちゃんがそんなことを教えてくれた。あの後秋月くんが、アインシュタインの相対性理論がどうのこうのと話していた覚えがある。私には難しい話題だったけれど、『宇宙に共通の現在がない』というフレーズは、妙に印象に残っていた。
「ね、私は宇宙時間を感じて生きてるんだって、ジョージくん言ってたね。だから穴が開くタイムリミットなんて、きっと効かないよ。フサ子さんはあと十分くらいって言ってたけど、それって地球時間の単位だもん」
「そうだな」
にっこり笑おうと思ったのに、顔が引きつった。外気が冷たすぎて、表情筋が凍てついてしまっている。
「悠里」
コツンと、秋月くんが私の額に自分の額を触れ合わせた。いつもならモヒカンに整えられている彼の髪が、さわさわと私の目元を撫でる。テープから解放されたはずの大きな手は、私の身体を包み込んだまま放れない。
「大丈夫。安心しろよ。時間なんて存在しない」
水の冷たさと、夜風の冷たさと、唇から伝わる秋月くんの熱と呼気。
――そうだ、大丈夫
私達に流れているのは、加速されない宇宙のリズムなのだから。
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