第三章
第42話 おもち エイリアン 現金な妹
攪拌棒をかき回す音が、部屋の中を満たしている。カチャリカチャリという、透明なガラスの音。カロカロという、時間球が紫色の液体の中で踊る音。
「ふわぁーあ……」
私は攪拌棒を回す手をとめて、大あくびをした。時間錠作りで生まれる音には、催眠効果があるに違いない。おまけにグルグル回る攪拌棒の動きを目で追っていると……もうこれはトドメである。
ギャンギャン!
夢の世界に足半分をつっこみそうになった私の意識は、廊下から激しく吠える愛犬の声によって、無理やり引っ張り戻されたのだった。
「うっわ。あーびっくりした……」
「悠里。早くそのビーカーに息吹きかけて隠せ」
「あっ、うん」
餅太郎は部屋の外から、急かすようにワンワン鳴いている。私は攪拌棒を外したビーカーに、「ふー」「ふー」と息を吹きかけた。ここで声を出すのがポイントだ。
「また実衣ちゃんですかね?」
作業台代わりのローテーブルに広げた器具をベッド下に隠しながら、八幡ちゃんが言った。
「餅太郎ナイスだな」
「もう実衣ったら。秋月くんのこと一番警戒してたくせに。現金なんだから」
フーフー作業が終了したビーカーもベッドの下に移動し終えた私は、そっと鍵を解錠した。ドアを少しだけ開けると、愛犬が尻尾を振りながら入室してくる。
「餅太郎くん、今日もありがとうございます! 見事な番犬っぷりです!」
餅太郎はベッドに腰を降ろす八幡ちゃんに一目散だ。パタパタと高速で尻尾を振りながら、ペロペロとエイリアンの柔らかな頬を舐め回している。最大限の愛情表現。少し前までの警戒心むき出しの態度が嘘のようだ。すっかりパカパカ星人に懐いている。
「秋月くん来てる?」
餅太郎の入室から程なくして、実衣の声が聞こえてきた。ノックもなしにドアが開かれた。
「勉強教えてっ!」
こちらは秋月くんの隣にまっしぐらである。私をぐいっと押しやって場所を作ると、ちゃっかり私が座っていた座布団に腰を下ろしている。
「ちょっと実衣。秋月くんは今自分の勉強を……」
「勉強道具広げてないじゃん」
「うっ」
「いいでしょ。今日の宿題面倒なんだよ。秋月くんに教えてもらうと、すぐ終わるんだよね。お願いしまーす」
「……どこ教えればいいんだ?」
「えっとね。こことー、あとここと」
妹にさり気なく足蹴にされながら、テーブルから離れた場所まで追いやられてしまった。
「実衣ちゃんも、すっかり一馬くんに懐いてますね」
「……ほんとにね」
仕方なくベッドの上に腰を下ろしながら、八幡ちゃんに小声で相槌を打った。
実衣のやつめ。初めてモヒカン秋月くんと対面した時には、警戒心むき出しだったくせに。彼の教え方の上手さに味をしめ、いつしか都合の良い家庭教師にしてしまった。世渡りの上手い小娘である。
実衣は秋月くんがうちにやってくる日には、必ずどこかで私の部屋に乱入してくる。時間錠作りの最中であることも多いので予期できないと困るのだが、ここで餅太郎が先触れとして良い働きをしてくれるようになったのだ。
部屋には施錠もできるが、毎回必ず鍵をかけて部屋にこもっていては訝しまれるだろう。別にいかがわしいことはしていないが、八幡ちゃんの姿は相変わらず他の家族に見えない。せっかく我が家の家族から信頼を得ている秋月くんの評価を、みすみす下げたくはなかった。
「ありがと! やっぱめっちゃ分かりやすーい! 授業で習った時は全然理解できなかったのに。秋月くん、学校の先生か塾講師になればいいよ。絶対人気講師になれるって」
宿題が終わって上機嫌な実衣は、歌うように言い捨てて去っていった。ルンルンで退室した足音が遠ざかってから、私たちは再びテーブルの上にビーカーを並べる。
「毎度毎度ごめんね、秋月くん」
「別に」
「あ。もう今作ってる分で、全てのストック分の精製が終わりますね」
ぶくぶくとビーカーの中で発泡する時間球を指差しながら、八幡ちゃんが笑った。彼の片手には、すっからかんになった回収袋が握られていた。
「へえ。これで全部かあ。それじゃあまたしばらくは、時間球集めだね」
でもきっとすぐに、この空っぽの回収袋はいっぱいになるのだろう。時間球はいたるところに落ちている。家の中だけでも毎日十個以上見つけられるのだ。
「これ作り終わったら、散歩がてら収集にいくか」
秋月くんが言った。
「そろそろ帰宅ラッシュだろ」
「そうだね。餅太郎もお散歩いこっか」
「良いですね! いきましょう!」
餅太郎が嬉しげに尻尾を振っている。クルクルと私達の周りを落ち着かなげに旋回し始めた。
窓の外では、既に日が沈みかけていた。
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