第9話 吊り橋効果?

 コーティング剤Bをひたひたになるまで注ぎこみ、攪拌棒で掻き混ぜ続ける――その一連の作業を、私はぼんやりと見つめていた。


 確かに目の前で繰り広げられている現実なのに、目に入ってくるもの全てに現実感が薄かった。


――どうして私は、秋月くんとこんなことになってるんだろう?


 高校に入学して二年と少し。一度も会話したこともなければ、彼の方は私の名前すら把握してなかった。そんな関係だった。数十分前まで。


 そんな彼にパンツを見られた挙げ句、二人で“時の結晶”の精製作業なるものを見守っている。パカパカ星人とかいう宇宙人(?)の遺失物を無断で使いながら。


 パカパカ星人って何?

 時の結晶って一体?

 時間球? 時間錠?


 くるくる回る攪拌棒。撹拌されているのは、私の脳みそじゃないはずだ。


 掻き混ぜられる液体は透明なラベンダー色で、コーティング剤Aのラメ状のキラキラと時間球の白い光が混ざり合い、何だかやけに可愛らしく見えた。このまま洒落た小瓶に入れてリボンでもかければ、ファンシーショップに陳列されても不自然ではないだろう。


 そんなファンシーで夢カワイイものを、愛でるような優しい手つきで世話するのが、強面で大柄なモヒカン男とは。


「ふー。ふー。ふー。ふーっ……」


 嘘でしょ。めちゃくちゃソフトに息を吹きかけてる……説明書にとても忠実だ。ちゃんと「ふー」って声出してる。あんな……あんなに深くて優しい声。こんな秋月くんを知ってるの、全校生徒できっと私だけだ。 


 今までのイメージとのギャップが大きすぎて、この感情を処理しきれない。この人は、一体何者? オレンジのモヒカンについて考えすぎて、ゲシュタルト崩壊しそうだ。


 本当に夢みたい。もちろんここでの「夢みたい」って、うっとりした恍惚状態の、良い意味での「夢みたい」とは全然違うからね。




◇◇◇




「とりあえずここまでだ。後は放っておけば一時間後には出来てる」


 秋月くんは、私の顔を覗き込んできた。使い終えた攪拌棒を、水道ですすいできたようだ。


「わあ!」

「返事くらいしろ」

「ご、ごめん」


 考え事をしすぎて、完全に油断していた。やっぱり私は、一度に複数のことをできない。脳内の情報処理も然りなのだ。


「アタマの中を整理してました……」

「そうか。ま、仕方ないな」


 机の上には、二つのビーカーが並んでいる。ラベンダー色の液体に浸され、精製処理を施されたばかりの時間球。しゅわしゅわと発泡している。そしてその隣のビーカー内で、私が拾い集めた時間球がぼんやりと光っていた。


「……秋月くん。説明書に書いてあったことで、気になることがあるの。いや、ほとんど全部気になることには変わりないんだけどね。その中でも、特に気になったことが」

「話してみろよ」


 秋月くんは、とっても良い声をしてる。さっきの「ふー」の時に確信しちゃったけど、私この声どストライクだ。


「私、要領悪いから話が長くなるかも知れないんだけど……」

「急ぐ必要あるのか? 別にゆっくり話せばいいだろ」


 どうしてこの声で、こんな言葉をかけてくれるの? 


 吊橋効果ってやつ?

 不可解な出来事ばかり続いて、理解が追いつかない現象を目の当たりにしすぎて、追い詰められた私の思考回路はイカれたのだろうか。

やばい。やばいよ。


「お前のペースでいい。話したいことを話し終わるまで、ちゃんと聞いてるから」


 秋月くんの声。深くて、低くて、怖そうなのに優しい。

 のろまで要領の悪い私を、はじめから赦すようなこと言って。思わずしなだれかかりたくなるじゃないか。


「今朝初めて、この小石……時間球を触った時なんだけどね……」


 私の唇は、ゆっくりゆっくりと、できるだけ丁寧に言葉を紡ぎ出し始めた。

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