第8話 レッツメイク!

「ゲッホゲホゲホ……」


 八割ほど読み終えたところで、喉がカラカラになった。声がかすれて咳き込んだ私に、秋月くんが水滴のついたペットボトルを差し出してくる。


「飲んでないから安心しろ。さっき買ったばかりだ」

「それは、ええっと」

「やる」

「ありがとう」


 お茶の冷たさが、心地よく喉を通過していく。

 ふう。

 少しだけ、混乱しつつあった頭が落ち着いたかも知れない。少しだけね。冷たい緑茶に感謝だ。


「五〇〇ミリ一気飲みかよ。すげーな」


 また私を見て笑ってる。

ああ、ダメ。その丸いレンズ見てたら、また頭が……ぐるぐるしてきた!

 

「そのグラサンがコレなんでしょ? ここに書いてある、黒メガネってやつ」

「そうだ」

「お子様サイズなんだ……だからそんなにが広がって顔にはまり込んで、こんな珍奇な感じになってるんだ……」

「仕方ねーんだよ。小さいけどつけないと見えないし、不便だ」

「見えないっていうのは、私が拾ってきたコレのことで、コレはココに書いてあるところのソレで……」

「“時間球”な。お前コレとかココとか、さっきからコソアド言葉多すぎじゃねえ?」


 湧き上がってくる疑問が多すぎて、適切な言語表現が追いつかない。だからコソアドを多用してしまうんだ!


――もしかしてこれは、手間暇かけたイタズラだったりする……?


 秋月くんは見た目に反して、実はとってもお茶目で、サプライズ好き男子とか? 

 

 実は動画チャンネルでも持ってて、そのためのドッキリ企画とか?


 オレンジのモヒカンも、強面を強調する厳ついピアスも、そんなユーモラスな素顔とのギャップを狙ってやってるとか?


――……無理があるよね……


 時間が戻ったり、光る小石が突如消滅したことの説明はつかない。そもそも秋月くんは、お茶目なサプライズ好き男子では決してない……動画配信なんてしてるわけないだろう。


「ねえ……ねえ、秋月くん。まず一番分からないことを聞きたいんだけど」

「何だよ」

「パカパカ星人って、何なの?」

「あー」


 説明書の冒頭にさらっと書いてあった、『パカパカ星人』というふざけた名称だ。これが一連の不可解をより一層意味不明にさせる、諸悪の根源に思えてならない。


何、パカパカ星人って。パカパカ? 星人? はあ? 


 秋月くんは頬をポリポリと掻きながら答えた。


「これの持ち主の名前じゃねえの?」

「……ねえ、どうして」


 どうして彼はこんなに落ち着いていて、受け入れ切っているのだろう。私が今読み上げた説明書に書いてあることを、まさか信じているのだろうか。


「混乱してるな」

「そりゃそうでしょうよ」

「まぁ、気持ちは分かる。俺も最初に説明書読んだ時は、ごっこ遊びに使うものとか、そういうのだと思ったから」

「そういうのじゃないって?」


 針のようにピンと張ったオレンジの毛先が、コクリと頷いた。


「色々いじってみたんだよ」


 彼はベージュ地に黒い布紐がついた、大きな巾着袋を取り上げた。説明書にはセットされた道具類のイラストも描いてあった。その巾着袋は、回収袋と説明されていたものだろう。


「あ。この袋、穴あいてんな」


 秋月くんは袋の端をつまんだ。


「お前が拾ってきた時間球、ここからこぼれたんだろうな。だからこの場所まで続いてたんだ」


 小石を落としたヘンゼルは、秋月くんだったのか。


「それ、こぼれた分も全部、秋月くんが集めたの?」


 私の問に、オレンジのモヒカンは頷いた。


「そのグラサン姿で?」

「ああ」


 さぞ怪しい光景だったことだろう。


「職質されたでしょう」

「……人目は気にした。時間球ってな、人がいない場所にも落ちてることあるんだよ」


 彼は空のビーカーの中に、巾着袋の中身を出した。大きなビーカーの三分の一ほどが、光る小石――“時間球”で満たされた。


「これで作ってみるか」

「作ってみるって、時間錠ってやつを……?」

「ああ」


 戸惑っている時の私の顔は、とんでもなく剽軽ひょうきんだと家族は言う。同じようなことを友人にも何度か言われた経験があるので、きっと本当に笑える顔なんだと思う。

 そして今まさに、私はそんな表情になっているに違いない。しかし気にしていられる精神状態ではなかった。それに秋月くんは、私の顔を見ても真剣な表情を崩さなかった。さっきはあんなによく笑っていたのに。


「見てろ。簡単なんだ。途中一時間寝かせなきゃいけないけど、手順はちっとも複雑じゃない」


 長い指が攪拌棒を回し、反対の指がパラパラと輝く粉末をビーカーの中にまぶしかけた。


「素手で触って平気なの? 変な薬品なんじゃないの?」

「大丈夫だ。別にかぶれたりしない。子供が使うものなんだろう? 安全設計はしっかりしてるんじゃないのか」


 カラカラと、ガラスがぶつかり合う透明で高い音が響いた。私の視線の先で、秋月くんの指が軽やかに攪拌棒を回し続けていた。


 真昼の光は眩しいはずだが、カーテンに遮られてしまい、科学準備室の中はとても薄暗い。しかし時間球の光量は、少しずつ上っているようだった。私の視界は、みるみる明瞭になっていくのだ。

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