或る河童の資料(番外編)

 まず数ある読み物の中から、この話を開いてくださった諸君に感謝したい。この話は、当シリーズの主人公の一、ジャックという河童が若かりし頃に手がけた手記の一部である。河童の存在性が、去る産業革命から現代まで継続する、慢性的な科学技術革命に飲み込まれたことで揺らいだ彼らの倫理観を、客観的に見つめなおし、河童本来の在り方を一から考え直す内容が書かれている。


 この手記が執筆された当時は、我々との交流が断絶され早二十年が経とうとしていたころであったと思われるが、交流断絶時日本は、文明開化の最中、生活様式や社会制度に大きな変革が訪れた時期であり、その影響を少なからず受けることとなった河童たちの間でも、価値観の揺らぎにより、河童に共通して認められる意識が散解した。客観的認知能力が著しく低い彼らにとってそれは、河童独自の文明社会の脊髄を抜かれたに等しく、また河童の存在性そのものに関わる非常に重大な社会問題であった。河童としての体裁を保つには、河童の象徴たる存在が必要となり、急遽河童は己たちで、河童の中心たる個体を祀り上げ、国皇として崇め、これが近年崩壊した封建社会の発端となったのである。


 人間と河童、過去の歴史の中で構築された、互いの依存の関係は、人間の意識改革によってことごとく崩れ去り、現在でも河童は自らの存在を確立させるための拠り所となる存在を失った状態にある。断絶当時の状態を再現したかのような現状を打開する手段を、河童自身で再構築しなければならない。


 インターネットに公開するにあたり、河童特有の表現及び当時の文章表現を、現代に見合った表現へ修正する必要があったことを、あらかじめご了承いただきたい。




『存在論』 


 変化せざるを得ない瞬間を逃すことが、我々の得意分野であることは周知の事実であろう。変化を起こすには、その変化を起こすためのエネルギーが必要であり、エネルギーを生み出すには仕事をする必要がある。仕事によって得たエネルギーには損失がつきものであり、変わりたい自分像が明確に皿に載った時、仮にその瞬間を逃さなかったとして、いざ行動すると途中で頓挫してしまうのは、その損失分を見誤ったがために、理想像完成までの道のりを過少に評価してしまうからだ。

 しかし、話した通り、我々は行動を起こすこともままならない生き物だ。もともと人間の文明からあらゆる物事を享受してきた我々に、何かを生み出す力も無ければ、変化を起こす力もない。川の流れに身を任せたまま、その快楽に溺れた河童は、海に出て海坊主となるまで、得意とする平泳ぎをしようとはしない。

 というのも、河童というのは個体性を重視する生き物ではなかった。河童に存在するのは、頭に皿があり、手に水かきがあり、背に甲羅を背負っているといった共有的形姿で表される普遍概念であり、現象を実体化させる人間の変態的想像力を源とした実体無き存在だった。故に存在自体に普遍的概念は存在すれど、個的存在としての認識を有しておらず、河童の行動原理は主に自然現象といった確率的な外的要因にあった。そこに意思の介入がなされたのは、島国が統一国家としての体裁を成してから間もなくのことであり、行動原理の言語化がなされるようになったことで、河童は集団的な自我を持つようになった。

 しかしながら、この河童の性質上、河童は個々としての存在が非常に不確かであり、河童の文明社会において、個的存在として己を確立させることが困難であった。故に、河童一個体としての意思思想は抑圧される傾向にあるため、河童が三匹集まろうと知的生物特有の発展が見られないのは至極当然であり、そのことに関して我々が負うべき責任があるなど馬鹿げている。

 我々が我々のみで発展していくには、この河童についての一般認識を一度覆す必要があり、それには、河童が意思を持つようになったのは何故なのか、それから、河童の個的存在の何たるかを求める必要があるのではなかろうか。


 国皇による専制の終焉を告げる革命の火蓋が下ろされたのは、私がまだ学生の頃であった。私の当時の国皇の認識を、まず読者の諸君と共有しておきたい。我らが国皇は河童の象徴たる存在であると同時、その存在は世界の絶対的事実として存在性は疑りようがなかった。が、しかし、その絶対的存在の起源について考える者はおらず、宇宙が存在するように、国皇の存在もまた、さも端からこの世界に存在していたかのように河童の世界に君臨し、そして当然のように絶対的権力を握り、この事実をさも当然のように我々は受け入れていた。この覆りようのないイデオロギーが、精神的物理法則に反して僅か数日足らずで覆るに至る経緯には、それ相応の原因となる事象があるはずであり、我々現代の河童の本質を探るにあたり、まずはそれを明らかにすることが何事よりも先んずるべきこととみる。

 やはり河童は共有認識によって結合された結晶である。共有認識とは、民族意識や集団意識とはまた違った、我々の意識の根底で働く嗅覚によって本能的に嗅ぎ分けることができるほど単純な構造の、河童各々が互いに寸分の狂いもなく完全に理解が一致した代物であり、これが河童の普遍概念を支える部分である。これこそ河童の本質であり、人間がそれを意識的に認識することで、我々の存在性が担保されてきた。河童の結晶は、結晶を構成する分子となる河童の一個体々が、それぞれに与えられた業務に忠実に、機械的に動くことで、結晶そのものがひとつの有機体であるかのような振る舞いを見せていたが、その振る舞い自体に論的理由が存在するわけでもなく、ただ自然の偶発的な現象に起因するものであり、人間とも深く関わってきた河童の性質上、河童の働きは人間の社会にも直接、また間接的に働いていた。よってその事実は、河童は古来より、生態系において人間社会と自然の間を取り持つ役割の一端を担ってきたことを意味し、この効果は、我々にその記憶が無くとも、寺社に納められている古い書物や伝承などから確認できる。

 機械的な河童結晶の立ち振る舞いに意思が混入したのは、人間が自然に直接働きかける機会が与えられたからであると私は推測する。技術発展により、人間が自然環境に手を加えられるようになったことによって、自然が我々に働きかける現象にも人間の意思が含有され、自然現象が河童を通して人間社会へと働きかける過程の中で、河童の結晶が人間社会の意思を吸収した。人間の意思を吸収した河童結晶は、人間の行動原理をよく理解し、やがて理論的な存在へと昇華した。

 もし仮にそれが本当であるとして、人間社会の意思とは何なのか。

 例えばそうだ、人間の社会と蟻などの昆虫が築く社会とを見比べてみるとしよう。人間の社会は蟻の社会とは違って、統率力が無く、行動に合理性が無い。一見すると彼ら人間の社会は、まるで目的を有していないかのような振る舞いを見せている。何度か人間の世界に訪れたことがある。死んだ祖父の袖を握り、帝都に繰り出した私がまず始め目にしたものは、帝都を貫く大通りをひっきりなしに行き交う自動車の列と、その間を躊躇せず縫うようにして通り抜ける人間たちの姿であった。摩天楼の如く聳えるビルには多くの人間が出入りしていた。昆虫が築く社会には、生物の生存本能に依存した種の存続という大義名分があり、その目的に合わせて各個体が与えられた役割を忠実にこなす。彼らの行動には一個体としての意思は存在しない。対して人間の社会は、各個人がそれぞれ目的をもって行動し、それぞれの目的に見合った援助を社会全体で行うといった、反自然的な機能を持つ。社会の意思は個人の意思の集合によって形成されるため、各々が持つ能力に関わらず一人一人に平等な生存権が与えられる。

 この人間社会の反自然的な立ち振る舞いには、自然の働きを人間社会の機能の一部にしてしまう危険性があり、それが我々が人間と断交を図る決定打となったわけだが、人間社会が自然から脱してしまったのには理由があるはずである。私はこれを、人間社会の意思とやらを、人間自身が把握していなかったために生じた悲劇であると言えるのではないか。人間の社会が何かしらの意思を持つことを把握していれば、人間は自然の循環から逸脱するなどといった愚かな行為には走らなかっただろう。人間は人間社会が持つ意思の存在に気が付かず、無闇な修正を重ねた結果、自然的視点から見て非常に歪な形に仕上がり、自然の枠から外れてしまった。と考えることはできないだろうか。


 先ほど河童は人間社会の意思を吸収したがために理論的な存在に昇華したといったばかりではないか。その意思とやらを人間自体が把握していないとは何事か。確かにその通りである。人間社会の意思を人間自体が把握していないのであれば、意志の存在を確認できる者はこの世にいない、よって私の仮説を確かめる術はない。これまでつらつら並べてきた戯言もここまでである。そうなってしまっては誠に残念でならないので、戯言の延長だと思って、気楽に聞いていただきたい。


 人間社会の成り立ちは、人間同士で交わされた契約が起源であると太古の人間思想家たちが提唱した。各個人の行動は自由意志をもとに、自身の欲求を満たすことを目的としており、行動する上で利害が一致した者と協力の関係を結ぶ、即ち契約する。この契約こそが社会の起源であり、この全会一致の意思の下構成された集合体は各個人の行動を保障するものとして働く。この説によれば、社会の意思とは言わば、社会を構成する人間たち個々の意思の集積である。社会がうまく機能すれば、社会の意思は個々の利益に還元されるが、人間という種全体の利益を追求する機能は持ち合わせない。人間は、高い社会性を有する生き物でありながら、根は一匹カワウソそのものである。よって社会の意思の存在を認識するのは、その社会に暮らす人間たちにとっては困難であり、彼らが社会の意思を形成し、社会の意思の下で動かされているなどという実感は限りなく薄いものであるに違いない。

 人間は自由意志をもとに行動をすると言ったが、河童は自由意志など持ち合わせていなかった。先も話した通り、河童は生物でありながら行動は自然現象によって支配され、存在するのは意思を持たない純粋な法則であった。それがどうしてか己の意思で行動するようになってしまったことで人間臭くなってしまったわけだから、姿形違わぬ我々と人間との間にはどのような性質上の違いがあるのか、不明瞭になってしまったわけだ。時代ごとに両者の適正距離は様々に変化し明確な違いを示してきたが、両者はとうとう完全に断絶した。空間的に距離を取ろう言ったって、我々は人間との心理的距離感までをも引き離すつもりはさらさらなかった。それまでまさか、我々の最大の問題点が我々の存在自体にあるなどとは、誰一匹考えなかったのだ。今の我々が何者で、ではそもそも河童とは何なのか、そのような問題は、本来政治と結びつけるべきではなかった。だがしかし、今の我々には頼るものがない。やれ仏教だの、やれ基督教だの、その世の中の不条理を宗教の神に頼ろうにも、人間の存在はあまりに大きく、己の目で見たこともない不確かな存在への抵抗感はぬぐい切れない。



削除


 我々にとって宗教に代わるものは何か。河童であることだ。そう信ずること。我々は我々が河童であることを、我々自身で認めるのだ。河童であることを明確に示す律令を出すのだ。我々が自身が河童であることを自他に向けて豪語できるようになることだ。人間は、人間それ自体の存在理由を疑りはしたが、彼らが人間であることそれ自体を否定しようとはしなかった。我々は我々が河童であるとする意識までもが揺らごうとしている。結論が先に出ているのだ。我々が河童であると。もっと物事を帰納的に考えるべきだ。いつ人間が否定した。いつ我々が否定した。彼らには生物学的な違いが無くとも、己が人間であることを疑わなかった。国家の存在を信じていた。いつ崩れ去るかもわからぬ民族の枠組みに、彼らは自分から収まりに行った。まったく彼らは切支丹である。我々は何も信じない。己で信じようとはしない。信じて決めつけようとはしない。だから政治ができない。文明が進まない。今我々は、我々自身で、我々を認めなくてはならない。

 しかし現代の河童の堕落ぶりは正直見ていて悪寒がする。やれ人間の民主主義を取り入れ民の意見を尊重するなどとほざいて、いざ蓋を開ければ意思決定機能を放棄しただけの中央政権ではないか。新自由主義者の妄言は自由に不慣れな民を誘惑し、河童の持つ古来よりの精神とかいうありもしない幻想に取りつかれた保守は団結し、埃のようにあらゆる憎悪を絡めとりながら巨大化してゆく。民は己たちの道標となる新たな支配者を望んでいるが、そんな支配者が現れたところで単なる処方箋に過ぎない。我々は再び思考を放棄し、自由への免疫を失ってゆく。

 河童は思考を放棄した代わりに、自然界において自由を獲得した生き物だ。先祖は自分を殺し、他者を殺し、分子の形作る事物の形状のみに固執し、その他一切を排除し、無秩序な世界を生きてきた。現代の我々は、事物を認識し、枠で囲んで分節化し、思考を手に入れた。生物的に賢くなっただけ、チャクラが閉鎖され、心身が悪意に絆され、正常な精神を保てなくなっている。ただそれだけの事であり、我々は何も変わりはしない。もう一度言おう、我々は何かを変えることも、その為に行動することもままならない生き物なのだ。


[検閲 済 ] 





 親本:或る河童の手記 ©外交省

 入力:特別保護住民 にわかの底力

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或る河童の詫びと錆び にわかの底力 @niwaka_suikin

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