第12話『果てなき呪縛』

 隆信の叫び声がなくなると、不気味な静寂が辺りに漂う。カチカチと一定のリズムを刻む時計の針の音が耳障りに思うほどだった。


「梨花? あなた?」


 名を呼ぶも、何も返ってはこない。

 すると、静けさの中で足音が響く。


 驚いたあまり、胸に抱き締めていたお札がはらりと床へ落ちる。体を突き破るような心音を聞きながら目を凝らすと、ゆっくりこちらへ歩いてくる梨花の姿が映し出された。


 娘の姿に安堵し、美由紀は噴き出した額の汗を拭う。


「梨花、大丈夫? ねぇ、お父さんはどうしたの? 何があったの?」


 だが、様子がおかしい。俯き、何も言葉を発しない娘に美由紀はゆっくりと近付いた。間近に来て、何故か梨花の服が泥まみれになっていることに気付く。差し出した手が強張り、震え出す唇でなんとか声を発した。


「梨花……?」


 もう一度呼び掛けた途端、物凄い目付きをした娘の顔が自分へと向けられる。怒りを宿し、剥き出すように見開かれた瞳。これは娘じゃないと察した矢先、子供とは思えない力で首を絞めつけられる。小さな指先がギリギリと食い込み、巻いていた包帯に血が滲み渡った。


「あっぐぁっ……っ」


 息が吸えなくなった苦しさから娘の手を引き離そうとするが、どんなに力を入れても張り付いたように離れない。


「死ねっ!!」


 吐き出すように発せられる怒りと憎しみ。娘の声なのに、中に居るのは紛れもない千佳子だと確信した。抵抗しようにも、酸欠状態からか手に力が入らない。


「梨花っ!! やめろっ!!」


 突如届いた隆信の声に目を見開く。首を絞め続けていた梨花に体当たりをし、一瞬にしてわたしから引き離した。ようやく酸素を取り込み、激しく咳き込む。視界はぼやけ、眩暈のようにぐるぐると円を描く中で、必死に目を泳がせた。そして、やっと瞳に映ったのは暴れまわる梨花を押さえ込む夫の姿。隆信の額からは幾度となく血が滴り落ちていた。


「あなたっ!!」


 駆け寄ろうとしたが、金縛りのように体が動かない。梨花が嫌な笑みを浮かべるのが分かった。


 震えるような寒気が背中を走り抜けた。


「あなた、離れて!」


 制止の言葉が届く前に、隆信が急に苦しみだし、床へと崩れ倒れる。


「がっあ、あ……」


「やめてっ! 千佳子っ!!」


その言葉虚しく、夫の口から次々と土が溢れ出し、白目を剥き出したまま、苦しみ藻掻く残酷な光景に美由紀は絶叫した。


「いやぁああああああっ!!!!」


 ピクピクと体を痙攣させながら息絶えていく夫と、それを嬉しそうに眺めながら笑い出す娘。



 美由紀はショックのあまり意識を飛ばした。






 どれくらいの時間がたったのだろう。


 耐え難い息苦しさに、眠っていた思考回路が一気に呼び覚まされた。


 目の前には娘の姿ではない、千佳子が映り込む。声を発しようにも、喉の奥から込み上げてきた土が呼吸することを許さない。上に股がった千佳子を退かそうと体を激しく捩らせても、びくともしなかった。また喉を引っ掻き酸素を必死に求め苦しむわたしに、千佳子は満足そうな笑顔を見せる。


 だが、瞬時に怒りが沸き上がったような顔へと変貌した。


「憎い……憎いっ」


 まだ足りないと、復讐しても恨みは消えないと、そう訴えるように呟く。心音が徐々に弱まり、霞む視界の中で、美由紀は最後に夫と娘に目線を移した。


 浅くなっていく呼吸に顔を歪めながら、動かなくなったふたりに手を伸ばす。しかし、その手は誰にも触れることなく床へと落ちていった。




 復讐が果たされて尚、悍ましく根付いた怨みは消えることはない。




  ◇◇◇  ◇◇◇



 朝日が昇って間もない人気の少ない田んぼ道。紫の風呂敷に頬擦りする白髪の老婆が、今にも倒れてしまいそうな足取りでゆっくりと歩く。足は変形し、とてもひとりで歩ける状態には見受けられない。本来なら、彼女は病院で車椅子生活を送っていた筈だった。


 だが、老婆はある声を聞いた時から自らの力で車椅子から立ち上がり、病院を抜け出した。設備のしっかりした病院だったにも関わらず、自分が近付けばドアのロックもすんなり解除される。その現象を怖がることなく老婆は受け入れた。


 寧ろ、その現象を喜ばしく思っている。

 何故なら、彼女に聞こえる声は自分がずっと探し続けていた人物だったからだ。


「千佳子、復讐は出来たのかい?」


 白濁の目を見開きながら、老婆は風呂敷を愛しげに撫でる。“まだよ、母さん”という声が老婆の耳に届いた。自分を支える泥にまみれた白い手をなんの違和感もなく擦り、何度も頷く。


「そうかいそうかい……分かったよ」


 老婆は頷きながら隣に目を向ける。

 そして、嬉しそうな顔で微笑んだ。



 だが、実際そこには誰もいない。



 声なき声を聞きながら、老婆は風呂敷からはみ出した骨壺にまた頬擦りする。


「母さんは千佳子のためなら何だってするからねぇ」


 視力も残らない老婆の目に、ニタリと笑う千佳子がハッキリと映し出された。





 増幅した怨念はまた形を変え、新たな恐怖となって次はあなたに降り掛かるのかもしれない。




                                          【完】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【夢、実現いたします】 石田あやね @ayaneishida

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ