第11話『束の間の平穏』

 自宅のドアを開けるなり、先に帰っていた梨花が笑顔で出迎える。


「お母さん、お父さんっ! おかえりなさいっ!!」


「ただいまっ」


 抱きついてきた梨花の頭を優しく撫で、美由紀の顔も自然と笑顔になった。


「もう大丈夫?」


 少し不安気に見上げた梨花に、隆信も満面の笑顔で答える。


「大丈夫だ! もう怖い事は起きないからなっ」


「本当に?」


「ああっ……なぁ、美由紀っ」


「うん」


 娘がまた怯えないように、ふたりは懸命に笑顔をつくった。


「なぁ、梨花……明日は学校もお休みの日だし、今日は夜にお出掛けしないか?」


「お出掛け?」


「ああ、ほら……ちょっと色々あったから、神様にお祈りしに行こうと思って」


「怖い事がまた起きないように、神様にお願いしに行くの?」


 梨花の問い掛けに、隆信は深く頷く。


「行きたい! 梨花もお母さんのこと、お祈りしたい」


「梨花……」


 娘の素直な優しさに、目尻が熱くなった。


「よしっ、なら……夕飯は外で食べるか! 梨花は何が食べたい? こうなったら、どっかで素泊まりでもいいなっ」


「えっ? 今から泊まりで?」


「いいだろう! 混んでる時期でもないんだし」


 お泊まりと言う隆信の提案を聞き、ますます梨花は真剣に悩み出す。


「梨花、悩む前に支度しなさい。おしゃれして行かなくちゃ」


「分かった! 直ぐに着替えてくる!」


 梨花は大慌てで走り出し、自室へと向かっていった。


「俺はお祓いしてくれる神社を探すから……支度してくれるか?」


「ありがとう」


「そんな顔するなっ」


 隆信が励ますように肩を叩く。


「もしかしたら箱が壊されて、も消えて……呪いも無効ってことだって有り得るだろ? とりあえずお祓いもするんだ。いい方向へ進んでると思おうっ」


「そうね……分かった」


 美由紀は肩に置かれた隆信の手に自分の手を重ね、微笑み頷いた。





  ◇◇◇  ◇◇◇




 家族揃って少し高級なレストランで食事をし、隆信が調べたお寺へ行ってお祓いを受ける。最後にしっかり魔除けのお札も貰い、そのまま近くの旅館へとやって来た。


 温泉にも入り、はしゃぎ疲れた梨花は幸せそうな寝顔を浮かべて眠りにつく。その姿をふたりは微笑ましく眺めた。


「わたし、明日無事だったら……もう一度、警察に行ってくるわ。相手にされなくても、人をひとり殺めた事は変わらない……だから、千佳子のためにしっかり罪を償いたいの」


「きっと大丈夫だ。お札も貰ったんだ……お前は無事に明日も梨花と笑って過ごせる」


 そう笑顔で言ってくれた隆信。


「もし罪を償わなきゃいけなくなっても、俺と梨花はお前が戻ってくるのを待つから」


 優しい言葉に嬉しさが込み上げた。


 なのに、心の隅で未だに疼くざわめき。あの白髪の老婆がどうしても気になっていた。


「俺も少し休むな……お前も寝ろ」


「うん」


「何かあったら直ぐに起こしていいから」


「ありがとう」


 梨花を挟むように敷かれた布団のひとつに、隆信は眠い目を擦りながら横になる。そして、余程疲れていたのか、あっという間に寝息が聞こえてきた。


 美由紀も部屋の明かりを消し、布団に潜り込む。暗がりに浮かぶ天井を眺めながら、まだ頭にこびりついて離れない老婆を思い浮かべる。


 自分のことを睨んだあの目は憎悪に染まっていた。


「あれは……誰?」


 一度も面識のない老婆が何故わたしを憎むような目で睨んだのか。千佳子を掘り出したのがあの老婆であるとしたら、一体なんの目的があったのだろう。


 しかし、いくら考えても答えは出ず、美由紀は諦めたように瞼を閉じた。



 きっと、うまくいく。

 隆信の言葉を信じて、美由紀は深い眠りの中へと落ちていった。





 夜中三時を回った頃。


 梨花がうっすらと目を覚ます。無言で起き上がると、寝惚けながらトイレへと向かった。


 用を済ませ、洗面台で手を洗っていると鏡越しに映る影に気づく。


「お母さん?」


 しかし、返答はない。梨花は言い知れぬ恐怖に怯え、後ろを見ずに叫び声を上げた。


「お母さんっ!!」


 叫んだ直後に、誰かの手が梨花の肩を掴む。ギリギリと食い込むような力で掴まれ、身体は強張り、ガタガタと震え出す。決して、自分の求めている手ではないと察した。


 そして、見てしまう。


 鏡越しで笑う千佳子の姿を……


「ぃやぁあああああっ!!!!」


 美由紀たちが寝ている部屋にまで大きく轟いた悲鳴に、慌てて起き上がる。


「なんだっ!?」


「梨花がいないっ」


 自分たちの間で眠っていた筈の梨花の姿がない。隆信はそっと立ち上がった。


「お前はそこに居ろ……俺が見てくるから」


 部屋を出て、お風呂場のある方へ向かった隆信を美由紀は不安そうに見つめる。枕元に置いておいたお札が目に入った。何かに縋り付きたい衝動から、焦るようにお札を手に取り、胸へと押し当てる。


 波打つ鼓動が、静寂が続く毎に早さを増す。


「なんだ、居るじゃないかっ」


 微かに隆信がそう言ったのが聞こえてきた。

 良かったと安堵しかけた時だった。


「ぅあああああっ!!」


 隆信の苦しむような叫び声。

 何かが床に倒れるような物音。


 何が起きたのか状況がつかめず、美由紀はただ廊下の方を凝視することしか出来なかった。

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