第11話 航帝の宣告


 シア航国こうこくには領土がない。


 無数の艦艇が彼らの祖国であり、その航行範囲すべてが、勢力圏である。

 そして、母艦隊ぼかんたいと呼ばれる、航帝こうていゼルヘム・リジアスノウ・シアが搭乗する巨大軍船を中心とした百隻からの船団が、彼らのいわば、首都といえた。


 その動く首都が、いま、すぐ目の前まで迫っている。艦橋、操舵室に立つオリアスたちには、月明かりのもと、相手の甲板で働く船員の数すら数えられる。

 うっすら水平線に紅が乗りはじめている。夜明けが、近い。


 オリアスとリッキンは並んで腕を組み、禍々しく揺れる黒い船影を眺めている。


 「来ちまいましたね」

 「ああ」

 「さっき、照明信号で言ってきました。母艦に出頭せよ、だそうです。戦線離脱の罪も言われるなあ」

 「それはおまえが勝手に船、動かしたからだろ」

 「なに言ってんすか、親方が約束の三日たっても帰ってこなかったからっす。一緒に怒られてくださいよ」

 「わかってるよ」


 と、艦橋の後ろの、鉄の扉が重い音をたてて開いた。振り返ったリッキンが、ひゅう、と口笛を鳴らした。


 「おっ、ウィスタちゃん、イケてる」


 白い巫女の装束に身を包んだウィスタが、女性の航海士に伴われて入ってきた。


 この船はウィスタが慣れ親しんだ漁船などとは比べ物にならない規模だったが、船護ふなもりの巫女が乗船していなくても、稼働することが可能だった。シア航国がその機動力を生かして世界中から集めた、質の高い霊珠れいじゅがあるためだった。

 それでも航続距離などに応じて巫女が乗船することもあり、装束もひととおり揃えてあるらしい。それを、ウィスタは借用した。


 船には風呂もあった。ウィスタは断ったが、オリアスに指示されたということで、船の女たちが彼女を浴槽へ放り込んだ。上がれば囲んで拭き上げ、髪を乾かし、あまつさえ薄化粧まで加えた。みな、珍客を面白がっているようだった。

 

 ただ、この船に置いてあった巫女の装束は、神殿の巫女のそれだった。もちろん本物ではなく、似せて作ったものであり、加えてウィスタにとっては派手と思われる装飾も加えられていた。

 ウィスタはそれを気にして、浮かない顔で裾を摘んでみせた。


 「……これ、神殿の巫女のに似せてますよね、絶対怒られる、神殿に……」

 「いいよいいよ、似合ってるよ」


 リッキンが親指をたててみせた。


 「これからウィスタちゃん、星の巫女になるんだからさ。ばっちり決めてもらわなきゃ! もちょっと、派手でもいいくらいだよ」

 「……どうやって、わたしが星の巫女だって証明するんですか」

 「証明なんて要らない。君は堂々としていればいい」


 オリアスがくちを挟んだ。


 「親父……航帝にも、頭を下げなくていい。できるだけつんと、澄ました表情がいい。なにか力を示せって言われたら、怒って見せてくれ。俺が説明する。巫女さまは、国にお戻りにならないとちからを示さないと、そうおっしゃってる、って」

 「それでも、疑われたら……?」

 「そうだな……紋章、みせるしかないかな。星と波、の。あるんだろ」

 「なっ……!」


 ウィスタは胸元を押さえてオリアスを睨んだ。オリアスは、いやいや、というように手を振った。


 「万が一の話だ。そうならないように俺が話をもっていく。いずれにしても、もう手はない」

 「親方、もうすぐ接触します」

 

 やりとりをリッキンの声が遮った。ふたりとも窓の外を見る。

 母艦、とオリアスはさきほど、ウィスタに説明していた。巨大な軍船だと。理屈ではわかっていたが、その威容は、ウィスタを圧倒した。息を呑んだ。見上げるような艦橋。威圧するように並べられた砲台。いま船首がこちらに向いているが、船尾は、霧で霞んで見えた。そういう規模の船であった。


 互いの巧みな操船技術により、両艦は、手の届くような距離で静止した。

 相互に係留索がなげられ、繋がれる。

 母艦の艦橋の下部から板が貼られた長い梯子が降ろされ、こちらの艦橋に接続された。簡易の吊り橋となる。シア航国の船どうしは、平常、こうしてひとと物の行き来をおこなうのである。


 オリアスは、風呂にこそ入っていないが、髪をあらためて整え、艦長の制服である黒の詰め襟の外套を羽織り、息を吸って、吐いた。踵を返して歩き出す。

 ウィスタもリッキンに促され、あとについた。

 リッキンも同行すると主張したが、オリアスは、船に待機して不測の事態に備えるよう指示した。


 吊り橋は海面から背丈の十倍以上あり、大きい船に慣れないウィスタの足は、震えた。

 母艦の甲板にあがる。

 乗組員の服装はオリアスたちのものと同じだった。黒の詰襟。何人かと簡単な会話をして、オリアスは歩き出した。ウィスタも従う。艦橋に入る。


 ウィスタが知るもっとも美しい内装は、ルオの神殿のものである。ただ、神殿であるがゆえに、精緻ではあるが豪奢ではない。そしていま、シア航国母艦のしつらえ、装飾、居並ぶ者たちの装いは、豪奢以外のことばで表現することが困難だった。

 艦艇であるのに、足を進めた先の通路には赤い絨毯が敷き詰められている。壁には絵画。上品な布仕切りが、部屋ごとの入り口に下げられていた。


 やがて、木製の重厚な扉が見えた。

 前をゆくオリアスの横についていた二人の乗員が、それを左右に開いた。

 ふお、と風が吹く。

 正面は半円形の巨大な窓だった。オリアスの船も見える。

 窓の前、中央が一段高くなっており、そこに、王座が据えられていた。艦長席であろう。が、ウィスタには、絵本で読んだことのある王の椅子としか、表現できなかった。


 「……オリアス。余計なことをしてくれたな」


 王座の人物がくちを開いた。

 後ろに流した紺の長髪には白いものが混じっている。眉も同じであり、いま、その間に刻まれた皺を深くして、神経質そうに椅子の肘置きを指で叩いている。

 シア航国、航帝。ゼルヘムだった。

 細身で面長。あまりオリアスと似ていないと、ウィスタは感じた。


 オリアスは片膝を折り、礼をとった。

 ウィスタは事前の打ち合わせどおり、つんと澄まして立ったまま、裾も摘まない。ゼルヘムの左右に並ぶ数人の重臣らしき人物が、顔を見合わせて彼女を指差す。ウィスタの脇に大量の汗が流れていることは、彼女自身にしかわからない。


 「航帝陛下。勝手な行動をとり、申し訳ございません。ですが、無血にて開国が成れば、陛下の誉まれとも謳われましょう。可能性が残るうちは、そこに賭けたく」


 たん、と、肘置きが叩かれたから、オリアスはくちをつぐんだ。


 「無論、よい。無血開国が成るのであればな。それで、どうだ。成ったのか」

 「……いいえ」

 「主教に会うことはできたのか」

 「……いいえ」

 「話にならんな」


 ゼルヘムは息を吐き、背もたれに背を預けた。腹の上で指を組む。オリアスは伏せていた顔を上げ、声を張った。


 「お待ちください。ひとつ、成果がございます」

 「……なんだ」

 「星の巫女。伝説の、はじまりの巫女のちからを受け継ぐ、巫女にございます。聖ルオ国の神殿へ潜入した際に邂逅いたしました。主教への面会は叶いませんでしたが、その巫女を我が国へ、お招きいたしました」


 そういい、ウィスタに振り返る。ウィスタは変わらず、澄ましている。顔に汗をかかずに済んでいるのはひとつの奇跡であった。


 「……星の、巫女……? そんなものが実在するのか」

 「は。わたくしは確かに、そのちからを確認いたしました。凄まじいものです。神殿を揺るがし、ひとつの湾を沸き立たせ、海に道をつくるのです」

 「……ほお」

 「ただ、巫女はずっとこの調子で、くちもきいてくださいません。おちからも自分の国に帰らなければ示さないと……」

 「ちょうどよい」


 ゼルヘムがそういい、立ち上がった。オリアスは顔を上げ、向き直った。周囲のものも一斉に姿勢をただす。ゼルヘムは右手を軽く差し上げ、オリアスを指した。


 「第七艦隊司令、オリアス・アールツェブルゲン・シア」

 「……は」

 「死罪を申しつける」


 オリアスは目を剥き、くちを開いた。が、声を出す前に航帝が被せた。


 「海上国家連合の決定に背き、独断で行動したこと。艦隊を我が命に反して動かしたこと。貴様の失敗により、ルオはすでに警戒を敷いていよう。その責めは重い。貴様も我が国の士官なら、そして我が子なら、いさぎよう、士気高揚のにえとなってみせよ」

 「……」

 「が、星の巫女とやらが本物であれば、交渉の重要な材料となろう。となれば貴様の手柄でもある。だから、機会を与えよう」


 そういい、薄く開いた冷たい瞳をウィスタのほうへ向けた。その視線を受け止めきれず、わずかにウィスタは目を逸らした。そのことを航帝は見てとっている。


 「……星の巫女、どの。これよりその、不肖の息子を海へ沈める。動けぬよう縛り、重しをつけて、だ。救ってみせてくれ。できたなら、息子は助ける。そして礼を以って、我が国は巫女どのをルオへお送りする。だが、できなければ……」


 わずかに、間を置いた。自らの子の死を語っているのに、どこか愉しんでいるように、ウィスタには感じられた。


 「第七艦隊は廃棄。全乗組員を死罪とする。あなたも、だ」



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