第12話 割れた茶碗


 美しい透かし紋様がはいった、陶磁器の茶碗である。

 極めて高価であろうことは、見識のない者の目にも明らかだ。


 それでもいま、床に叩きつけられ、粉々になった破片になんらかの値段がつくかといえば、もちろんそういうことはない。

 叩きつけられたのは茶碗だけではない。筆記具も書類も、あるいは贅沢な煙管入れも、すべてその手によって卓から払い落とされた。

 茶碗に満たされていたのは、琥珀色の液体ではあったが、茶ではない。

 目が血走っているのは、その強い蒸留酒によるものか、あるいは興奮によるものか。客観的に判定することは困難だった。


 床は凄惨な状況である。

 それは、その者のこころのありようを、正確に複写したものともいえた。


 なぜだ。

 どうして、こうなる。

 長い時間をかけて準備した。

 慎重に、周到に、ことを運んだ。

 なのに、なぜ、いま。


 水霊すいれいの加護。

 海の……そして、星の、意思。


 星海ほしうみの、聖女。

 

 浮かんできた言葉を、自ら首を振って否定する。

 鼻で笑った。くだらない。

 もしそうなら、どうして、はじめから……。


 ウィスタ。

 ウィストアギネス・アスタレビオ。

 先ほどから脳裏を巡っているのはその名前。


 なぜ、どうしていま、あちらにいる。

 なぜ、シア航国こうこくに合流している。

 人質か。自らの意思か。あるいは、航帝こうてい以外の何者かの指示なのか。

 読めなかった。まったく、筋書きになかった。

 再び、卓を強く叩く。装飾が施された爪で、表面を掻く。不快な音が響く。


 ……まさ、か。

 この神殿内の、もうひとりの人物が脳裏に浮かぶ。

 まさか。こうなることを、あの者は……。


 卓の抽斗を開ける。酒の瓶が出てくる。乱暴につかみ、蓋を開け、そのままあおる。喉が焼ける感触が気持ちを鎮めた。


 ……いつもどおりだ。

 いつも、どおりだ。

 これまでだって密使はすべて、始末してきた。

 今回だって、そうすればいい。

 ただ、初めがうまくいかなかっただけ。それと、少しばかり、巻き込む人数が多いだけのことだ。

 どうということはない。


 どうということはない。

 誰が悲しもうか。

 国が、無くなるのだ。あとに残るものもいない。


 

 

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