第9話 第七艦隊へようこそ
だから、いま、
異能だった。
水を波立て、うねらせ、ちょうど小さな竜巻のように伸ばす。思いのままの方向に移動させ、標的を打つ。
水霊の巫女の枠を超えて、リリアは異能者であった。
リリアが放った水の竜は、ふたたびオリアスに襲いかかった。
左右の手で同時に生成された太い水の渦が、鞭のようにしなり、オリアスを挟撃した。
ひとつは避けたが、もうひとつをまともに喰らった。のけぞるように弾き飛ばされ、壁に身体を打ちつける。悶絶する。
と、ウィスタがオリアスに走り寄り、その前に立った。
苦しげな表情。リリアを上目で見上げ、すぐ、目を逸らした。
「……なにをしてる。おまえは、人質ではなかったのか」
リリアは表情を作らず、そう言った。
「……こ、この者、わが国に仇をなすものではございません、わが国に迫った危機を止めようと、開国をするよう進言しようとして……」
「その男の正体、きいたのか」
「……は、い。シア……」
ウィスタが答えようとしたとき、予告なく、ウィスタの足元の水路の水が沸き起こった。足元に殺到する。ウィスタは目をつぶり、祈りを送った。水の勢いは殺されたが、打ち消すには至らない。ウィスタは足をすくわれ、オリアスの横に転倒した。
床に背を打ちつけ、痛みにもだえる。
「言わぬが、よい」
「……え」
ウィスタが驚いた目を向けると、リリアは、ふふっと笑った。
笑って、くちの中だけで、そうか、と言った。
リリアが大きく振った腕は、通路の左右の水路の水、すべてを呼び起こした。のみならず、おそらく神殿のこの階の水すべてが、この場所に集約されつつあるようだった。
リリアを中心に渦が形成される。高速で回転する。水の粒子がきらめき、空間を満たす。
ものを思うように下に向けられていたリリアの目が見開かれた。ウィスタとオリアスを見据える。攻撃対象の指示だった。
水は轟音とともに、膨大な圧力の塊としてウィスタたちに迫った。一部は先に付近の石壁に衝突し、その構造を揺るがした。炸裂する水流。
ウィスタは、逃れることができない。
仰向けに倒れているオリアスに覆い被さる。
胸と、胸が、接触する。
金属が鋭く叩きつけられるような音。
その音はこの廊下すべてを走り、あるいは神殿全体に響いたかもしれない。
同時に、光。
ウィスタとオリアスの身体の間から、強く蒼い光が、いく筋も放射された。
光は廊下全体になんらかの紋様を刻んだ。その全貌を見てとることは、この場の誰にもできていない。紋様は回転し、意思をもつかのように一点に集約した。
リリアが送った水の壁は光の紋様に切断された。光はそのまま壁を斬り、床を割り、リリアをも襲う。
リリアは右手をあげてなんらかの膜を形成し、跳ね除けた。
切断された廊下の壁が崩れる。床が裂け、大きな石材が崩れ落ちる。天井が軋む。
光が収まると同時に、廊下が崩壊した。ウィスタとオリアスの上に巨大な石材が落ちてくる。が、ウィスタの横から噴き上げた水がそれを支え、横へ逸らした。
ウィスタは、呼ばれたように感じて振り返った。
リリアが後退りながら、ウィスタになにかを言っている。だが崩壊の轟音が、その声をかき消した。
足元が揺れる。ウィスタはオリアスの背に腕をまわした。オリアスはなにも言えず、目を見開いている。
と、二人を囲んで新たな水の壁が形成された。
同時に、床が落ちた。
ふたりも落ちるが、球体となった水の壁に護られるように、ふわりと降りた。
降りた先には、水面があった。
神殿の地下港だった。
構造材が巨大な水飛沫をあげながら落ちる。その水柱に囲まれるように、二人は水の上に立った。
足元も蒼く、光っている。
「……な」
オリアスはウィスタと手を繋ぎながら、足元をみて、上を見上げ、ウィスタの顔に視線をあわせて、くちをぱくぱくと動かした。
ウィスタは、震えていた。我に返り、握っていたオリアスの手を離して胸にあてる。
その瞬間、二人を包んでいた球体の壁が消失した。
「きゃっ」
「わあっ」
水の中に転落したが、ふたりともすぐに泳ぎ出す。
オリアスが先に手近の船に辿り着き、舷側の登り手を掴んだ。
ウィスタのほうへ手を伸ばす。
船上でふたりは、再び、目をみあわせた。
と、地下港の階段の方から、複数の声が響いた。
神官たちが走ってくる。
「……いくぞ」
オリアスはそういい、返事を待たずに操舵室に入った。小さな連絡船で、ウィスタが動かせる規模の船だった。
迷う余裕もなく、彼女は、祈りを送った。
船首の
オリアスの操作で船は滑るように動き出した。
神殿の地下を抜けると、眩しい月明かりが船を照らした。
後方からなにか叫ぶ声が聞こえるが、追っ手はないようだった。
「……おい、あれは……いったい」
しばらく進み、神殿の湾を抜けたころ、オリアスがくちを開いた。
ウィスタは船尾で呆然と座り込んでいる。
自分がしでかしたこと、先ほどの出来事、現在の事態のどれにもあたまが追いついていない。
いま彼女は、強い酒を飲みたいと、ぼうっと考えている。
「おい……」
なんどか話しかけて、オリアスは諦めた。
すぐに前方に、船影が現れた。
黒い船。
が、先日、転覆した船とは規模が異なる。
近づくにつれてその威容が明らかになった。
舷側までは海面から背丈の五倍ほど。
明るい月明かりのもと、その長い船側に、十ばかりの砲門があることも見てとれた。
やがて近接する。相手の側面につける。こちらは減速し、停止した。
と、軍船の舷側から、係留索と登り綱が落とされた。
上に誰かがいるらしい。声も聞こえる。
オリアスは操舵室から出て係留索をとり、船首に繋いだ。登り綱を掴み、ウィスタに声をかける。
「あとから籠を下ろす。それに乗って上がればいい」
ウィスタは呆けた思考で、それでもふるふると首をふり、オリアスから綱を奪い取るようにして、結び目に足をかけた。そのままするすると、登ってゆく。登るべきかの判断も、省略したようだった。
オリアスは眉をあげて、感嘆の表情を作ってみせた。続けて、登る。
甲板にふたり、降り立った。
月明かりの下、艦橋の前に、なんにんかの人影。どれも黒く、身体にぴったりあった簡素な服をつけている。
と、人影のひとつが、走り寄った。オリアスに抱きつく。うぅ、と彼は仰け反り、しかめ面をした。
「……親方あ! なにしてたんすか、約束の三日過ぎても戻ってこないから迎えにきましたよ! もう、嵐で海に沈んでるじゃねえか、捕まって消されたんじゃねえかって、心配で心配で」
抱きついたのは、茶色い長髪をいくつもの細い綱のように巻き、髪飾りをいくつも置いている男だった。オリアスより、いや、ウィスタよりもまだ、背が低い。
「親方っていうな、艦長だ」
オリアスが苦々しげにいうと、男は、泣き顔をつくった。
「あああ。そのおことば、もいちど聞けて、よかった……ほんとに、ほんとに、よかったっす……」
と、男はウィスタの存在にいま気がついたように、彼女の方へ目を向ける。
急にしらっとした表情となる。
太い眉をさげ、睨む。
「だれすか、この女」
「……巫女だ」
「ええっ! 神殿の巫女、
「いや、神殿の巫女じゃない。漁船の船護りをしてたらしい」
ウィスタはとりあえず、ちいさく頭を下げてみた。
「え。船護り。うちの艦隊、間に合ってますよ、いま」
「いや、違うんだ……このひとは、ああ……なんだっけ」
紹介のために名を言おうとして、まだ聞いていなかったことを思い出した。
ウィスタは、名乗って良いものかまよったが、なかばやけくその気持ちで声をだした。
「ウィストアギネス・アスタレビオ。神殿を首になって、結婚して出戻って、小さな港町で漁船の船護り、してました」
それを聞いて、巻き髪の男はしばらく黙り、ぷっと、吹き出した。
「そりゃすげえ。なんかうちの船に似合いそうですね、親方」
「……親方じゃねえって、言ってる」
聞いているのかいないのか、男は、片目をつむってウィスタに右手を差し出した。
「俺はリッキン。リッキン・ジムリ。オリアス艦長の右腕だ。航海長やってる。ようこそ、シア航国、第七艦隊へ! 艦隊ったって、一隻だけだけどな! あはは!」
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