第8話 でも、そうしたい


 ウィスタがオリアスになにか言葉をかけようとして、くちをひらいた、ちょうどその時。


 音が聴こえた。窓の外からだ。

 巨大な槌を地面に打ち付けるような、重く低く、短い音。

 音は、六回聴こえた。不規則に断続して、なにやら節がつけられているようにウィスタは感じた。

 

 オリアスは目を見開いた。がばっと立ち上がる。窓に走り寄り、じっと海の方を見つめる。


 「……あいつら……あの、馬鹿どもが!」


 部屋の外がにわかに騒がしくなる。

 扉の向こうに立っていたであろう事務神官たちが走り去る音。

 誰かが叫ぶ声も聞こえる。この右副殿みぎふくでんのなかでの声もあり、窓からは、外に走りでたであろう者の声も入ってきた。


 「……くそっ」


 オリアスは窓の縁に手を置き、唇を噛み締めて下を向いている。

 ウィスタも椅子から立ち上がった。が、どう振る舞えばよいかわからない。とりあえず廊下の様子を確認しようと、扉に歩き出す。


 と、後ろから手首を掴まれた。強いちから。痛み。

 息を吸い込んだ。叫ぶためだ。

 そのくちに、手が被せられた。

 目を見開き、身を捩る。

 後ろから強く抱きしめられた。


 「……すまん、大人しくしてくれ、もう、こうするしかなさそうだ」

 「んん……んんっ!」

 「事情が変わった。あの馬鹿ども……俺の船のやつらが、勝手なことしやがったんだ。さっきのは俺の船の大砲、救出作戦の符牒だ。ちくしょう、俺のこと、助けに来やがった」

 「……っ」

 「絶対にシア航帝こうてい、俺の親父の意向じゃない。航国こうこくを勝手に離れて独断で来やがったんだ。不意打ちで全艦隊を突きつけて震え上がらせる手筈だったが、こうなったらもう、航国もちから押しするほかなくなった。俺が戻るしかない。戻って、航帝をなんとか説き伏せるしかない。協力を……」


 と、ウィスタが相手の手のひらに噛みついた。

 いてっ、と、オリアスは手を避けた。

 ウィスタは身体を捻って、ちいさく叫んだ。


 「……なに、勝手なこと……! 勝手に攻めてきて、勝手に失敗して、戻るから協力してくれって!」


 オリアスも眉を逆立て、怒鳴り返そうとして、小声になった。それでも語気が荒い。


 「そもそも君たちの国が巫女のちからを独占するからこんなことになったんだろうが!」

 「知らない、そんなの! 神殿はそんなことしてない、鎖国はしてるけどちゃんと港を開いて、霊珠れいじゅの祝福もしてる、あなたたちがなんか勝手に勘違いしてるだけじゃないんですか!」

 「なんだと……!」


 オリアスが少し身を離したから、ウィスタは、殴られると覚悟した。それでも身体を彼の方へ向けて、眉をひきしぼって、相手の目をじっと見た。

 オリアスは、殴ろうとしているわけではなさそうだった。悲しそうな表情。くちを噛み、下を向いた。


 「……たしかに、君にとっては滅茶苦茶な話だな。神殿の巫女でもないのに、俺を助けたばかりに、こんなことに巻き込まれて」

 「……」

 「星の巫女、だと思ったんだ」


 そういい、ふいに、着ている神官服の襟元に手をやった。首周りをぐいっと広げ、ひっぱり降ろす。ウィスタは視線に迷ったが、それでも、見えたものから目が離せなくなった。


 オリアスの胸元。ちょうど、水霊すいれいの巫女の紋章とおなじような位置に、星が刻まれていた。

 星は、だが、いびつだった。紋章、あざでもない。古い傷。尖ったなにかで傷つけ、治癒した後のような細い腫れが、星を形作っていた。


 「……小さい頃から、はじまりの巫女の夢をたくさん、見た。はじまりの巫女は、俺の国に伝わる神話だ。すべての巫女の始祖。星の海で、愛するひとの戻りをずっと待っていると言われている。その想いがいまだに強く残っているために、ときおり地上に、彼女の魂、ちからの一部を持ったものが生まれるという。そういう巫女を、星の巫女、と呼ぶ。俺の国ではな」

 「……」

 「いつも夢のなかで、俺は、巫女が待つ男だった。巫女は、星の紋章をもっていてな。夢のなかでは、そうだった。俺はこども心に、彼女に惚れてたんだ。それで、胸に星をつければほんとうに星の巫女に会えるんじゃないかって、釘つかって、傷つけた。それがこれだ」


 オリアスは襟を戻し、ウィスタの目を見た。


 「あの日、海の底で、俺はおなじ夢を見た。その夢のなかで、巫女の顔は、たぶん、君だった。胸元の紋章は、星。夢のなかでは、波に包まれる星だった」


 ウィスタは思わず息を呑んで、胸元を抑えた。オリアスは、苦笑したように見えた。


 「……だから、運命だと思ってしまった。星の巫女に命を救われ、そのちからを借りて、この国を救うんだと。だけど、独りよがりだったようだ。君は神殿の巫女でもない。君が持つ紋章がなにかは知らないが、きっとたまたま、水霊がちからを貸してくれたんだろう……すまない、忘れてくれ」

 「……波に包まれる、星……」


 ウィスタは胸元を抑えたまま、ちいさく、つぶやいた。


 「……え」

 「わたしの、紋章……波に包まれる星、です」

 「……本当、なのか……?」


 ウィスタは自分自身のこころに、思考が追いついていないことを自覚していた。が、次の瞬間に彼女がとった行動は、自分自身を驚かせた。

 オリアスの手をとって、彼女は、扉に向かっていた。


 「お、おい」

 「……神殿の地下は海です。港が入り込んでいて、本殿の裏から降りられるようになっています。船があるはず。そこまで案内します。わたしが人質になります」

 「……なぜ、そんなことを」


 ウィスタはオリアスに振り返った。泣き出しそうな表情だった。


 「わからない。でも、そうしたい」


 オリアスは息を吸い、なにかを言おうとして、黙った。

 それ以上は問わなかった。


 扉に歩み寄り、オリアスが把手に手をかけた。

 薄く開ける。誰もいない。廊下の向こう、さっきウィスタが歩いてきた方向で大声と足音が聞こえる。軍船、という単語が聞き取れた。


 オリアスはかがみ込み、靴底に手を当てた。突起が飛び出す。引き出すと、小さな刃物だった。ウィスタの首に左腕を回し、右腕の刃物をつきつけるような姿勢となる。

 すまない、と囁いて、オリアスはウィスタを引きずるように、小走りに廊下を進んだ。

 ウィスタが小声で方向を伝える。角をいくつか曲がる。扉を開け、右副殿から本殿の横に出る。誰かに出くわすことを予期していたが、会わなかった。


 本殿はすべての床に、ごく小さな水路が無数に設けられている。海水を引き込んだものだ。水霊の神殿としての装飾の意味もあるが、巫女たちのちからの維持のためのものでもあった。

 水路をいくつか跨ぐように越え、本殿の奥に進んだ。薄暗い廊下に出る。その廊下の奥、扉の向こうが地下港への階段だと、ウィスタは伝えた。

 そのまま廊下を進む。

 と、ウィスタは、ふぉん、という音を聞いたように感じた。

 次の瞬間。

 

 ばん、と、足元の水路が爆ぜた。

 水が踊り、竜のようなかたちとなり、ふたりを叩いた。

 オリアスが倒れる。手元から刃物が飛ぶ。水がその刃物に巻きつき、水路に引き込んだ。ウィスタはオリアスの手から離れ、よろめいたが、転倒は免れた。

 ざざっと水が戻り、水煙があがる。


 その水煙の向こうに、教政院きょうせいいん議長、リリアが立っていた。

 右手をわずかに下に向けている。

 その指の動きにあわせて、水路の表面が揺れていた。

 

 「ウィスタ。おまえは、選んだのか」


 リリアはウィスタには聞こえないような声でそういい、右手を大きく、振った。水の竜が再び立ち上がり、オリアスのもとへ殺到した。 

 

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