第4話 巫女の長


 船を港に向けて走らせながら、ゴンズはいくどかウィスタに尋ねた。


 海の中でなにがあった。

 あの光はなんだ。

 男をどうやって蘇らせたのか。


 が、ウィスタは男のそばに膝を折って座り、その顔を見下ろしながら、すべての問いにほうけたように首を振って答えた。

 目の前で横たわる男を見下ろして、いまだ、夢のなかにいるような表情をしている。濡れた髪を絞ることさえ忘れている。


 男は、黒一色の衣服を身につけていた。

 なんの特徴もない。むしろ、特徴を消すことを意図するかのように、飾りも物入れもついていない装束。

 ややみどりを帯びた藍色の髪が無造作に伸ばされている。

 浅黒い肌と引き締まった体躯が、海に生きているものであることを連想させた。

 陽光の下で改めて見ると、ウィスタよりいくらか、年齢は上と思われた。

 もちろん、見知らぬ顔だ。


 そして、声。

 ウィスタはなんども脳裏で反復させたその声を、もういちど、再生する。

 紋章、星と波、君が、星の。

 おもわず胸元を手で隠す。頬に熱を感じた。

 なぜ男は、自分の胸にある紋章を知っているのだろう。

 星と、波。そのあまりの鮮明さゆえに、ウィスタの数年間をくらく彩ることとなった、波に包まれる星の紋章。

 見られてはいないはずだ。海の中で男は、少なくとも意識を失っていたし、おそらく、いのちをも。


 いのち。戻した。自分が。

 どうやって。なぜ、そんなことができる。

 そもそも、あの光の線。胸の紋章が光って、この男と繋がった。導かれた。どうして。なぜ、自分が。


 なにもかも夢のようにあやふやだった。

 目の前の男だけが、実体化した夢のように、わずかに胸を上下させている。

 触れようとして、手を引き込めた。


 「もう着くぞ」


 ゴンズから声をかけられ、ウィスタは頷いて立ち上がった。

 船の後部から係留のための綱を引き出す。船護ふなもりの巫女として、小型の漁船や商船にはなんども乗船しており、段取りは熟知している。自然な動作で接岸準備を手伝った。


 岸壁には、十人ほどのひとが集まっていた。

 コルの姿もあった。

 漁師もいくにんか見える。コルに集められたのだろう。どうやらやっと霊珠れいじゅを船に据え付け終えて、今から出発できるという状況のようだった。

 接岸し、ゴンズが綱を投げる。誰かが手に取り、もやいに引っ掛けた。どかどかと、何人かが乗り込んでくる。


 「船はもうだめだ、今から行ってもなにもできねえ。助かったのはそいつだけだ」


 ゴンズがそういい、男を示す。

 

 「みねえ顔だ」

 「この港のもんじゃねえな」

 「昨日の嵐でやられたんだろう。よくまあ、生きてたな。運がつええ」


 くちぐちに言い合いながら男の背に手をまわし、左右から助け起こす。四人がかりで身体をもちあげ、陸から手を伸ばした男たちに引き渡す。

 岸に横たえられた男を、年をとった医師が覗き込む。胸に手をあてて、ふむといい、左右の男に声をかけた。


 「とりあえず、うちに運んでくれ。あとで神殿のほうへ様子を知らせとくから」

 「その必要はない」


 ふいに、男たちの背から声があがった。

 みな振り返る。


 ウィスタは船から降りようとしていたときに、声の主と目があった。

 足が止まる。凍りつく。膝が震える。

 

 「その男はわたしが直接、引き取る。あとのことは任せてもらおう」


 そういい、声の主は濃い紫紺の外套を揺らし、銀の長髪を煩そうに後ろに払って、ゆっくりと足を出した。

 長身の女性。三十代なかばか。いく人かの、同じ服装の男たちを伴っている。

 横たえられている男の側にたち、髪と同じ銀色の瞳で見下ろす。しばらくそうしていたが、顔を上げ、船上を見た。


 「他に生存者はいなかったのだな」


 ゴンズに向けて鋭く言葉を発する。

 彼はあわてて帽子をとり、ふかぶかと、頭を下げた。


 「へい、も、もちろんで」

 「隠せば、ためにならんぞ」

 「まさか、めっそうもない」


 手を振るゴンズから、女は、ウィスタのほうへ視線を移した。

 蒼白となったウィスタの顔を、やや首を傾げ、不思議そうな表情を浮かべてみている。ウィスタは、顔を伏せている。あげることができないのだ。小刻みに震えている。


 「おかしいな。夫を持った者は、巫女の資格を失うはずなのだが」

 「……み、巫女の長……リリア・リオ・リッジヴァルデン、さま……」


 ウィスタは神殿の巫女の礼をとろうとした。裾をつまみ、持ち上げようとし、失敗した。指に感覚がない。リリアの視線のなかで、身体がいうことをきかない。

 リリアはその様子を、感情のこもらない目でみつめた。


 「いや、巫女の長は二年前に辞した。いまは教政院きょうせいいんの議長をしている。しかし、まったく久しいな。ウィストアギネス・アスタレビオ。何年ぶりだ。どうしていた」

 「……さ、三年前より、この町で……船護ふなもりの、巫女、を……」

 「ふうん、船護り、か。いちどは神殿の巫女に列せられた、おまえがな。その船もおまえが走らせたのか?」

 「……は、い……」

 「それとその服、よくみれば神殿の巫女に似せた別物なのだな。船護りの巫女など間近に見ることはなかったから知らなかった。面白いな。おまえが考えたのか」

 「い、いいえ、どこの町でも、船護りはこの格好を……」


 なんとか言葉を搾り出そうとするウィスタに、リリアは軽く手をあげて遮った。


 「ま、いい。そんな格好でおかしなことをしでかさないでくれよ。神殿に傷がつく。それより、どうだ。横の男がいうとおり、生存者はいなかったのか、船護りの巫女どの」

 「……おりません、でした……」

 「この男をどうやって発見した」

 「……水の、したで」

 「いかにして海中の遭難者をみつけた。仔細しさいをいえ」


 ウィスタは、そこで顔をあげた。

 あのときの光の線が、見ることを強要された光景が、星の海が、灼ける国の情景が、彼女の顔をあげさせた。


 「……たまたま、水面ちかくまで浮き上がってきたのです」

 「相違ないか」

 「ございません」


 教政院議長、すなわち神殿の政務面を司る庁の長は、じっとウィスタの目を覗き込み、ふんと鼻を鳴らして横を向いた。


 「……いいだろう。おまえはこの男のことを、失念しろ。みていない。よいな」

 「……はい」

 「おまえもだ」


 ゴンズの方を見て言い放つ。ゴンズはひれ伏さんばかりに恐縮して、なんども辞儀をした。

 リリアは伴ってきた者たちに指示をして、黒衣の男を担ぎあげさせた。踵を返し、歩き出す。

 と、立ち止まって、振り返った。


 「……ウィスタ。ちからは、動いていないのだな」


 ことばの意味を受け取りきれずに、ウィスタは胸に手をあて、押し黙った。リリアもそれ以上は言わず、ふたたび歩き出す。

 待機させていたのだろう。山馬が曳く馬車が現れた。荷台に男を乗せ、自らも乗り込み、リリアは去った。最後にふたたび、ちらっとウィスタの方を見たように思えた。


 ウィスタはその場に、へたりこんだ。

 コルが走り寄り、助け起こす。


 「大丈夫か」


 ウィスタは浅く早い呼吸をなんども繰り返した。しばらくたってようやく落ち着き、頷いた。


 「……あれは神殿のお偉いさんだろ。君となにか、あったのか」


 コルはウィスタの背に手を当て、どこか悔しげにつぶやいた。


 「……あれは、リリアさま……神殿の、巫女の長。この国の、世界の巫女の頂点。わたしはだめな巫女だったけど、酷いことをされたわけじゃない。けど……」

 「……?」

 「あのひとの前では、わたし……息が、できなくなる。ここにいてはだめだと、言われている気がして……」


 コルはなにも言わず、ウィスタの背中を柔らかく、いくつか叩いた。


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