第5話 神殿からの召喚


 海底から救った名も知らぬ男を、教政院きょうせいいん議長、リリアが連れ去ってから三日たつ。


 教政院は、神殿の総務部門だが、権力機関でもある。

 神殿は水霊すいれいを祀るものだから、教義を拡めて管理する主教しゅきょうがその中心であるべきだ。が、鎖国後のこの国、聖ルオ国の政治と経済は神殿が差配したから、とうぜん細々した実務を推進するものが必要となる。それを教政院が担ったのだ。

 とうぜん、カネもモノも集中するから、発言力はおおきくなる。


 その教政院の議長に、ウィスタが神殿で学んだころの上司、巫女の長であるリリアが就任していた。神殿の話題は耳に入れないようにしていたから、知らなかったのである。


 リリアの紋章は、薔薇だった。鮮やかなその紋様に違わず、巫女としての能力は抜群であった。加えて、明晰な頭脳と沈着な性格が評価され、神殿にあがった十六の歳からすでに、巫女たちの中心であったという。

 ウィスタが神殿にあがったときには、百八十名の巫女たちの頂点、巫女の長を勤めていた。

 彼女は、ただ、後輩の指導には苛烈であった。

 つねに各自の限界をすこし超えた課題を課し、成し遂げたものはおおきく優遇し、できないものには罰を与えた。巫女たちは彼女の銀の長髪と瞳を畏れたが、神殿のちからが歴史上もっとも高くなったと言われたのもまた、この時期である。


 ただし、ウィスタはそのなかで、罰以外を受けたことがない。

 彼女が知っているリリアの笑顔は、冷たい瞳をこちらにむけて浮かべる、冷笑だけだった。


 「……あああ、つかれたあ……」


 嵐が過ぎてからは漁も再開され、他の港からの商船も到着するようになった。だから船護ふなもりの巫女であるウィスタはそれなりに忙しく、あの日のことを思い出す余裕もなく、早朝から夕方まで働き詰めだった。

 いま彼女はようやく自室に戻ってきたところである。


 下のコルの店で購入したサンドイッチの袋をテーブルに放り出して、椅子に座り、着替えもせずに突っ伏した。

 きょう行った霊珠れいじゅへの祝福は五件ほどであり、ウィスタの体力からするとほとんど限界に近い。水霊のちから自体は無限だったが、巫女の身体を通過するときに体力を奪ってゆくのである。

 ちいさな漁船のちいさな霊珠だから、有能な巫女ならどうということはない負荷なのだが、ぎりぎりで船を動かしているウィスタにはきつかった。


 「……ゴンズさんが言ってたちから、ほんとに使えたらいいのになあ」


 あのあと、ゴンズは興奮した様子で男の救出のことをコルとウィスタに説明した。他のものには言っても信じないだろうということで、ふたりにだけ喋ったのである。

 海を割り、光で満たし、海底から男とともに浮かび上がった。

 コルは信じなかった。ウィスタも同様である。

 本人も、憶えていなかった。

 巫女のちからではない、と、彼女は考えた。

 そもそも、自分にそんなちからがあるはずがない。謙遜ではない。水霊の神殿における秘儀で、はじめはわずかなちからすら見出されなかったのだ。


 ただ、そんなちからが本当にあれば。

 あれば、どうしたいのだろう?

 ウィスタは自分に問いかけた。神殿に戻りたいのか。わたしは優秀な神殿の巫女だと、みなに言いたいのか。名誉を回復したいのか、褒めそやしてほしいのか。

 

 ふんふん、と首を振り、身体をテーブルから引き剥がした。

 いまはそんなことより、早く栄養をつけて早く休んで、明日の朝のしごとに備えなければならない。


 火台で茶を沸かし、テーブルに戻ってサンドイッチを取り出し、手を合わせてから大きなくちでかぶりついた。

 そのようすを、いつのまにか戸口にたっていたコルが見つめていた。

 ウィスタはパンを吹き出しそうになり、なんとか、堪えた。


 「……っ、ばっ、なっ、の、ノックくらいしてよ!」

 「したぞ。なんども。うたた寝してたんじゃないのか」

 「いつからいたの」

 「お茶淹れるところから」


 なおも抗議するウィスタに、まあまあと手を向けて、下を指差した。


 「客が来てるぞ」

 「……今日はもうしごと、できないよ。ちから使い果たした」

 「いや、そっちの用件じゃないみたいだ。神殿からだとよ」


 神殿という単語に、ウィスタは息を呑んだ。

 

 「……な、んで」

 「用件を訊いたら、君に直接はなすって」


 ウィスタは視線を下に落とし、しばらく逡巡した。

 が、すうと息を吸い込み、ぱんぱんと手を払って、立ち上がった。


 コルとともに階下に降りる。

 店の裏手の扉をあける。

 正面の入り口ちかくのテーブルに座っていた三人の男が立ち上がり、ウィスタに向かって、丁重な礼をとった。

 ウィスタはぺこりと、軽くあたまを下げた。どんな顔をすればいいかわからない。

 中央の、白髪を蓄えた五十がらみの男が前に出た。


 「ウィストアギネス・アスタレビオさまですね。主教、イディ三世猊下のお召しにより、お迎えにあがりました。突然のことで大変恐縮ですが、ご同行くださいますように」


 ウィスタはいわれた言葉の意味をしばらく飲み込めずにいたが、やがて呆れたようにくちをひらいた。


 「……主教さまが、わたしになんのご用でしょうか。わたしはもう、神殿の巫女ではありません」

 「ご用の向きは、主教猊下が直接、ご説明くださいます」


 ウィスタの記憶のなかの主教、イディ三世は、いつも穏やかに微笑して、巫女たちにも優しく接する、あたたかな人柄の持ち主だった。巫女の長リリアに厳しくあたられ、夜中、神殿の廊下の隅で膝を抱えて泣いているとき、通りかかった主教が背を抱いてくれたこともあった。

 神殿を出てからも、なんどもその柔和な笑顔を思い出し、もう一度お会いしたいと、虚しく願ったものだった。

 

 「……神殿にお伺いすることはかまいませんが、今日はもう、夜になります。明日の朝、支度をしてから」

 「いえ、今宵、出立します。火急のご用とのことです」 

 「えっ、いま、から……ですか」


 この町から神殿まで、早い馬車でも三刻、つまり朝日が上ってから中天に差し掛かるほどの時間がかかる。

 いまから出発すれば、到着は夜半となってしまう。


 が、相手は二度は、返答しなかった。

 ウィスタに応否を選択する権利はないようだった。

 迷ったが、頷いた。

 案ずるようなコルの顔に、少し首を傾け、心配ないよと笑って見せた。


 少しお待ちをといい、二階の自室に戻って、着替えと、最低限の支度をした。

 適切な服装が思い浮かばなかったが、船護りの巫女の装束、リリアに言わせれば偽物の巫女の服は、神殿にあがるにあたってふさわしくないように思えた。

 

 店に降りると、すでに正面に山馬やまうまの馬車がつけられていた。

 この国はおおきな島山で、とかく坂と傾斜が多い。したがって普通の馬ではなく、足腰が太く、かつ岩場に強い馬が重宝されるのだ。

 神殿の馬車は、華美ではないが丁寧な細工が施され、内装もよい素材が選ばれている。落ち着いた紺の毛氈に腰掛ける。正面にヴォルタ、左右に他のふたりの男が座った。


 コルが見送りに出てくれた。

 すでに日没の時刻を過ぎている。

 店の両側に灯された控えめな照明が、いまやウィスタの家族ともいえる存在となった男の無精髭だらけの横顔を照らし出した。

 

 また会える、の、だろうか。

 唐突に浮かんだあまりに突飛な不安を打ち消すように、ウィスタは、笑って手を振った。


 

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