喰人鬼の隻眼少女

黒猫館長

「邪悪は海に潜む」

 飛行機に乗るというのは、案外初めてかもしれない。家族で乗る機会もなければ、中学の修学旅行もバスでの移動だった。高校生という年齢となって初めて飛行機になるというのも珍しくはないだろう。高校の修学旅行は沖縄とタイのどちらかだったか。それも楽しみではあるが、今回は別の用事でこの国内便へと搭乗している。


「清志、清志!窓開けないでください。雲の下は見たくないのです!」


「おいおい、瞳じゃああるまいし何をビビってるんだ?せっかく飛行機に乗ってるんだ、少しくらいいいだろ?」


「駄目ですだめです!離陸の時になんか駄目だったんです!こうぶわっとした感じで、胸の底からキューってしたから駄目です!」


「擬音が多くてよくわかんねえ。…はいはいわかったわかった開けないよ。もう少しだからお菓子食べて落ち着きなさい。」


「その憐みのような表情やめてほしいのです!」


 隣に座っているのは幼馴染で同じ高校の後輩である鈴堂洋子。昔はおかっぱだったが最近は少しだけ髪を伸ばして大人っぽくなった気がする。精神的にはお察しだけれども。邪推する人がいるかもしれないが、別にデートではない。今回の旅の目的を説明するには、あと二人紹介しないといけない人がいる。


「飛行機がダメなんてまだまだ子供だなあ。このアイマスクあげるぞ。千歳のだけど。」


「別にいいけどさ、ものもらいとか嫌だからちゃんと洗って返してね。…まあ捨ててもいいか。」


 前の座席から乗り出すようにこちらを見るのは洋子と同輩である鳴弦リズ、その隣でおそらく優雅に本を読みながら紅茶を飲んでいるのが同じく天照院千歳だ。この三人娘の付き添いというのが今回の俺の役割だろうか。ことの発端は数日前、リズに一本の電話があったことから始まる。リズの義理の兄、外国人のシド・ブラッドリーから、課題として福岡県で起きている不審な事件を調べるように言われてたのだ。


「シドの課題ってことはやっぱこれだよな。」


 左腕に着けた懐かしい腕輪を見ながら、俺はため息をついた。きっと今回も怪物退治が待っているのだろう。



 福岡県に到着するととてもほっとする。地面に足がついていない感覚は、やはり不安ではあったのかもしれない。隣でふらつく洋子を見てしばらくカフェで休憩してから、事件のあった現場へと向かうこととした。


 事件があったのはおよそ一か月前の二月十三日、駒井家の兄妹二人が遺体で発見された。あまり想像したくないが、遺体の損傷が激しく二人の遺体はDNA鑑定しなければどちらがどちらのものかわからない状態だったらしい。いうなれば挽肉…いややめよう。それからというもの、行方不明者のものと思われる腕や足といった人体の部位のみが発見される事件が多発しているらしい。いまはその事件の発端である、駒井兄妹の事件現場に来た。


「…。」


 海に近い無人となったガソリンスタンド、そこにたくさんの花が添えられていた。彼らの死を悼んで住民や家族が送ったのだろう。幽霊とはほんの少ししか縁がないが、こうしてずかずかと入られてはあまり気分は良くないだろう。せめてもの気持ちとして俺たちも花を置いた。


「洋子。アンノウンの気配は?」


「…いいえ。近くにはいないようです。」


 アンノウンとはいわゆる怪物のことだ。中学生のころある戦いに巻き込まれた俺たちは何度もアンノウンと戦った。洋子が持っている土星のように球体の周りに光の輪が回転しているオブジェクトは、その時手に入れた魔道具の一つだ。これを使えば一定範囲内のアンノウンの居場所を見つけることができる。


「リズは何かわかるか?」


「確かに人間以外がいた感じはするけど、さすがにどこに行ったのかはわからないぞ。一か月も経ったらさすがにな。」


「すでに掃除も終わってるみたいだし、あんまり参考にはならないんじゃない?」


「そうだよなー。シドの奴、少しくらいヒントでもくれれば…。」


「おいてめえらここで何してやがるったい!?」


 そうぼやいていると、突然どすの効いた男の声がした。驚き目を向けると、そこには世紀末にでも出てきそうな派手なモヒカンをした、ガラの悪い男が二人こちらをにらんでいた。修羅の国などと揶揄されることもあるこの福岡において、やくざのような風貌の男たちに因縁をつけられることは大問題だろう。


「なんやなんとか言えや、ぶちのめすぞ!」


「え、あーいやー。君たち小学生?ここは危ないから遊ぶなら…。」


「ふじゃけたこと言ってんじゃあねえぞ!」


 目の前の男たちは声と見た目に似合わず子供のような背丈だった。怖がるにも怖がれない。おじさんというには若々しい肌をしているから小学生かと思ったのだが、どうやら違うようだ。


「怪しか奴らめ、ここで一回立場ってもんばわからせてやる!」


 荒ぶるモヒカンたち。ずいぶんと血の気が多いようでこちらに殴りかかってきたのだが、その時背後から現れたハリセンが二人を襲った。


パーン!


 よくできたハリセンなのか、爽快な音とともに二人のモヒカンが撃沈した。その見事なハリセン捌きを披露したのは背が高く筋肉質で黒服を身につけた、いかにもマフィアにいそうなサングラスの男だった。


「よそ様に迷惑かけてんじゃねえぞあほ共が!」


 何のコントを見せられているのか、モヒカンたちは地面に突き刺さらんばかりに倒れ、ピクリとも動かない。さすがにハリセンで死ぬ人間はいないとは思うが、少し心配になってきた。そして黒服の男はこちらに頭を下げてきた。


「申し訳ございませんでした。うちのもんがとんだご迷惑を。」


「いえ、何もありませんでしたから気にしないでください。」


 見た目に反して礼儀正しい黒服の男は、それでは気が済まないと名刺を渡してきた。名刺には「百瀬組事務局長 黒部仁平」と書かれていた。


「何か困りごとなどありましたら、こちらにご連絡ください。どんなことでもやりますので。」


「え、えーっと。」


 やくざのようにな人たちがどんなことでもやるというとあまりにシャレにならない気がする。しかしここで断るわけにもいかず、とりあえず頷いてことを収めることにした。それに納得したのか、黒部はモヒカンたちを蹴り飛ばし起き上がらせた。


「てめえらいつまで寝てんだ!お嬢がまだ見つかってないってのに、こんな場所で油売りやがって!」


「「すんません兄貴!」」


「お嬢?」


「そうでした、皆様白いワンピースを着たこの位の背丈の女の子を見ませんでしたか?」


 黒部の示す女の子の背丈は小学校低学年程度のものだ。洋子たちに目配せするが、誰も覚えがないようだった。


「すみません。見かけませんでした。」


「そうですか。ご迷惑をおかけしました。我々はここでお暇させていただきます。」


「人探しなら手伝うぞ?」


 頭を下げ退散しようとする黒部にリズが協力を申し出た。いいだろとこちらに言い寄ってくる。少し驚いたが、別に構わないだろう。


「俺は構わないけど。」


「私もですよ。」


「うん。人が多い方がいいだろうしね。」


 その提案に黒部も動揺するが、すぐに納得しまた頭を下げられてしまった。物騒な時期だから見つけるなら早い方がいい。俺たちはすぐにその女の子の捜索を開始した。


「見知らぬ土地で人探しって、逆にこっちが迷子になりそうだ。」


 探し始めてからすでに一時間、手掛かりもなくただただ知らない地域を歩き回り続けていた。福岡は思ったよりも発展した都市で、たくさんの人と建築物に目が回りそうだった。音を上げたい気分だったが、そうもいかない。というのもリズが言うには黒部たちからは人でないにおいがするのだという。黒部たちが人間でないわけではない。彼らに近しいものに人間でないものがいるらしい。もしかしたらお嬢と呼ばれた女の子がそうなのかもしれないと。この捜索が事件解決の糸口になってくれればいいのだが、そう考えているとともに行動していた洋子が言った。


「清志、あそこにいるのって。」


 港から少し離れたところにある森に人影があった。洋子に促されよく見ると、白いワンピースに茶髪な女の子が木にもたれかかっていた。黒部たちが言っていた女の子と容姿が一致している。


「黒部さんたちに連絡する。洋子はコンタクトをとってみてくれ。」


「分かったのです。」


 すぐに黒部たちに連絡を取り、洋子は女の子の元へ向かった。しかしその女の子はこちらに気づいた瞬間森の中へと逃げだした。


「ええ!?あの、貴女が百瀬光ちゃんですか?黒部さんたちが探しているのですよ!」


 何とか確認を取ろうと洋子が叫ぶ。その言葉に女の子は驚いた様子を見せるが、逃げる足を止めることはなかった。


「しゃあしか!ついてくんなぼけ!」


 なかなかに口が悪い。しかし森に逃げられると追跡が難しい。少しずるい気がするが、さっさと追いついてしまおう。


「ちょっと待って。」


「!?」


 急いでその女の子、光の前に回り込み退路をふさいだ。気づかぬうちに追い抜かれたことに光はまた驚く。


「黒部さんたちも心配しているよ。何か困ったことがあるなら俺たちが何とかするから…。」


「どけペド!通報されたかとか!?」


「ぺ、ペド!?」


 配慮した言葉を使ったつもりだったが、ものすごい剣幕で抜かれてしまった。あまりの衝撃に膝から崩れ落ちる。


「清志!?どうしたんですか!?」


「ペドって…ロリコンより傷つく…。」


 少女からの悪口ほど心に来ることがよくわかってしまった。ダメだこいつと見限られたのか、洋子は俺を無視して光を追おうとしたがその時ピピと機械音が鳴った。


「アンノウン!?」


 洋子のセンサーが反応したのだ。すぐに周囲を確認すると、光に向かって巨大な怪物の手が伸びてきていた。爬虫類のような鱗を付けたその手は明らかに普通の生物ではない。しかし体はどこにも見えなかった。


「レグルス!」


 俺は左腕の腕輪をかざしその名を叫んだ。そして光とともに美しい刀が現れる。それを手にしすると、体に力が駆け巡り髪は金色に変色し目も金色の獅子のように変化した。地面を蹴り加速しながら、怪物の腕を切り付けた。


「gyyyrrrrr!」


 怪物の悲鳴が聞こえ、腕から先の体が現れる。蛇の頭に魚の目、大量の牙と蝙蝠のような巨大な耳を持つ気味の悪い姿をしている。まさに怪獣だ。すぐに光を救出するし、洋子の元へ引き渡す。これが福岡で起きていた不審死の原因か。


「はああああ!」


 巨大だが動きはのろい。首を切り落として倒そうと刀を振るった。しかしその攻撃は怪物の中から出現した男によって防がれてしまう。


「困りますねエ。勝手なことをされては。」


 その男も怪物と同じような爬虫類に似た鱗を全身に生やしていた。明らかに人間ではない。二度攻撃を行うが、男の皮膚は固く傷一つつかない。


「しゃあああ!」


「くっ!」


 男は爪で引き裂くように攻撃してきた。とっさに受け止めるが、重い。ぬかるんだ地面の影響で体勢が崩れ、吹き飛ばされてしまった。


「ぐあっ!」


「今日は予定ではないのですが、仕方ありませんねエ。」


 男は両足で跳ねながら、こちらに近づき追い打ちをしようとした。


「ライダーキーック!」


 そこにちょうど良く華麗な飛び蹴りが入った。やったのは連絡を受けてやってきたリズだった。短パンにノースリーブという女子高生がしていい格好なのか少し悩ましい姿だが、この格好はきっとこういう時のためにしているのだろう。


「情けないぞ清志。ちょっとなまってんじゃないか?」


「ぬかるんでて転んだだけだよ。つーかお前、タイミング見計らってたろ?」


「まーな。さて、ここからは私が相手だ…ってあれ?」


 意気込んでいるリズだったが、気づけば爬虫類の男も怪物もどこかにいなくなっていた。物音一つなかったので全く気配も感じなかった。まるで幽霊にでも遭遇した気分だ。


「お嬢!」


 黒部たちも到着したようだった。肝心の光は腰が抜けたのか洋子に抱きかかえられて無言で震えていた。


「…あれどうするか。」


「探しても見つからないよ。リズを見て逃げたんなら、絶対もうここには近づかない。ここで仕留められなかったならしばらくは潜伏されるんじゃない?機会を待つ方が賢明。」


 千歳は周囲を警戒しながらそう告げた。リズや洋子も近くに反応はないという。一度出直すしかないだろう。黒部たちとともに光を彼女の自宅へ送り届けることにした。



 何となく理解していた。配下のたくさんいるような極道らしき家がどんなものかなど、イメージはできていた。だが実際見てみると一庶民として頭から倒れる心地だ。そこには一体いつからあったのかわからない立派な武家屋敷があった。漆喰が美しく塗られた壁に取り付けられた檜門をくぐれば、石畳を通じて屋敷がそびえたつ。これ以上ないほど立派な屋敷だ。そしてサングラスをかけた舎弟らしき男たちと女中たちが門の前に整列し頭を下げる。


「「「「いらっしゃいませ!」」」」


 一体いつから俺たちは極道映画の中に入ってしまったのだろうか。場違いすぎて、平然としている千歳とリズが信じられなかった。


「光を助けていただいたようで、本当にありがとうございました。」


 屋敷に通され、奥の間にいた光の父親百瀬辰爾が頭を下げ感謝した。今日は何度頭を下げられればいいのだろうか。ぜひ今日は泊ってほしいといわれ困ったが、リズが即座に了承したことで断れなくなってしまった。仕方がないので、情報を集めつつ今日は休むことにした。


「あの子…。」


 暗くなり始めた縁側で、光は三角座りしながら空を眺めていた。そういえばどうしてあの子は逃げ出したのだろうか。迷子というよりは家でといった感じだ。少し家庭環境も特殊であるし、悩みがあるのかもしれない。またペドといわれるかもしれないけれど話くらい聞いてみようと思ったのだが、リズに止められた。


「私に任せてくれないか?多分それが一番いい。」


「…わかった。任せる。」


 リズはたまにとても優れた観察眼を発揮する。彼女が言うのならその方がいいのかもしれない。とりあえず光のことは彼女に任せることにした。


「清志見ましたか?」


「何を?」


「あの子の目、片方は義眼でした。それに体に傷も…。」


 前髪が長くて両目は見にくかったから気づかなかった。この家の人々は見た目に反して礼儀正しかった印象だが(モヒカンを除く)、少し警戒したほうがいいのかもしれない。



 次の日は情報集めに徹したのだが、どうやら百瀬組の人々も最近起きている事件について調査しているようで、有用そうな情報を得ることができた。


「霧、ですか?」


「はい。行方不明者や人体の一部が発見される事件のあった日や前日は、必ずといっていいほど、濃霧が発生しています。濃霧の発生自体福岡では異常な発生頻度でして…本当に関係があるかもわからないのですが。」


 黒部との話を千歳にするとすぐにパソコンで調べてくれた。昔パソコンの使い方を教えたのは俺だが、今では彼女のほうが詳しいかもしれない。


「確かに気象情報の履歴でも、事件と濃霧発生はほとんど一致してる。清志が戦った怪人と…怪獣?は、何か関連しそうな能力を持ってたりした?」


「いいや、わからない。ただ両方とも透明化かなにか姿を隠す能力を持っていそうな感じだった。」


「…透明化だったら嫌だ。」


「あー能力かぶっちゃうもんな。」


「ま、清志がさっさと倒せばいいだけ。絶対私の透明化のほうがすごいから。」


 透明化にすごいもすごくないもあるのかよくわからないが、それを口にするとどつかれそうなのでやめておこう。ほかに手掛かりになりそうなものは得られなかった。いまはとりあえず濃霧に注意しながら、気をうかがうのが賢明だろう。


「あ、そうだ。今日の夜天気が崩れそうだって。」


「つまり?」


「動く可能性は高いってこと。監視は洋子とやってね。私は寝る。」


「おいおい。」


 今夜は徹夜になりそうだ。



 夜風がやけにうるさい。頭がぐわんぐわんと共鳴するように痛む。意識がもうろうとしながら光は歩いていた。歩きながらどうして歩いているのかとふと疑問がよぎった。トイレに行きたくなったからだったか、だとしたらどっちにトイレがあったのか。高熱で倒れたときのように思考がまとまらない。


「ようこそお越しくださいました。偉大なる魔女の写し身よ!」


 その知らない男の声を聴いた瞬間、一気に意識が覚醒した。状況がわからず息をのむ。あたりを見回すと倉庫のようなコンクリートでできた建物の中にいた。そして目の前には体中が鱗に覆われた不気味な男が立っている。


「はっ…あ…!」


 恐怖を感じると体が動かなくなる。自分を守るために身についてしまった悪癖だ。そのせいで声も出ず、逃げ出すこともできない。


「予言こそ耳にしておりましたが、まさかこんなとこでお会いできるとは。感激でございました。どうぞお納めください。」


「あえ…?…!!!」


 男はまるで高貴な者に接するかのように礼儀正しく、紳士のように膝をつき光にあるものを差し出した。それを見て光は目を見開く。男が差し出したものは人間だ。光とさして年の変わらない子供のちぎられた頭や腹、腕や太ももが無残に縫い付けられたおぞましい何かだ。


「私が見繕う中でも最上のものをご用意しました。喜んでいただければ嬉しいのですが…おやいかがいたしましたか?やはり子供の肉がよろしいかと思いましたが、大人の肉のほうがお好みでしたかな?」


 男は愉快そうに笑いながら光を眺める。硬直している光に触れそうなほど肉が近づいた。


「「お嬢から離れれボケええええ!」」


 そこに割り込むようにバットが振り下ろされる。やったのは清志たちに絡んできたモヒカンの二人組だった。男は音もたてずにジャンプしそれを躱す。そして心底うんざりしたようにため息をついた。


「無粋なサルどもですね。之ではせっかくの贈り物が台無しだ。」


「うちのお嬢になんつーもんを見せてくれとんじゃ!」


「ぶち転がしたるぞウキャアアアア!」


 二人はとびかかりバットで攻撃を加えるが、男にとってはまるで児戯のようで完全にいなされ、右腕で薙ぎ払われてしまった。モヒカンたちは完全に気絶してしまう。男がとどめを刺そうとしとき、そこに立ちはだかる者がいた。


「…貴女は?」


「いい男気だったぞ。頑張ったな。あとは任せろ!」


 やっぱりこの登場の仕方かっこいいと何やら喜んでいる様子の彼女に男は首をかしげる。


「…まさか、いやいくらなんでもそんな偶然は…。お名前をお聞きしてもよろしいですか?」


「ん?私か?いいとも答えてやろう。私の名前はエリザベート・ゼクス・ブラッドリー。お前を倒すものだ。」


 リズは腰に両手を当てながら、自信満々にそう答えた。それを聞いて男は納得したように唇に手を当てる。


「ブラッドリーとはいやはや驚きました。まさかこんな辺境で怪異の王たる吸血鬼様にお会いできるなど、光栄の極み。しかしそれでは私に何の御用でしょうか?」


「決まっている。お前を倒しに来たのだ!」


「血を求めるのは我々の本能!よろしい受けて立ちましょう!」


 リズはこぶしを握り、男に向かって走り出した。応戦した男と何度も打撃の攻防が繰り広げられる。リズの動きは素早く徐々に男を後退させ、優勢に見えた。


「くっ、いったあ。」


 しかしリズが顔をしかめ攻撃をやめる。彼女の腕からはたくさんの切り傷があり、血が流れている。


「さすがは怪異の王といったところでしょうか。しかしこの程度で皮膚が裂けるとは、まだ未熟ですねエ!」


 男の上段蹴りがリズを襲う。左腕でそれをガードするが、男の足に生えた牙のような角がリズの腕に食い込んだ。そして衝撃によって足を引きずりながら後退し、膝をつく。


「ちくしょー。やっぱり千歳からグローブ貰ってくるんだった。どうするかな…。」


 とげ付きのサンドバックなど殴りたくもない。リズが困りながら打開策を考え始めたとき、やっと異変に気が付いた。


「…光?おい光何やってるんだ!?」


 光は打ち捨てられた死体を凝視しながら、荒い息で自らの腕にかみついていた。左手首を右手で握りしめ、血が垂れ流れるほど強く噛み締める。あまりにも異常な状態にリズは慌てて引きはがし、彼女を拘束した。男はそれを目を丸くして眺めていると、本当に疑わしいように尋ねた。


「もしや貴女、人を食べることが怖いのですか?」


「やめろ光!いっつ!」


 完全に錯乱した光はリズの腕にかみついた。それに顔をゆがめながら、暴れる彼女を必死に抑える。人智を超えた吸血鬼であるリズでも手こずるほどの強い力だ。男が言いたいことをリズは理解していた。それは昨夜の出来事である。



 リズは縁側に座っていた光の隣に腰かけた。


『何しに来たと?放っておいて。』


 にらみつけてきた光にリズは笑いかけると無遠慮に言った。


『お前、人間じゃないのだろう?』


 光は驚き目を見開いた。逃げ出そうとする彼女の腕をつかんで、リズは言葉を続けた。


『私もなんだ。ほら。』


 リズは自らの口を開け、光に見せた。人間ではありえない鋭く長い八重歯。ある日突然生えたこの牙で何度下唇をかんだことか。


『吸血鬼なんだ。少し話をしないか?』


 光は本当にリズが吸血鬼であることを理解したのか、身の上について話してくれた。彼女は人喰い鬼(グール)と呼ばれる怪物で、先祖返りに当たるのだという。彼女の家にはまれに彼女のような先祖返りが生まれてしまう。普通の食べ物でも生きていけるが、人肉に対して強い飢餓衝動があるらしい。今まで何度も衝動にかられ、自分の体を食らいなんとか抑えたときもあった。いまは多少制御がきくようになってきたが、それでもその衝動からは逃れられない。


『わたしは殺しとらん!殺しとらんとよ…。でも怖か。気づかないうちに誰か殺しとるかもしれん。』


 彼女が家出した理由は、そこにあった。巷で起きている不可解な殺人事件それが自分なのかもしれないと自分自身に疑心暗鬼になってしまっていた。嗚咽を漏らす彼女をリズは抱きしめた。


『大丈夫光は殺してない。私は信じるよ。犯人は私が捕まえる。だから安心しろ。』


 そう彼女と約束した。



 そして現在、倒すべき相手が目の前にいる。だが錯乱し自傷行為に走る光を捨て置くわけにはいかない。逃げるにも気絶したモヒカンたち、貞夫と哲を置いていくわけにはいかなかった。その時、コンクリートの壁が大きな音を立てて崩れ始めた。男はそれを見てやれやれと首を振った。そして顔を出したのは昨日遭遇した巨大な怪獣だった。


「やれやれ、貴女の芳醇な血の香りに磯坊主が出てきてしまったようですね。しかし可哀想に、人喰い鬼が人を喰えぬとはさぞお辛いでしょう。人の世に生まれてしまった悲劇だ。いかがでしょう?人の世界など捨てて、我々のところに来るというのは。もう苦しまずともよいのです。心行くまま人を食らいましょう。さあ。」


 男は磯坊主と呼ばれた怪獣を静止し、光に手を差し伸べた。光は徐々に正気を取り戻してきた。リズの血肉を取り入れ衝動が少し収まったからだろう。そして涙を流して目を閉じた。リズは彼女の頭をなでると、男を見据えて言った。


「お前には渡さない。絶対にだ。」


「貴方は吸血鬼だ。血が吸えない苦痛は誰よりもよくわかっているでしょう?彼女はそういう生き物なのです。生まれた性からは絶対に逃れられません。人間とは共存できない。」


「やかましい。渡さないといったら渡さないのだ。」


「やれやれ、いくら怪異の王といえどおつむのほうが少々よろしくないようですね。では力づくで連れて行かせていただきます!」


 男と怪獣、この二体を今の状況で相手することはリズでも難しい。冷汗が流れるが、覚悟を決めにらみ返した。男が戦闘態勢に入る中、別の足音がした。


「大体状況は理解した。怪獣を使用した破壊活動、殺人、死体損壊、少女誘拐未遂。お前が今回のターゲットで間違いねえだろうな。」


「清志!」


「リズ、お前連絡位ちゃんとしろっての!結構探したんだぞ!」


「あ、悪い忘れてた。」


「ったく。」


 頑張って町中をパトロールしていたというのにとんだ無駄足だった。ため息をついた後、目の前の爬虫類のような男をにらみ刀を構える。そしてその名を叫んだ。


「レグルス!」


 魔道具の力が解放され、黒かった髪や瞳が獅子のような金色に変化した。この見た目の変化がレグルスの名前の由来なのである。


「磯坊主!」


 男が叫び怪獣がこちらに腕を伸ばして攻撃してきた。しかし怪獣の顔に光線が照射され、それは妨害された。


「ナイス洋子!」


「こっちは任せろなのですよ。ドラゴンビーム!」


 洋子の魔道具は変形し龍の頭のような形状になってそこから光線が発射されている。怪獣を倒すことは難しいだろうが、牽制には十分だ。


「ただの魔道具使いが私に勝てると…。」


「勝てるに決まってんだろ。」


 男が一瞬気が抜けた瞬間を狙って間合いを詰め刀を振るった。硬いうろこでおおわれた腕で防がれるが、それをはじいて胴体に一撃を加えた。


「ぎゃあああああ!」


 胴体部分は存外やわらかいらしい。男は血を吹き出しながら悲鳴を上げる。逃げるように後退するので追撃しようとしたが、違った。倉庫に置かれていた大きな看板をつかみあらぬ方向に投げる。俺に向かってではない。リズと光のいる方向へだ。男の膂力で投げればそれは二人の体を引き裂き得る凶器だ。リズでは守り切れないと思い跳躍し、看板をたたき落とした。


「かかったあ。」


 それが男の罠だった。その時距離を詰められ、無防備になった首に男の鋭いかぎづめが触れた。


「借り一つね。」


 その男の目を光の矢が貫き弾き飛ばした。千歳が魔道具の弓を使って狙撃したのだ。爪がかすって少し切れた気がするが、直撃よりはましだろう。あれだけ残虐なことをしておきながら、男は痛みに弱いのかのたうち回っている。


「がががあがががが!」


 そして死にかけの虫のように飛び跳ねながら、怪獣の元へと向かう。そしてプールにダイブするかのように飛び込むと、怪獣と一体化した。


「殺じてやるうううう!胴体から引ぎぢぎって内臓ぶじ曲げららあああ!」


 それが男の本性なのか口汚く罵詈雑言を吐きながら、怪獣として暴れだした。倉庫はその猛威に耐えきれず倒壊し、俺はモヒカン二人を連れて外へ出た。外は視界が悪くなるほどの濃霧で、砂浜のせいで動きづらい。洋子のドラゴンビームも効果がなくなってしまっていた。


「あ、全然効かない。」


「清志!なんか水っぽくなってますよ!暖簾に腕押しです!」


 千歳が光の矢を放つが、怪獣の体をすり抜け効果がない。モヒカンを安全そうな場所に置き、注意をひくためとりあえずその辺にあった石を投げてみるが確かに水のような体ですり抜けてしまった。水を自らの体のようにして操ることができるのだろう。怪獣が動くほど水蒸気が発生していようで、これが事件の日に濃霧が発生する原因なのだろう。


「前にも似たような敵いたけど、厄介なんだよな。」


「火力の出る武器は持ってませんからね。逃げますか?」


 この手の相手は水がある限り無敵のような性能を発揮する。以前は鬼のような火力の光線を出せる魔道具で倒したのだが、壊れてしまってもう存在しない。海が近いこともあってなかなかに不利だ。俺は洋子を抱え空中に陣取り、怪獣の注意を引く。これが一番安全にこいつをとどめる方法だ。ちなみにこれが俺の持つ魔道具レグルスの能力で、見えない足場をつくれる。地味とか言わないでほしい気にしてるから。これと刀だけではさすがに倒せないだろう。その時携帯に電話がかかってきた。相手はリズとともに光を連れて避難している千歳からだ。


『水を減らしたいんでしょ?天気崩れるって言っても雨は降ってないし、いい感じに地面乾いてるから、ある程度いけるんじゃない?』


「乾いてるって言ったって、地面に押し付けても…あー。」


『じゃ、こっちも準備するからうまくやってね。』


 そういうと電話は切れてしまった。洋子と顔を合わせてうんとうなづく。


「ならあのモヒカンさんたちはもっと遠くじゃないとやばいですね。移動しておきます。」


「頼んだ。こっちは任せろ。」


「はい。」


 素早く洋子を降ろし、牽制へと向かった。周囲を確認しながら跳び回り、最も最適な場所へと怪獣を誘導する。


「うわっ!」


 その最中、怪獣の後ろ髪が突然伸びたかと思うと、体に巻き付いてきた。引きちぎろうにも強靭で振りほどけない。


「やーべえしくじった。」


 怪獣の腕がこちらに伸びるが、慌てはしない。なんせ俺にはとっておきの切り札が…と内心ほくそ笑んだ瞬間大変なことになった。


「え、うああああああ変身変身変身!」


 頭上から大量の砂が降ってきたのだ。慌てて起動のためのパスワードを入力した。体中から炎が燃え上がるように光が放たれ形を成す。そして金色の鎧を全身にまとった騎士が現れた。これがレグルスの切り札、外殻強化式魔術鎧である。


「あいつらさすがに雑すぎだろ死ぬかと思った。」


 フルフェイスの魔術兜でなかったら窒息して死んでいた気がする。怪獣は悲鳴のような雄たけびを上げて縮んて行く。俺は拘束していた髪を引きちぎり、砂埃を切り裂いて視界を広げた。大量の砂浜の砂が怪獣の体の水を吸い上げ、弱体化に成功したのだ。俺は空中から怪獣を見下ろす。真上にある月明かりのおかげではっきりと見ることができた。


「はああああああ!やあっ!」


 怪獣の周りに大量の足場を展開し、足場の弾性を最大限にあげ跳躍した。足を、腕を体を何度も何度も跳躍を重ね切り裂いていく。そしてあの男が隠れられる場所をどんどん奪っていった。最後は人一人入れるかどうかのサイズとなり、それめがけてまた跳躍する。


「馬鹿め!俺がただやられているだけだと思ったのか。周りをよく見ろおおお!」


「ぐっ!」


 空中に飛散していた怪獣の肉片が突如動き出し、体に巻き付いてきた。ねっとりとしたスライムのようなそれは単純な力では引きはがせない。


「覚えていろ人間風情が次てめえの内臓抉り出してやるからなああ!」


 怪獣の心臓部から飛び出した男は捨て台詞を吐きながら逃走した。この怪獣は捨て駒ということだろう。勝てないと悟り無駄に狡猾さを取り戻したようだ。その逃げる時の勝ち誇った顔に怒りがわくが、あの声を聴いてむしろ同情心がわいてきた。


「千歳あれ!」


「はいはい壊さないでよ。」


「まだ壊せないぞ、いよっと!」


 清志を追い抜いてものすごいスピードで彼女は飛び出した。長くふんわりとした金髪を輝かせ、両手に赤いグローブを付けたその女性が誰なのか光は一瞬理解できなかった。


「ぎゃははははは!…べぶらっ!」


 笑いながら逃走していた男を追い抜き殴り飛ばした。一瞬状況が理解できなかった男は周囲を見回した。そして目の前にいた怪異の王を認識し悲鳴を上げる。


「さすがすごいグローブだな。これだけやっても全然痛くない!」


「な、なななななぜこんなに早く!?吸血鬼といえども私にこんな短時間で…!」


「んーただ走っただけだぞ。…ああ、そういうことか。ならお前は多分眷属か偽物の吸血鬼しかあったことがないんだろうな。…でも兄さまたちなら余裕だと思うけど。」


「な、何を言っている!?来るな!」


「ずいぶん趣味の悪いことをしてくれたな。今まで人間を弄んだ分には足りないだろうが。」


「来るなといってるんだ頭にクソしかつまってない病気猿がああああああ!」


「覚悟しろ。いち!」


 叫ぶ男のことを無視して、目の前に迫ったリズは数字を叫び男の顔面を殴りつけた。


「にー!さん!しー!ごー!」


 連続で何度も何度も反撃する暇も与えず連打を重ねる。その一撃一撃が巨大な太鼓をたたいているかのように巨大な音を鳴らした。


「さんじゅうさんじゅいちさんじゅにー!…。」


 男のような一介の怪物ごときが本気の彼女に勝てるわけがない。なぜならリズもといエリザベート・ゼクス・ブラッドリーは吸血鬼の頂点、真祖の一人なのだから。


「きゅうじゅはちきゅうじゅきゅー!ひゃあああああああくううううう!」


「べぶらああああああ!」


 渾身の百回目の打撃により、男は逃走した場所からもといた場所迄吹き飛ばされた。その固いうろこに覆われた体中が痛々しく膨れ上がり完全に気絶している。


「勝ったぞー。千歳髪伸びちゃった。切ってー。」


「はいはい。後でね。」


 リズは右腕をあげみんなに勝利を伝えたのだった。



 そして次の日、別れの時間となった。俺はというと昨日のことを思い出し苦虫を噛み潰したような気分になっていた。


「なーんか昨日の俺ものすごくかませじゃなかった?全然いいところなかったんだけど。」


「まあ清志は締まらないときはとことん締まらないのでいつも通りです。最近リズの成長も著しいですし、見せ場が減るのは仕方がないですよ。」


「あれか、レグルスのリミッター最初から解除しちゃうか?防御捨てて攻撃特化にしちゃうか?」


「レグルスなければただの人間なんですから張り合わなくていいんですよ。っていうか大人げないです。」


 これでも鍛錬は欠かさずやっているつもりだが、やはりこれから先吸血鬼であるリズには完全に抜かれてしまうのだろうか。仕方ないのかもしれないが、ちょっと悔しい。そんな今回の主役はヒロインたる光と別れの挨拶をしていた。


「今回は本当にありがとうございました。あと…ごめんなさい。」


「腕のことか?言っただろ?ほらもう綺麗に治ってる。気にするな。」


「でも…。」


 リズはしゃがみながら光に視線を合わせその頭を撫でた。そして微笑みながら言う。


「私も考えたんだ。襲いたくなくても人を襲ってしまうかもしれない、それってとても怖いことだ。これから先もずっとそれと向き合わなきゃいけない。正直普通にここで生きていくのは難しいと思う。」


「はい。」


「だからさ、もし人を襲いたくなったら私のところにこい。サリム兄さまに頼んで、すぐに駆け付けれるようにするからさ。絶対お前に人を襲わせない。いざとなったら私が食われてやる!すぐ治るからな。」


「え…あ。」


「あと大人になったらメイドの一人も欲しくてなー。どっかにかわいい子がいるといいんだけどなー。ちょうどこのくらいの。」


 そう言ってリズは光の頭をわしゃわしゃとなでくり回した。緊張が解けたのか光は笑顔を浮かべこくりとうなづく。


「約束だ。」


 そう言って二人は指切りをした。生まれ持って持ってしまった悲しい性、あらがうべきなのか従うべきなのか、当人にとってとても難しい問題だろう。俺なら一体何と彼女に声をかけてあげられただろうか。だがあの二人はうまくいく気がした。やはり今回の旅の主役はリズなのだろう。彼女たちが出会うためにこの物語があったのだ。いまは二人の気が収まるまで静かに待つことにしよう。




 エピローグ


 イギリスロンドンにある巨大な屋敷の一室で、ジュリー・ブラッドリーは捕食されていた。これがまたずいぶんとかわいらしい捕食者で、ミディアムカットのウェーブのかかった髪に、みどり基調のメイド服がよく似合う。前髪は両目を覆うほど長いのであまりよく見えないが、彼女としては別に視界に問題はないらしい。


「ハムハムハム…。」


 ハムスターのようにジュリーの腕を抱え、甘噛みを繰り返している。これが彼女のストレス発散方法らしい。別に嫌ではないのだが、かわいい抱きしめたいと思いつつ、そんなことして大丈夫なのだろうかともどかしい。


「満足した!やっぱり男ん子は弾力が違うね。エリザベート様とはまた違う良さがあるばい。」


「それは何よりでした。」


 やはりこの屋敷の女神に下っ端がどうこうすることはできない。きっと彼女はそんな気苦労など考えもしないのだろう。無防備すぎて心配になるほどだ。


「今日お父さんたちからいろいろ食材が届いたっちゃん。やけん久しぶりにラーメン作ろうか。あとね、弟の洸丞が剣道で県大会行ったっちゃ!すごかねー。あとで電話するけん、ジュリー君からも何か言うちゃって!」


「承知いたしました。それにしても洸丞君、個人で県大会ですか?これはもう俺の似非剣術じゃ太刀打ちできないかもしれないですね。」


「もともとジュリー君剣術苦手やろ?腕っぷしならジュリー君んほうがすごかばい。良い子良い子。」


「にゃはは…精進いたします。」


 まあ、この人が幸せそうならば構うまい。

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喰人鬼の隻眼少女 黒猫館長 @kuronekosyoko

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