第17話 取調官

 殺風景な部屋で、様々な質問を受けた。思いのほか、友好的な態度だった。テレビドラマの取調べなどとは違い、物事は淡々と行われた。

 ただ、いつ終わるのかわからなかった。同じ質問が、何度も繰り返された。

 数彦は、何度も、別の車に乗せられてどこかへ消えたKAKERAがどうなったのかを訊ねた。しかし、明確な返事は返ってこなかった。

 数彦が警察に連れて行かれるとわかった時、KAKERAは泣き叫び、数彦にしがみつき、数彦の潔白を主張し続けた。

 その必死さに、警察もどう扱っていいのか躊躇していた。その主張は、数彦がKAKERAをそっと抱き寄せるまで続いた。

「また、すぐに会える」

「僕なんかのために、こんな目にあわせてしまって、ごめんなさい。こんな迷惑をかけるなんて、思いもしなかった。僕のせいです。僕がいなければ、こんな」

「お前が悪いわけじゃない」

「ごめんなさい。ごめんなさい」

 KAKERAは泣き崩れた。そのまま、女性の刑事に抱かれるようにして、姿を消した。

 取調官に対し、数彦は、KAKERAが父親から受けているであろう虐待の可能性を、繰り返し主張した。

 頷きながら話を聞いてくれてはいたが、次第に、糠に釘を打っているような手ごたえのなさを感じた。

 数彦は無駄だと悟り、主張をすることをやめた。

 夜が来たのはわかっていた。今年のクリスマス・イヴを警察で過ごすことになるとは思ってもみなかった。暖房はついていたが、足の裏から冷え込み始めた。取調官が呟いた。

「今日は、雪になるな」

 雪の女王のことを考えた。本当にいるのなら、KAKERAを守って欲しいと願った。

 しかしすぐに願いを取りやめた。雪の女王に頼んでしまうと、KAKERAの命まで吸い取っていかれるような気がしたからだ。

 取調官の質問は相変わらずで、数彦の精神的疲労を待っているのがわかった。

 何かを隠していると思っているのだろう。疲れて、その隠された事実を、数彦が漏らすのを待っているのだろう。

 ここに連れてきた刑事は、参考人として来てもらうと言っていたことを思い出した。まだ、参考人なのだろうかと、ぼんやり考えた。

 取調官の話から、KAKERAの父親が、KAKERAの捜索願を出したことは間違いがなかった。

 その時、事件性とKAKERAの肉体的および精神的危険度の高さを言い添えたように感じた。父親の卑劣さと狡猾さを感じた。ますます、はらわたが煮え繰り返ってきた。

 明らかにKAKERAの扱いは家出人ではなかった。誘拐、もしくは略取という犯罪の被害者だった。つまり、数彦は、警察にとって「犯人」なのだ。

 KAKERAが部屋にいたことから、現行犯逮捕なのだろうか、とも考えた。

 しかし、まだ留置場に連れて行かれないところを見ると、事件性の有無を調べているのだろうかとも考えた。

 KAKERAに会いたかった。会って、安心させてやりたかった。一緒にいたかった。

 壊れそうなKAKERA、砕け散ってしまいそうなKAKERA、このまま一人にしておくことは出来ないと思った。近くにいてやらないといけないと焦った。

 しかし、数彦は、あまりにも無力だった。

 その時、恐ろしい考えが浮かんだ。

 KAKERAは、父親の元に返されたのではないだろうか。それは、更なる虐待を生むとしか思えなかった。

「まさかとは思いますが、KAKERAを父親の元に返したりはしていませんよね」

 取調官は、曖昧な表情で、答えなかった。数彦は重ねて訊ねた。

「児童相談所へ。父親の暴力の届かないところで、保護しているんでしょうね」

「それに答えることは出来ないんだ」

「もし、父親の元に返していたら、KAKERAは、どうなるかわからない。そうなったら、俺は、あなたたちを許さない」

「穏やかじゃないね」

「民事不介入か何か知らないが、KAKERAの身体の傷は知っているんでしょう。あれは全部、父親から受けた虐待の跡なんだすよ」

 取調官は、手元の史料を見て、答えた。

「人格障害、虚言癖、自傷癖」

「まさか、KAKERAのことじゃないだろうな」

 思わず、口調がきつくなった。

「人間は、君のような子供にはわからない、深い真実があるものなんだよ。我々は、いろいろな人間を見てきた。加害者と思っていた人間が被害者であったり、その逆であったりするんだよ」

「あんたら警察は、KAKERAを、殺す気か」

「我々は真実を見据えて、市民を守るのが仕事だ」

「その言葉、忘れないでください」

 取調官は、表情を変えずに、「もちろんだ」と答えた。

 数彦は、いくら焦っても、どうすることが出来ないと悟った。ただ、祈ることしか出来なかった。

 KAKERAに、何事も起きませんように。KAKERAを、お守りください。神でも仏でも、かまいませんから。

 救いの手は、思わないところから現れた。

 黒い高級外車の後部座席で、数彦は美湖から愚痴を聞かされていた。

「あたし、これであの人に借りを作ってしまったわ。貸ししか作りたくないのに。数クンが、もっと早く相談してくれなかったからよ。そうすれば今頃、あたしの使っている別荘でKAKERAちゃんと遊んでいたはず。警察もこなかったわ」

「そうだな。取調べをしていたおっさんが吐き捨てるように俺に言ったよ。いい親戚を持っているね、って」

「言わしておけばいいのよ。善良な市民を不当に拘留するなんて、民主警察のすることではないもの。数クンがそんな犯罪をするわけないじゃない。別れ話の揉め事なら、助けになんか来なかったわよ。放っておいたわ。でも、UTATAちゃんのことだもの。でも、あの人の所在がつかめなくて、遅くなっちゃったわね」

「来てくれただけで、ありがたいよ」

「どうせ警察に出向くなら、偉そうにした方がいいってあの人が言うから、岡田さんにわざわざ、来てもらったのよ。それに、相手はかなりのやり手の実業家だって言うでしょ。それなりの効果はあったみたいでほっとしたわ」

 どうやら、岡田というのは、このロールス・ロイス・ファントムを運転している初老の男の名前のようだった。

 訓練された職業運転手らしく、後部座席の話など耳に入りませんと言いたげに、滑るような運転をしていた。

「前もこの車を岡田さんに運転してもらって、交渉に行ったことがあるのよ。あれはブティックの出店で揉めた時だったわ。でも、交渉場所にこれで乗りつけたら、お話は上手くまとまったの」

 確かに、ロールス・ロイス・ファントムはそういう車だと数彦も感じた。

 美湖はいつものように、取り留めのない話をしゃべり続けていた。運転手は、それも慣れっこなのだろう、涼しげな顔で聞き流していた。

「ところで、どこに向かっているのかしら、岡田さん」

 運転手は振り向かずに、バックミラー越しに答えた。

「奥様の別邸へ向かっております」

「そうね。あそこならおかしな茶々は入らないもの。でもね、プールがついてたんだけど、あたし、埋めちゃったわ。だってプールなんて、使わないもの。あれは日光浴が好きな、西欧の人がつける設備よ。日本人は真似して、ステータスみたいにつけたりするけど、結局、使わないまま、無駄になるの。鯉と亀の池にしてしまっているお宅もあったわ。だからあたし、さっさと埋めて、サウナルームに改装したわ。その方がとってもいいもの」

 美湖には好きにしゃべらせておいて、数彦はさっきの美湖の話で、気になっていた部分がどこか考えていた。それにやっと気づいた。

「さっきの話の中で、やり手の実業家とかいうのが出てきたな。それが、KAKERAの父親か」

「そうよ。檜宣学園っていう学校法人、知っているかしら。幼稚園から大学院まで、何でも取り揃えている大きな会社よ。そこの一族で、経営の中枢にいるの。最近、売り出し中らしくて、テレビにもよく出ていたんですって。言われるまで気がつかなかったけど」

「教育関係者か。それが、KAKERAを」

「でも、ここ一年くらいの間に、体調を崩して、入退院を繰り返してるみたいだわ。ご自分のグループに付属病院もあるから、便利よね」

「そこまで詳しいんなら、もっと具体的な情報も調べてあるんだよな」

 美湖は、口を閉じると、視線を窓の外に移した。それを追った数彦は、やっと気づいた。

「雪が、降り始めたのか」

「この車は大丈夫よ」

「車はいい。そいつのことをもっと詳しく教えてくれ」

 美湖は、ちらりと数彦を見てから、口を開いた。

「個人情報よ」

「俺は、KAKERAを守りたい」

「そうね。わかったわ。じゃあ、教えてあげる。彼の病名は、アルコール中毒。でも、実際は、もっと複雑みたいね。高度な医療関係者が、世界中から出入りしているもの。すべて、精神科の」

「金に物を言わせて、か」

「一族でも、持て余し始めているみたい。最近は、特に、奇行が目立ってたみたい。感情の起伏も異様だったって、取引先の話も聞いたわ。それに先月、お手伝いさんたちを全部、首にしたのよ。今は工場みたいに大きなお屋敷に、KAKERAちゃんと二人きりで住んでいるみたい。とても、歪んだ生活になるわ、そんなことをしたら」

「そうだ。そいつは、脳味噌も全部、歪んでいるんだ」

「でも」

 美湖は、言おうかやめようか迷ってから、続けた。

「同じお医者様に、KAKERAちゃんもかかっていたの」

「父親が、嘘の病名を押し付けてたんだろう」

「それはあったかもしれないけど。でも、KAKERAちゃんも、ちょっとずれていたわ。初めて会った時、ネズミを退治するために、ネコイラズを買おうとして、お店の人を困らせていたのよ。未成年には売れませんって言われても、食い下がっていたものね」

 その瞬間、脳裏に鮮烈なイメージが弾けるように現れた。

「美湖」

「なあに」

「KAKERAの家に連れて行ってくれ。大至急だ。知ってるんだろ、KAKERAの家の場所」

「どうして」

「KAKERAが、危ない。いや、そうじゃない。KAKERAが、取り返しのつかないことをする。止めなきゃならない。KAKERAの家に、行ってくれ」

 美湖はちょっとだけ考えてから、答えた。数彦の言おうとしていたことに気づいた表情だった。

「え、ええ。わかったわ」

 美湖は、自分の肩を、痣が残りそうな力でつかんだ数彦の顔をじっと見て、それから運転手に言った。

「岡田さん。聞いてましたでしょう、車、回して」

「はい、奥様」

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