第16話 バスタオル
理瑠の居所を突き止めようと、思いつく限りの知り合いから伝手を辿り、その友達の友達と、電話をかけ続けた。しかし、何の成果もなかった。
ただ、時間と携帯のバッテリー残量だけが消えていった。
同時に、KAKERAの住所の手がかりも探そうとした。
どんな服を着ていたか思い出し、それを売っているブティックを探そうともした。店の人間がKAKERAのことを知っているかもしれない。
しかし、どこに行き、誰と話をしたらいいのか。曖昧模糊とした情報では何も出来ず、時間の無駄が増えるだけだった。
どこかで会えるかもしれないと思い、ジングルベルの鳴り響く街をあてもなく歩いた。すぐにまた、部屋に戻ってきているのではないかとも思い、戻って置手紙を探した。
何もなかった。
数彦は、自分の無力さと、迂闊さを痛感した。
日が沈み、部屋に戻ってきた。街を飾るイルミネーションの華やかさに、耐え切れなくなったからだ。
疲れきった身体をベッドに横たえると、もう何も出来なかった。
食事も満足にとっていなかったが、空腹は感じなかった。シャワーを浴びたいと思ったが、立ち上がる気力はなかった。そのまま、意識が深いところへ落ちていった。
そして。どれくらいの時間がたったのか。
かすかな気配に、目が覚めた。というより、数彦には、目が覚めたように思えた。しかし同時に、まだ夢の中にいるような気持ちもしていた。
それでも現実のものらしい人の気配を感じて目を凝らすと、KAKERAが、ベッドの横に立っていた。
じっと、数彦の顔を見つめていた。
「帰ってきたのか」
そう言ったつもりだったが、唇が動いたかどうかも怪しかった。
KAKERAは腰をかがめると、数彦に顔を寄せた。唇に、氷のような冷たい感触を感じた。
「KAKERA」
闇に浮かぶ白く小さなその顔は、泣きそうなようにも見えた。よく見ようと思った。しかし瞼が降りようとして、邪魔をした。
それから、五分寝たのか、二時間寝たのか、はっと起きたのは、シャワーの音が原因だった。
誰かがシャワーを浴びている。数彦は、自分がシャワーの栓を開けていないことはわかっていた。
あの夜のことを思い出した。KAKERAが、出しっぱなしにしたシャワーを浴びながら、発作を起こしていた夜のことを。
いっぺんに目が覚めた。
シャワーの音は、はっきりと聞こえていた。しかも、あの夜と同じ、音に変化のない、単調な音だった。
数彦はベッドから跳ね起きると、シャワー室へ走った。脱衣所に、折りたたまれた服があった。それを跨ぐようにして、ドアを開けた。
KAKERAがいた。
頭からシャワーを浴びていた。直立不動のままで。湯気の中の、目に染みるほど白い身体に、声をかけた。
「どうした」
返事はなかった。また、発作が出たのかと思い、心臓が苦しくなった。
「大丈夫か」
数彦は栓を締め、シャワーを止めた。直立不動のKAKERAに反応はなかった。
スチーム管の上でほかほかになっているタオルを取り、KAKERAを包み込んだ。あの夜と同じように。
そして、タオルごと、KAKERAを抱きしめた。強く。KAKERAが砕けてなくなってしまうんじゃないかと思うくらいに。
しばらくして、数彦は気づいた。KAKERAの身体が震えていた。それはすぐに、嗚咽という形でKAKERAの全身に広がっていった。
何も聞かずに、そのままKAKERAを抱きしめ続けた。KAKERAが、啜り泣きながら、声を漏らした。
「僕、また、汚れちゃった」
数彦は抱きしめている腕に、さらに力をこめた。KAKERAの濡れた黒髪に、頬擦りした。
「お前は汚れてなんか、いない」
「汚くなっちゃった」
「汚くなんてない。綺麗だ。お前は、とても綺麗だ」
KAKERAが顔を上げた。泣き腫らした目で、タオルの中から、数彦を見上げた。
「綺麗?」
「ああ、今のお前は、とても綺麗だ。俺が困るくらいに、綺麗だ」
「本当に」
「俺の言うことを信じろ」
KAKERAは、数彦の胸に顔を埋めると、泣きじゃくり始めた。
KAKERAはシャワー室から出ると、そのままバスタオルごとベッドに倒れこみ、寝てしまった。
数彦は、あの夜と同じように、KAKERAを包み込むようにして、添い寝をした。
次に気づいた時、すでに夜が明けていた。窓の外は相変わらず薄暗かった。しかも、まだ雪を降らせずにいるようだった。
雪の女王は、本気で、クリスマス・イヴまで持たせようとしているようだった。
KAKERAが目覚めようとしていた。数彦はそっとベッドを抜け出ると、キッチンへ行き、お湯を沸かした。
コッヘルの蓋が鳴りはじめた時、KAKERAが目を覚ました。数彦はベッド脇に行き、KAKERAの顔を覗き込んだ。
「おはよう」
KAKERAは、きょとんとした顔で、数彦を見上げていた。その表情が気に入って、夜中のお返しをした。
KAKERAはびっくりして、自分の唇に指を添えた。それから、数彦を見て、泣きそうな笑顔を見せた。
「レモネードを作っている。ベッドまで運んでくるから、待っていろ」
KAKERAは小さくうなずいた。それから、指で自分の唇の感覚を確かめた。夢ではないことを、自分の脳にはっきりと認識させようとするかのように、何度も繰り返していた。
数彦がレモネードを持ってくると、KAKERAが窓を指差した。
「窓の外を、見てくれますか」
窓辺に寄り、窓を開けた。冷え切った湿っぽい空気が、部屋の中に流れ込んできた。
予想どおり、垂れこめた雲はまだ、雪を降らせてはいなかった。ただ、その我慢も限界のように見えた。
「今夜は、きっと、雪です」
「今夜か。雪の女王に聞いたのかい」
「ええ。言っていました。クリスマス・イヴに、雪を降らせるそうです」
数彦は、机の上のカレンダーに目をやった。クリスマス・イヴだと気づいた。
「一緒に、雪が降るのを見よう」
「僕と一緒にいると、雪の女王が来ちゃうかもしれませんよ」
「来たら一緒にひやかしてやろう」
数彦は、KAKERAを二度と離さないと決めた。
たとえ、血のつながった親がいても、それが親としての義務も果たさず、責任も感じていないのなら、渡してはいけない、そう決めた。
これ以上、KAKERAに重荷を背負わせることは、考えるのも嫌だった。
ベッドの中で、バスタオルと毛布に包まりながら、窓の外の寒寒とした空を見ているKAKERA。
レモネードに息を吹きかけながら、その湯気に少しむせているKAKERA。
ずれた毛布の下から、哀しいほどに細く白い肩が見えているKAKERA。
それは、自分が守らなければいけないものだった。
数彦は、自分の下着とスウェットをKAKERAに着せた。だぶだぶだったが、湿った服よりはましなはずだった。
「着ていた服は、洗濯は出来ないが、スチーム管で乾かすことはできるからな。乾いたら着替えたらいい。それまで、俺の服で我慢してくれ」
「僕も、こういう服が欲しい」
「スウェットか。あとで一緒に買いに行こう」
「はい」
「ははは。いい返事だな」
数彦は、KAKERAとクリスマスの計画を練った。そのあとの、「天球儀」の大掃除の手伝いも乗り気だった。
楽しそうに話をするKAKERAを見ながら、数彦は心からほっとした。昨夜の精神的ダメージは、そこにはなかった。
もっとも、表面的な部分だけで判断してはいけないということもわかっていた。
精神的なダメージには、突然、過去が襲ってくるフラッシュバックという現象もあると知っていた。
理瑠からどんな話を聞かされたのか、一緒に買ったものがどんなものなのか、など、聞きたいことはいっぱいあった。
しかしそれは、もっとあとで、KAKERAの落ち着きが確認できてからにしようと決めた。
今は、このまま、穏やかな時間を過ごしてくれればいい、そう思っていた。
一方で、KAKERAの父親のことを考えた。考えるだけで、怒りが込み上げ、腹がきりきりと痛んだ。どんな人物かは知らないが、今すぐにでも押しかけて、殴り倒してやりたかった。
しかし、現実の問題として、それは得策ではないということもわかっていた。KAKERAを保護することが最優先事項だった。
悩んだ末、こういう時は、美湖に頼るしかないと結論づけた。
数彦の心の底まで根掘り葉掘り聞き出さなければ許してくれないだろう。買い物に付き合わされることになるだろう。しかし、背に腹はかえられなかった。
逆に今、KAKERAの父親が、ここを嗅ぎつけ、怒鳴り込んでくる可能性もあるのだ。しかしそうなればなったで、逆に怒鳴り散らしてやろうと思っていた。
携帯の美湖の登録番号を呼び出した時、ドアがノックされた。
数彦はKAKERAと顔を見合わせた。KAKERAはきょとんとしていたが、数彦は、まさかが本当になり、父親が来たのかもしれないと思った。
「どちらさんですか」
返事をしたのは、予想もしなかった人物だった。ここの大家だった。ドアを開けてくれという声が少しだけ、不自然に感じた。
携帯は美湖を呼び出し続けていた。それを片手に、玄関のドアの鍵を開けた。
ドアの向こうにいたのは、大家だけではなかった。背広を着た男が数人と、スーツ姿の若い女性が一人、廊下の左右を固めるように立っていた。
大家の横に立っていた男が、派手なものを見せた。はじめて見る警察手帳だった。
警察だと名乗った男の背後にいた若い女性が、数彦の後ろを顎で指し、何事か隣の男に囁いた。目の前の男は、穏やかな顔で、数彦に告げた。
「未成年略取事件の参考人として、署の方でお話を聞きたいのですが」
手の中の携帯から、美湖の不審げに呼ぶ声が聞こえていた。
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