第7章 嵐山の出会い


 太陽が地平線下6度に迫ると、乳白色の靄は名残惜しそうに消え去り、東の空にはあけぼの色がほのかに染まってくる。


 その色彩の変化に合わせて、嵐山のシルエットがはっきりと浮かび上がり、渡月橋の足元に流れる桂川にはやわらかな光が映り込む。それは、まるで「黎明の銀世界」が目を覚ますかのように美しく輝いていく。


 僕はただ無心となり、ひたすらレンズを向けた。幾度もシャッター音を響かせて、その一瞬一瞬を切り取った。そのゆっくりと移ろう景色は、僕の夢にも焦がれた世界であり、僕の人生を変えるかもしれない希望だった。カメラを抱きしめて、涙がこぼれるのを感じた。それは感動の涙でもあり、達成感の涙でもあった。


 詩織は僕の真剣な気持ちに応えるように、優しい笑顔を見せてくれた。僕の撮った画像を一枚一枚確認して、「やったね」と声を弾ませてくれた。続けて、嬉しい祝福の言葉をかけてきた。


「とても感動的で素晴らしい写真だね。コンテストに応募するんでしょう? これならきっと賞をとれるよ!」


 僕は首を横に振った。でも、詩織の励ましに、感謝の気持ちでいっぱいになった。


 彼女がいなければ、このポイントに来ることもできなかった。詩織に出会えたことも、運命の一部だったのだろうか……。  

 彼女は僕の手を握って、目を輝かせた。こんな風に手を繋ぐのは初めてだった。僕は詩織の笑顔に心が揺さぶられた。


「冗談じゃないよ! 私、写真だけは見る目があるんだから……」


 詩織は僕の写真を見て、本当に喜んでくれたのだ。そんな彼女に、僕はどうしても想いを伝えたかった。


「今日は本当に楽しかった。ありがとう」


「こちらこそ。私もすごく嬉しかったわ。さっきの写真、素敵だった。悠斗さんはすごい写真家だよ」


 彼女は僕の名前まで呼んで、何度も写真を褒めてくれた。


「そんなことないよ。僕はまだまだだよ。でも、詩織さんのおかげで、こんなに素晴らしい景色を撮ることができたんだ。詩織さんは、僕の夢を応援してくれる、大切な人だよ」


 僕は思い切って言った。詩織は驚いたように目を見開いた。そして、照れくさそうに笑った。


「私も、悠斗さんの夢を応援したいと思ってる。悠斗さんは、私の大切な人だよ」


 僕は詩織の言葉を聞いて、渡月橋の欄干に寄りかかり、桂川の水面に映った自分の顔を見た。照れながらも嬉しくなったのか、顔が真っ赤になっていた。


 詩織は僕の気持ちを察したように、右手を差し出してきた。それは、ただの握手だったかもしれない。けれど、雪の花のように白くて柔らかい手触りをしていた。そして、僕の心をつないでくれた。


 僕の顔を見上げて、詩織は真剣そうな表情をした。僕は彼女の瞳に惹きつけられた。彼女の瞳には、何か言いたげなものがあった。


「ねえ、また会える?」


 詩織は自ら僕にそう尋ねてきた。彼女は積極的な女性だった。僕はそんな彼女の姿勢に見惚れてしまった。詩織の姿は、青空の太陽のように情熱的で、その笑顔は魅力的に輝いていた。


「うん、もちろん。電話番号教えて」


「じゃあ、これが私の番号。メールしてね」


「わかった」


 僕は先斗町で舞妓のあかねと出会ってから、運命の女性との出会いが続いていたのかもしれない。あれ以来、目に留まる人、声をかけてくる人、誰もが可愛らしく魅力的な女性となった。

 詩織との出会いも、縁結びの神さまが授けてくれた古都を彩る雪の魔法のひとこまだったのだろうか……。僕の心の中にはあかねという大切な人がいるのに、もうひとり年上の女性に魅入られていたのかもしれない。


 そんなたわいもないことを考えていると、突然に詩織が僕の手を引いて、渡月橋の上に連れて行ってくれた。そこから見える景色は、まるで夢の中のようだった。


 雪に包まれた嵐山と桂川のせせらぎが、朝日に照らされて、黄金色にきらめいていた。空には、渡月橋から立ち昇るごとく虹色の光がかかっていた。これは、雪の結晶が太陽の光を反射して、虹のように見える珍しい現象だという。七色の光と残雪が奏でる「雪虹のハーモニー」というらしい。詩織がそっと教えてくれた。


「おおっ……。きれいだぁ」


 僕は思わずつぶやいてしまった。


 詩織は僕の顔を見て、微笑んだ。その笑顔は、雪虹に負けないくらいに、色鮮やかで、優雅な美しさを放っていた。そして、僕の心を理解してくれる女性だった。


 僕は詩織の手を握って、感謝の気持ちを伝えた。


 彼女がいなければ、この瞬間を見ることもできなかった。詩織に出会えたことも、運命のひとつだったのだろうか……。


 詩織は僕の頬に優しくキスをした。


 そのとき、僕は確信した。これは、神さまが授けてくれた古都を彩る雪の魔法のひとこまではなく、僕の人生を変える奇跡のひとこまだったと……。僕はあかねと詩織の間で心が揺らいでいたのかもしれない。

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