第6章 朝焼けの詩


 雪は夜通し降り続き、朝になってもやまなかった。寒さが身にしみる。しんしんと冷え込む中で、ひと晩ずっと寝付けなかった。


 もうすぐ、コンテストの締め切りだ。この「まほろばの里、過去から未來」へのチャレンジは、僕の夢であるプロカメラマンになるための一大決心だった。全国のカメラマンたちが参加するこのコンテストは、一流の写真家になるチャンスだ。


 僕は、京都の四季折々の美しさを写真に収めるために、年間を通して、全力で取り組んできた。ところが、一年間かけて撮りためた写真の中から一枚を選ぶことができない。どれも自分の思い入れがあって、手放すのには忍び難いものがあった。  

 しかも、どことなく、撮影作品の完成度にも100%は満足していなかった。一刻も早く、プロ写真家として認められたい。夢を叶えたい。でも、熱い想いが焦りに変わってしまっている。



 眠れない夜、庭に目をやると、月明かりが照らす樹木や草に氷華が咲いているのに気づいた。これは、京都人の美意識の象徴となる「風雅」だろう。

 僕は雪や月、そして花にも神が棲んでいると聞いたことがあった。そうならば、これは恋や結婚の女神からの贈り物なのだろうか。


 女神は、写真家としての夢や希望を支える一方で、あかねとの再会を促してくれているのかもしれない。


 僕は一瞬の動揺を振り切って、支度を始めた。目をこすりながら、レンタカーに飛び乗り、嵐山へと急いだ。そこにはなぜか、あかねの面影が浮かんでいるような気がした。あかねの笑顔をもう一度見たい。僕はあかねとの未来を描きたかった。


 写真のデザインや撮影の構図は、朝焼けの雪景色に合わせて、脳裏にしっかりと描いている。初春を迎える嵐山と渡月橋がコラボするイメージだ。

 渡月橋は、月を渡る橋と書く。その名のとおり、月明かりに照らされた橋は、まるで空に浮かんでいるようだ。三脚にセットするのはもちろんだった。


 車はまっしぐらに嵐山へと向かっていく。周りは真っ白な雪原だ。ときおり、雪だるまや雪像が見える。子どもたちが作ったのだろうか。楽しそうだなあ……。僕も幼い頃はよく雪遊びをしたものだ。

 けれど、悠長なことは言っていられない。目的地まであと何キロだろうか。時計を見ると五時半だ。日の出はもうすぐだ。間に合うだろうか。


 車内は暖房で暖かいが、きっと外は氷点下だろう。息が白くなっている。窓ガラスにも霜がついている。風切り音が耳に響く。


 嵐山駅近くに車を停めて降りると、寒さに震えた。おお……寒い。吐く息まで凍てつくようだった。駅前では早朝からカメラマンが集まっていた。

 彼らも同じように、一発逆転を狙っているのだろうか、眼差しは真剣そのものに見えていた。撮影スポットは、限られている。河岸に行ってみると、やはり皆も朝焼けの嵐山と渡月橋を撮るのだろう……。


 こんなことで、負けてはいられない。僕は自分の三脚とカメラバッグを持って渡月橋へ向かった。道すがらひとりの女性に声をかけられた。


「すいません、あなたもカメラマンですか?この辺りの案内所で働いているんですけど、今日は特別に桂川の中州に入れるんです」


「えっ、本当ですか?」


 初めて聞く話にビックリした。


 雪どけ水が減ってきたので、許可されているそうだ。ひとりだと寂しいので、誘ってくれたという。中州なら真正面からの撮影が可能だ。それは天から神さまが囁いてくれたような嬉しい提案だった。


「はい、一緒に行きませんか?」


 驚いて彼女を見た。


 もちろん、異論などなかった。笑顔で僕に手を差し出してくれた。しかも、まだ夜明け前なのに、女性の肌は雪のごとく色白で、瞳を明るくキラキラと輝かせていた。僕より少し年上だろうか……。


 彼女は自ら生野詩織しょうのしおりだと名乗ってくれた。写真を観たり撮ったりすることが趣味だという。僕は同じ志を抱く美人の仲間がひとり増えた気がして嬉しくなった。


 僕は詩織の案内で中州に足を急いだ。そこから見える嵐山と渡月橋は、まるで絵画のように幻想的で美しかった。山や橋や木々が、雪あかりで夜光虫のように青白く照らされており、心を奪われた。

 大自然の息吹が感じられ、目の前に写真家としての絶好のチャンスが、訪れようとしていた。


 ────日の出まであと数分だった。

 10. 9. 8. 7. 6. 5……。いよいよ、カウントダウンが始まった。僕は詩織と息をひそめて心を落ち着かせるように、そのときを待っていた。


 

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