第45章 十年ぶりの再会
「辻井一郎さんですか? 今、どこにいらっしゃいますか?」
僕は心に誓った約束を果たすべく、すずさん親子との待ち望んだ再会の夜を迎えていた。彼女たちが心から会いたがっていた男性に連絡を入れたのだ。
しかし、その声は祭りの賑わいに飲み込まれそうになる。自分の声が彼に届いているのだろうか……。
「ああ、悠斗さんか。ちょうど良かった。鎧武者が目立つところにいるよ」
彼の返事が聞こえてきた。耳を澄ますと、彼の声は楽しげに響いていた。
「それなら、その場を動かないでください。僕たちもすぐに向かいますから」
僕は力強く、大きな声で返事をした。すずさんの車椅子を押しながら、人混みをかき分け、鎧武者や
なにぶん、すごい人だかりだ。思うようには進めなかった。しかも、僕は辻井さんに会ったこともなかった。そのとき、助け舟が出された。それは、すずさん本人の声だった。
「一郎はん、一郎はん、こっちこっちや。あれが、あかねのおとんや」
すずさんは、心から愛する男性を見つけて可能な限りの声で叫んでいた。僕らの向かい合わせの観客たちの中から、紬の和服をお洒落に着こなしたひとりの男が見えてきた。彼の紺地の着物姿には、真っ白な風車の紋様が美しく描かれていた。
辻井さんは僕らに向かって、「ここだよ、ここだよ」と、手を振ってくれた。男の姿は遠くから見ても、まるで京都の若旦那のような風格を放っていた。
すずさんは、一郎さんと再会できたことがよほど嬉しかったのか、目を潤ませながら満足そうな笑みを浮かべていた。その笑顔は、彼女が心から喜んでいることを物語っているように感じた。
同時に、僕はすずさんとの大切な約束を果たせた喜びで、心の中で「ああ……良かった」とつぶやいた。
「おかん、ほんまに良かったなあ。素敵な男や。うちも泣けてくるわ」
そう口にしたあかねの細やかで深い感情に触れ、僕は目頭が熱くなった。それは、すずさんだけでなく、あかねにとっても大切な男性との感動的な再会だったはずだ。
彼女の手をしっかりと握りしめて、うなずき合った。その瞳からは涙が溢れていた。父親との十年ぶりの再会に、きっと胸に迫るものがあったのだろう。
一郎さんはあかねを優しい眼差しで見つめながら、何度も頭を垂れていた。そこにもきっと複雑な想いが交錯していたのだろう。
あかねは照れくさそうな笑みを浮かべて、母親の陰に隠れ、父親の横顔をそっと眺めていた。
そのとき、僕の耳元になんとも心地よい祭りのメロディーが響き渡ってきた。それは、悠久の歴史を誇る京都だけに伝わる雅楽の響きだった。
独特な旋律とリズムが空気を揺らし、祭りの雰囲気を一層高めてくれ、僕の心を揺さぶった。まるで時間を遡った平安時代の世界に転生していくような感覚を与えてくれた。
祭りのメロディーが続く中、僕とあかねはすずさんと一郎さんの再会をそっと見守っていた。彼らはふたりならではの昔話に、花を咲かせていたのかもしれない。
すずさんの笑顔は、まるで若い頃に戻ったかのように輝いていた。そして一郎さんは、これまでの想いが蘇ったのか、涙で頬をぬらしていた。
「あかね、ふたりとも幸せそうだね」
僕は彼らの熱い想いを感じて、あかねにそっと囁いた。あかねは僕の手を握り返し、うなずいた。
「うん、そやさかいうちらも幸せにならな」
その言葉に僕は心から同意した。
僕たちは生まれ育った境遇が異なり、しかも若すぎる恋人同士だと言われてきた。だから、これから先に待つ未来はまだ見えない。きっと、これからも茨の道が続くのだろう。
その一方で、すずさんと一郎さんは不倫の関係で別れてしまった。初めて一郎さんに会ったとき、僕は彼を黙って見守るだけだった。しかし、すずさんとの再会を喜ぶ中で、彼への感情は深い敬意と共感へと変化していった。
今夜の彼女たちの再会を見ていると、どんなに時間が経っても、どこかで赤い糸が繋がっていたと感じてくる。そんな風に思いを馳せると、不思議な愛の世界に、ますます胸が締め付けられた。
祭りの夜が更けていく中、僕らは時間が許せる限りその場に留まり、すずさんと一郎さんの再会を祝った。月明かりが増してきて、祭りの灯りが揺れる夜がより幻想的になった。それぞれが抱える想いや願いを胸に秘めながら、祭りの灯が揺れる夜を過ごした。
そして、その夜、僕は改めて自分の胸に深く刻んだ。これから先、あかねとの世界にどんな困難が待っていても、互いを信じて進んでいくと……。それは、僕らが共有する深い絆と信頼を象徴していたのかもしれない。
僕の心には、まだひとつ果たすべき使命が残されていた。それは、すずさんを無事に病院へと送り届けることだった。
*
病院の看護師さんたちは、僕たちが遅く帰ることを理解して待っていてくれた。母親の元気そうな顔を見て、「すずさん、本当によかったですね」と言いながら、それぞれの仕事場に戻っていった。
僕はあかねと一緒に彼女たちにお礼を言って、すずさんを車椅子で病室に送った。すずさんは自分の病室に戻ると、安堵したのか、穏やかな表情でベッドに横たわり、「今夜はおおきになあ……。人生で最高の時間やったわ。これでお月さまも喜んでくれるやろう」と満面の笑みを浮かべてくれた。
その顔を見て、僕は思わず涙が溢れてしまった。
すずさんにとって、今夜はこの上なく幸せな夜だったのだろう。そして、僕とあかねのふたりも、その幸せの一部になれたように感じた。
僕はすずさんの手をそっと握り、「お母さん、おやすみなさい。ゆっくりと良い夢を見てください」と言った。彼女は僕の手を握り返して、「悠斗はん、おおきに。あかねもな」と言って目を閉じた。
すずさんはすぐに眠りについた。その穏やかな寝息が病室の静けさに溶け込み、僕の心を優しく包み込んだ。
すずさんの幸せそうな寝顔を見ながらひとときを刻むと、あかねと一緒に、母親のそばをそっと離れた。
不思議なことに、病室を後にしたというのに、先ほど耳にした祭りのメロディーが僕の心を掴んで消えることはなかった。それは、僕の心の琴線に深く触れて、甘美な余韻を残した。
そんな心地よい雰囲気に酔いしれたのか、すずさんの幸せを祝福し、僕は自分自身の恋心にも新たな火を灯した。
僕は、病院の出口で立ち止まった。そうして、祭りの灯が遠ざかる中で、メロディーが心に響く限り、すずさんの姿を思い浮かべ続けた。
京都の「祇園祭」や「鞍馬の火祭」が若い男女の縁を結びつける一方で、別れの場になったことを思い浮かべると、僕の魂が揺さぶられた。
あかねも、まだ心残りがあったのだろうか……。涙を浮かべ、目を赤くしていた。それは、僕とあかねがすずさんと一緒に祭りを楽しんだ、最後の思い出だったのかもしれない。
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