第25章 水占い
僕らはふたたび神社の境内にあるせせらぎの前に立っていた。授与所で買った白い紙を手にして、もう一度水占いをしようというあかねの提案に乗ってきたのだ。さっそく、あかねは笑みを浮かべて、口を開いてくる。
「お寺はんのおみくじって漢文やろ?」 あかねが聞いた。「そうや。中国から仏教と一緒に伝わってきたんや」僕は祖父から、昔に習ったとおりに説明した。
「ほな、神社はんのおみくじって? 」「それは、日本文化で創られたんやろな。和歌が書かれてることもあるし」僕は知ったかぶりして答えた。
けれど、下鴨神社の恋みくじは特殊なものだった。なぜなら、占いの紙を水に浸す〝 水うらない 〟の形式となる。
しかも、浮かべるのは、水鉢やつくばいなどの小さな入れ物ではない。なんと、境内を流れるせせらぎに、白い紙を漂わせ時間が経つと、大吉から凶までの文字が鮮やかに浮かび上がってくるのだ。糺の森に潜むといわれる水の神さまに、僕らの夢や希望を託すのだった。
結果だけでなく、待つ時間までドキドキしてしまう。僕らは授与所に出向いて占いの紙を一枚ずつ貰ってきた。
「なんか、不思議だなあ……。まるで、宝くじのスクラッチをやる気分や」
あえて、あかねを喜ばそうとふざけていた。ところが、彼女は一瞬緊張したのか、目を潤ませ、ひたむきに占い紙を見つめ、両手を合わせていた。
「悠斗はん、あかんろう。んもぉ……ふざけんといて。しっ、やわぁ。神さまに失礼やろう。金儲けとちゃうさかい」
いつしか彼女から無邪気な表情は消え失せ、あまりの真剣な仕草に言葉をかけられなかった。その面影は、初めて出会ったときのあかねだった。きっと雪景色の中で、京下駄を鳴らした少女だろう。水占いに向かって、生真面目に願う眼差しの奥には暗い闇が隠されているようにも思えていた。幸いにも、僕のみくじは「小吉」だった。そこには、「続けて精進せよ」と綴られていた。
「あかね、おみくじはどうした……」
「はぐれ鳥みたいに消えてもうたの」
彼女からは切ない返事が届いた。占い紙が笹舟に乗って流されてしまったというのだ。それを聞いて、僕は何とも言えない気持ちになった。少女の笑顔が消えていく様子が目に浮かんだからだ。本当のところはどうなのだろう。あかねは精神的に病んでいるのだろうか……。
目の前で無邪気に戯れているあかねを見つめた。彼女はまるで別人のようだった。もしかしたら、二重人格なのかもしれない。そんな身勝手な妄想が頭をよぎった。でも、僕は確信が持てなかった。そこには何か秘密があるはずだ。
ふたりのデートは時間との戦いだった。あかねがなぜそうなったのか、詳しく聞くこともできなかった。時計の針は午後の四時を指していた。デートが終わるまで、残された時間はあと二時間しかなかった。民家に明かりがつく頃には、彼女を家まで送らなければならなかった。
僕はあかねの手を握りしめて歩き出した。彼女が笑ってくれるように、何かできないだろうかと思いながら、時計を見て考え込んだ。
「早う、早う行こう。悠斗は『のんびりやさん』やさかい、置いてけぼりや」
小走りで、下駄の音色を鳴らしてゆく。見たところ、足はすっかり大丈夫らしい。けれど、こんなおてんば娘だとは知らなかった。
縁日の屋台がずらりと並ぶ境内は、明るい灯りと人々の声で賑わっていた。糺の森にも露店が出ていて、色々なものが売られていた。若いカップルが手をつないで歩いている姿が目についた。
彼女は私の腕をぎゅっと引っ張った。京都ならではの名物が食べたいと言って、和菓子屋に向かった。矢来餅や豆大福、わらび餅やどら焼きなど、どれも美味しそうだった。
他にも冷やしきつねうどんや抹茶のグリーンティー、えびせんべいや甘酒、京野菜など、京都らしいものがたくさんあった。定番のいか焼きや焼きそば、チョコレートばななやかき氷なども目に入った。屋台の数は数え切れないほどだった。
森の中は木々の香りと涼しさで満ちていた。ふたりは童心に返って、屋台で遊んだり食べたりした。彼女は射的でハズレキャラメルをもらって笑った。りんご飴をほおばって甘さに満足した。たこ焼きをひとつずつ口に運んで美味しそうにした。綿菓子の店の前では、「高いなあ……」と浴衣姿ではしゃいだ。彼女の可愛らしさに、僕は胸がときめいた。
この時間が、永遠に続けばいいのに。そう思った瞬間、母親との約束が頭によぎった。あかねはまだ未成年だった。もし親にバレて訴えられたら、どうなるだろう。実娘をだましたと言われても仕方ない。
僕は自分がどう思われようと構わなかったが、彼女に迷惑をかけるわけにはいかなかった。彼女と会ってからまだ四回目だった。初めて出会った風花の坂道、嵐山で起こったトラブル、ひだまりの病室での再会、そして今日の糺の森での初デート。
あかねとのデートが終わってしまうのが怖かった。そんな想いが心に渦巻いた。空を見上げると、太陽がゆっくりと沈んでいくのが見えた。日中は暑くて汗ばんだ日差しが、だんだんと柔らかくなっていた。僕はデートの締めくくりに、鴨の七不思議のひとつ、「何でも柊(ひいらぎ)」を観てみたかった。
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