第24章 甘いひととき


「なあ、悠斗はん。水占いもしてみたい」


「水占い?」


「ええやろう……。ほな、いこか」


 あかねは何を思ったのか、可愛らしい京都弁で甘えてくる。水占いがやれるところまでは、結構歩かなくてはいけなかった。なにぶん、下鴨神社の境内は広くて、東京ドームの三個分はあるという。退院したばかりの彼女のからだを心配していた。


「遠いぞ。おんぶしてあげようか」


「もう、イヤや。恥ずかしいさかい」


 彼女は「もう子供と違うさかい」と口を尖らし、手にするうちわで顔を隠してしまう。さらに自分のうなじのほつれ髪が気になるのか、小首をかしげて直してゆく。僕には、あかねの仕草が、まるで駄々っ子のようだった。


「本当にやりたいのか?」


「うん、ほんまや。水に浸すと文字が浮かび上がる仕掛けのギミックやて。恋愛運とか金運とか色々占えるんやで。すごいやろう」


 彼女は楽しそうに説明した。


「へえ、面白そうだな。けど、変な凶とか出ても泣くなよ」


「そんなん、へっちゃらや」


 普通の女性なら、最悪の凶みくじを手にしたら怖じ気づくだろう。しかも、今の彼女にとっては酷にも思えていた。正直なところ、あまり乗り気はしなかった。

 僕はあかねに折れて、水占いの売店でおみくじを購入し、御手洗池みたらしいけへと向かった。池に浮かぶ蓮の花が目に涼しげに映っていた。


「ほな、一緒に浸けてみよか」


 彼女はそう言って、僕に優しく微笑んだ。


「いいね」


 僕もあかねの意見を受け入れた。ふたりは手をつないで、おみくじを水に浸けた。すると、文字がどんどん濃くなっていく。


「わあ、見て見て! うちら大吉や!」


 彼女はうれしそうに叫んだ。


「本当だ! すごいな!」


 僕もうれしさのあまり驚いた。正直に言って、彼女の占い紙に不運を告げるものがあったらどうしようかと悩んでいた。ほっと、安堵した。


 ふたりでおみくじの内容を読んだ。旅行や恋愛、学業や仕事、金運や体調、お願い事など、全てが良いことばかりだった。けれど、彼女の眼差しには、憂いすら浮かんでいるように見えた。


「これはラッキーだね」


 僕はあえて元気そうに振る舞った。


「ほんまやね……。これからも悠斗はんとずっと一緒にいたい。うちたち、運命的なお似合いのカップルかもしれんなあ」


 彼女は僕の気持ちを察したのか、すぐに抱きついてきた。


「もちろんだよ。あかねのこと好きだよ」


 僕はあかねの唇にそっと触れた。初めてのキスだった。彼女は目を閉じて、僕の気持ちに応えてくれた。優しくて甘いキスだった。

 あかねの黒く艶やかな髪を撫でながら、彼女のぬくもりや香りを感じた。あかねは僕の胸に頭を埋めて、小さく息を吐いた。僕は彼女が大切だと思った。

 

 僕は水占いで引いた二枚のおみくじをポケットにしまった。それは大吉で宝物のように思えた。彼女と手を繋ぎながら、糺の森でもっと幸せいっぱいのデートを楽しんでいたかった。けれど、あかねはまた子供のように、駄々をこねてきた。


「もういっぺん水占いしたいねん」


 彼女は僕の手を引っ張ってきた。僕は笑って「もう十分だろう。まだ、七不思議はたくさん残っているんだよ。時間も限られているから、次を探しに訪ねて行こう」と誘ったが、彼女は聞く耳を持たなかった。

 可愛らしい女性なのに、思い立ったら突っ走る頑固なところに気づいてしまう。万が一にもへそを曲げたら大変だろう。


「七不思議なんてつまらん! 水占いがしたいんや!」


 あかねはそう言って、泣きそうな顔をした。僕は彼女の可愛さに負けてしまった。


「わかった、わかった」


 けれど、歩きっぱなしで少し疲れていた。彼女もきっと同じだろう。それに小腹も減っていた。運がいいことに、道すがらどこからか香ばしくて甘い匂いが鼻腔をくすぐってきた。『みたらし亭』と書かれた幟旗のぼりばたが心地よい風になびいていた。


 僕らはみたらし祭開催中の看板がある店先で立ち止まった。そこには、鰻のイラストが描かれていた。今日は、僕の大好物の鰻で有名な土用の丑だった。

 一方で、そこは「鴨の七不思議」の三番目となる「御手洗池の水泡」の謎を解き明かす聖地だった。


 あかねは目の色を変えて、看板の案内を読んでいた。僕も追っかけてみた。池に足を浸して無病息災を願うことから、別名「足つけ神事」とも言われているらしい。湧き水に裸足のままで入り、祭壇にロウソクを献灯するそうだ。

 真夏でも地下から湧き出る冷水となり、身を清められる。常には水は流れないが土用になると池底から水が湧き出てくるという不思議で、その湧き出る水泡の形をもとにして団子にしたのが、みたらし団子だと言われていた。僕は、その由来を知って団子を食べたくなっていた。



 池の方角を見ると、浴衣を着る少女たちがろうそくを持ちながら、清水に足をひたしていく。お日さまの光がほのかにやんわりと差し込み、赤い社や青い空、そして緑の木々が溶け合うようなコントラストの景観に見とれていた。


「真ん中に立ってみて」


 僕はあかねをモデルにして、カメラのレンズを向けていた。彼女が羽織る薄紫の浴衣色も加わり、ファインダーから覗く姿は可愛い少女の画像となる。合格点の出来映えに満足して悦に入り撮影したモニターを見せてゆく。なんと言ってくれるのだろうか。気になってしまう。


「えらい良う撮れてんねん。そうそう、言い忘れとったのかんにんな。新人賞おめでとう。もう、すっかりプロのカメラマンやな」


 やっぱりあかねから褒めてもらうのが、一番嬉しかった。朝から彼女と会うのに夢中となり、ろくすっぽ食事をとっていなかった。しかも、タバコまで吸いたくなっていた。


「先にみたらし食べてからにしよう。もう、お腹ペコペコ。花より団子や」


「ううん、しゃあないやろう」


 あかねの顔には、まんざらでもないという微笑みが浮かんでいた。けれど、寺社内は火事を防ぐために、タバコを吸えないことになっているらしい。ああ……。残念だなあ……。


 僕らは早速、熱々の団子を注文して、ほおばった。それは、見た目はそっくりだったが、初めて東京で食べたみたらし団子の味とは全然違っており、目を見開いた。    

 彼女は、「この味、この味……」とうなずきながら、僕に嬉しそうな笑顔を見せてくれた。「悠斗はん、これ、最高のごほうびやな」とあかねは言ってくれた。僕も同じ気持ちだった。でも、その楽しさはまだ終わらなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る