第23章 ふたりの願掛け


 古くから自然と人間の調和を守る「糺の森」をゆっくり進むと、幅の細く長い道に出会った。その道は僕らの人生のように、どこまでも続いているように見えたが、その先に何があるのかはわからなかった。僕は、あかねに聞いてみた。


「あかね、この道はどこに続くんだろうね?」


「うちにもわからへん。そやけど、悠斗はんが一緒やったら安心やさかい……。そやけど、あれなんやろう?」  


 彼女は不思議でならないといった様子で目を細めながら、そうつぶやいた。僕は彼女の目を見て、彼女の目線の先には、三本足の鳥が描かれた不思議な紋様が描かれていた。僕はその紋様をどこかで見た気がしていた。


「あれは八咫烏(やたからす)や。日本の神話に出てくる太陽の化身や」


 目を凝らすと、下鴨神社の「七不思議の四番目の謎」を解き明かす案内札が立てられていた。そういえば、この鳥を模した紋様が境内のあちらこちらで目に飛び込んでいたことを思い出した。そのからすは、下鴨神社の守り神的なシンボルだった。

 僕は子供の頃、おじいちゃんによく神話の話を聞かされていた。その中に、八咫烏という鳥が出てきて、神武天皇を導いたという話があった。その話が好きだった。

 八咫烏は太陽のように明るく強く、人々を助ける神だった。僕はあかねに教えてあげた。ふたりでちょっとだけ立ち止まって、案内札を読んでいく。そこにはこのように書かれていた。


 八咫烏(やたがらす)は、日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされる太陽の化身です。中国や朝鮮にも似た伝承が残っており、三足烏(さんそくう)と呼ばれている。三本の足は、陽の数である「三」を象徴し、太陽の力を表すと言われています。


 皆さんも、心の中にしっかりと「三」の数字を刻んでください。きっと良いことがあるでしょうから……。


「あかね、この道は三叉路になっているらしいよ。真ん中が烏縄手(からすなわて)の道というんや。昔から八咫烏(やたがらす)が案内してくれた道や」  


 僕は何も悪いことをしていなかった。ただあかねと一緒にいたかっただけだ。しかし、僕は彼女の母親が残した言葉を思い出していた。彼女は僕に「約束を守っておくれやす」と冷たく言い放っていた。

 母親はあかねが大怪我したことを、僕のせいだと勘違いしているようだった。彼女は僕と会ってから、学業も舞妓さんの修行も疎かになったと嘆いていた。でも、僕はまったく逃げたり隠れたりしなかった。これからも胸を張って、彼女と歩いて行きたくなっていた。


 ところが、僕には忘れられないふたつのわだかまりが残っていた。そのひとつは、最初にあかねと会ったときに彼女がもらした言葉だった。「お茶屋の若旦那」の話はどうなったのだろうか……。でも、あかねに問いかけると、彼女がどこかに消えてしまいそうな不安すらして、今の僕にはどうしても口に出せなかった。

 それと、もうひとつ、あかねはなぜ嵐山の桂川に流されていたのだろうか……。彼女が桂川に流された原因や、先斗町や嵐山が魔界や黄泉の国の入口だったことを知らない僕は、彼女の魅力的な姿に心が揺らいでいた。そんな僕の想いを知らないのか、あかねは可愛らしい姿を見せてくれた。


「へえ、そうなの。どないな神様が案内してくれるの」


 あかねは、興味津々に紋様を見つめた。


「下鴨さんの神様は古くから縁結びや子育ての神さまや」  


「縁結びや子育ての神さま……。素敵やな。うちも会いたいわ。羨ましい……」    


 あかねは涙ながらにつぶやいた。


 僕は、彼女の激しい感情の変化についていけないでいた。今日のあかねは笑ったり泣いたりと、ジェットコースターのように揺れ動いていた。けれど、僕はただ彼女の手を握って、そばにいることしかできなかった。


 案内札の近くには小さな丸木橋が架かっており、渡り終えると、縁結びを願う社があるらしい。そこから、せせらぎの流れを見ていると、まるで小石がアゲハ蝶のように浮かんで、キラキラと光るそうだ。

 その儚くも美しい光景を見られた恋人同士には、まもなく奇跡的な幸運が舞い降りると書かれていた。


 僕は一目散にあかねの手を引いて、橋を渡り社に向かって歩いた。


「あかね、良かったなあ……。歩けるようになって。目も大丈夫か?」


「おおきに。おかんに聞いたのやろ。もう大丈夫。ねえ、あれ見て」


「おっ、すげえ。信じられないよ」


 あかねが指さした方向を見ると、案内板に書かれたとおり、小石が不思議な力によって跳ね上がっていた。それはまるで、小石が空から降ってくる神の恵みを受け取ろうとしているかのようだった。

 僕はそれを見て、あかねの心に潜む魔物が消え去ることを心から願っていた。 

 

 木々が夏の日差しを浴びて、本殿への参道まで青々としたトンネルになっていた。僕らが近づくに従い、さやさやと葉ずれの音色すら届き、この上なく和やかな光景を見せてくれた。


「悠斗はん、気持ちいいね」


 突然、あかねはそうひとり言のようにつぶやいた。彼女の表情も、言葉どおりで生き生きとした息吹に満ちていた。そこには、京都で一番の縁結びパワースポットとも呼ばれる人気の社が見えていた。

 歩きながら、僕は二番目の案内札を見つけた。それは、「七不思議」の一番目の謎を解き明かすものだった。


「なあ、あれが連理の賢木(れんりのさかき)や。二本の木ぃ途中でひとつになってるんやって。不思議な木やなあ。ほら、女の人がみんな見てんやろう」


 あかねが指さした方向に目をやると、枝や幹が絡み合って男女が抱き合っているような御神木が目に飛び込んできた。


「本当や。珍しいな」


 僕は感嘆の声を漏らした。彼女は僕の手を引いて、御神木に近づいた。


「この木はね、縁結びの神様の力でこうなったんやって。今の木が枯れても、また同じように繋がった木が見つかるらしいの」


 彼女は嬉しそうに話した。僕は彼女の笑顔に心を打たれた。僕らは絵馬をひとつだけ買って、お願い事を書いた。彼女は想いを込めるように紅白の紐を結んだ。


「不思議な話だね」


「これで、うちらも結ばれるんや」


 あかねは自慢げに話した。彼女はいつの間にか無邪気な少女に戻っていた。僕はそれを見て微笑んだ。


「あかね、良かったね」


 僕たちは交互に絵馬を持って、お社の周りをまわった。男性は時計回り、女性は反時計回りで二周した。途中であかねと出会うと、彼女は真剣そうな眼差しを僕に向けてきた。三周目の途中で僕らは立ち止まり、手を取り合って、掛け台の真ん中に絵馬を吊るした。


「これでお願いごと、叶うとええんやけど」


 あかねはひたすら絵馬を見つめて、今にも消え入りそうな声でつぶやいた。


 僕は彼女の涙に驚いて、彼女の顔を見た。彼女は僕の目を見つめて、悲しそうに微笑んだ。僕は彼女の気持ちが分からなかった。彼女はなぜ泣いているのだろうか。僕は思わず切なくなり、彼女をそっと抱き寄せて、心静かに言葉を漏らした。


「うん、そうだね」


 あかねと一緒に相生社あいおいのやしろで二拝二拍手一拝のお参りをした後、二本の木がひとつになっている御神木の綱を引いた。この綱を引くと恋人と永遠に結ばれるという言い伝えがあるらしい。


 僕らは滞りなく儀式を終えて、安堵の笑みを交わした。


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