第13章 ある恋の物語


 季節はすっかり春になっていた。僕は話し相手となってくれる、他にも入院患者がいる部屋に移ることを希望したが、ひとりきりの個室に入れられていた。もしかすると、病室が塞がっていたのかもしれない。


 次に面会に来てくれたのは、大和田英明おおわだひであき渡邊結衣わたなべゆいのふたりだ。彼らは僕のバイト先となる写真スタジオの社長と同僚で、日ごろからお世話になっている間柄だった。


 大和田社長は、冗談好きで愉快な男だ。


「良かったな、足の怪我だけで。五本の指が動かせれば、写真くらい撮れるやろう。まぁそれはそれで辛いんだけどね~。しばらくは冬ごもりだな」


 大和田はそう言いながら、笑顔を振りまいてきた。続いて、僕と同じ年齢の結衣が、社長に煽られたようにふざけてくる。


「もう、あんまり無茶せんといてな。そやけど、女性の命を助けるなんてすごいわぁ。男らしくて見直しちゃう。悠斗のこと、好きになってしまうかも。退院したら、お祝いしてあげるからね」


 結衣は、京都生まれの美しい女性だ。カメラマンの助手よりもモデルの方が彼女にふさわしいと僕は期待を寄せていた。彼女は話すこともなく、その美しさは十人の美人を集めても匹敵するほどだった。  

 彼女は標準語と京都弁を見事に使い分け、女らしい魅力を発揮していた。そのあざとい存在は、まるで古都の悠久の歴史から現代の都会へとタイムスリップしたかのように、神秘的で輝かしい光を放っていた。


「そんな優しい言葉、初めて聞いたよ。いつもは文句ばかりだけどね」


 僕の言葉は少し辛辣だったかもしれない。


 ところが、今日の結衣は、ご機嫌で無邪気な笑顔を見せてくれた。さらに僕の顔を覗き込んで、キスではなく、額に軽くデコピンをしてきた。  

 これまでツンデレの女性の印象も強かったが、その笑顔と言葉は、彼女の中にある純粋さと、僕への深い愛情を感じさせてくれたのかもしれない。この瞬間、彼女との距離が一歩近づいた。


「そんなこと、あらへん。悠斗が、女心を理解できない男だからあかんのや」


 彼女のからかうような言葉に、僕は社長と顔を見合わせて苦笑した。


「おい、元気な顔を見られたから帰るぞ」


 そう社長は言い放つと、名残惜しそうな結衣の手を引っ張るように帰ってしまった。僕には急に話し相手がいなくなり、また退屈な時間が舞い戻ってきた。


 時が早く過ぎてくれることを祈りながら、窓から外を眺めると、一軒の寺の姿が見えた。五重塔の屋根にはまだ雪が残っていた。初春の京都はまだ冷たさが残り、雪が解けるのも遅いのかもしれない。  

 そんな風景をぼんやり見ていると、一昨日の出来事が頭をよぎった。あれは事故だったのだろうか、それとも自らの意志で……。あかねの切ない姿を思い浮かべて、自問自答を繰り返した。


 あかね、君は今何を思い描いているのだろう。その心の闇は、僕が救えるものなのだろうか。僕たちは偶然出会ったけれど、それは運命だったのかもしれない。

 君を助けたあの日、僕は何も考えていなかった。ただ、見知らぬ少女を助けたいという一心だけだった。それが、僕たちの間に何かを生み出したのだろうか。


 あの時、偶然にもあかねの命を救うことになるとは想像もつかなかった。それが運命なのか偶然なのか、今でも定かではない。

 けれど、その一瞬が僕たちの人生を変えたのは事実だ。春の訪れとともに、僕たちの関係も新たな季節を迎えている。それは、桜の花が秘めやかに咲くように。しかし、満開を見届けるまで、確実に進行している。



 先斗町で初めてあかねに出会った時、彼女はまだ舞妓さんの見習いだった。僕は、咲き始めの月下美人のような美しさに心を奪われた。一方では、彼女の心の奥底に何か闇を感じていた。その闇は僕にとって、謎めいたものだったが、それが彼女を苦しめていることだけは確かだったかもしれない。


 僕とあかねは、運命のいたずらで同じ病院に入院している。しかも、怪我のせいでお互いに動けず、会うことすら許されない不運の立場だ。それでも、僕はあかねのことを忘れられない。


 彼女は、僕にとって一番大切な人だ。彼女は、僕の運命の人だ。僕は、あかねの病室に行って、彼女の顔を見ながら、励ましてあげたかった。


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