第11章 旅立ちの扉
翌朝、新聞を持った看護師の柴咲さんが僕の病室に駆け込んできた。彼女の顔は、僕に温かく微笑んでくれるいつもの穏やかで可愛らしい様子とは違って、何か驚くべきことが起きたように見えた。
「神崎さん、おはようございます。さっそくですが、これを見てください。あなたの記事が載ってますよ」
「えっ、まさか。それは間違いじゃないでしょう」
彼女が差し出したのは、京都で今朝発行された新聞だった。そこには、女子学生を救助した若手カメラマンとして、僕の名前と行動がことこまかく紹介されていた。
記事は社会面の下部に掲載されていた。けれど、「嵐山で女子高校生を人命救助」と大きな見出しまで立てられていたので、すぐに目が留まった。
僕は取材を受けたこともないし、誰にも話したこともない。昨日は一日中、病室で静かに過ごしただけだった。柴咲さんもそのことを知らなかったようだ。
僕は驚きと恥ずかしさで言葉を失い、頭が真っ白になった。人命救助の名誉などは望んでいない。ただ、若い女性が夜明け前の寝静まる頃、寒々しい雪景色に行くなんてあり得ないはず、不思議でたまらないのだ。本当のことが知りたかった。僕の心には靄がかかり、時間が止まったように感じた。
けれど、彼女は僕の気持ちを察したのか、明るく励ましてくれた。
「神崎さん、これは悪いことではないです。気にせず前向きに捉えてみて。そうすれば、きっと良いことがありますから」
彼女は日ごろから辛いことがあった際に、そうやって考えているらしい。
「うん、そうだね……。
彼女は僕の言葉を喜んでくれた。
「ところで、神崎さんは私の名前まで覚えてくれているんですね」
柴咲さんの言うとおりだった。昨日、会ったばかりなのに、僕はもう彼女の名前を覚えていた。
彼女は恥ずかしそうに、胸のネームプレートを手で隠し、「碧(あおい)」とつぶやいた。そして僕に舌をペロリと見せてくれた。本当にお茶目で可愛らしい女性だった。
「もちろんだよ。病院でこんな素敵な女性に出会えるなんて、幸せ以外の何物でもないでしょう。これからもよろしくお願いします」
僕にしては珍しく気の利いた言葉が口から飛び出してきた。入院してまだ二日目だったけれど、病室での生活にはすでに飽き飽きしていた。少しでも彼女と長く話せる時間を作り出したかった。
「まあまあ、真面目そうな学生さんだと思ってたのに……。こんなお姉さんをからかってどうするの。でも、私には自慢の娘がいます。旦那さんはいないけど」
彼女はそう言いながら、僕の額を「このいたずら坊主さん」と言って優しく触れてきた。それは、初めて経験するひとまわり年上の女性との戯れだった。
「えっ、本当に?」
碧さんは自分のプライベートな話まで打ち明けてくれた。その言葉ひとつひとつが僕らふたりの距離を縮めていくようだった。
しかし、僕には彼女がシングルマザーで苦労しているなど、とても信じられなかった。毎回会う度に、彼女は明るく振舞ってくれていたからだ。
碧さんとの会話を通じて、僕は自分自身を見つめ直す機会を得ることができた。彼女の存在が、僕の心に新たな希望と活力をもたらしてくれた。そして一方で、彼女が抱える困難や挑戦に対する強さと勇気にも深く感銘を受けた。そんな想いに浸っていると、彼女が忘れていたかのように、口を開いてきた。
「ああ、大切なことを言い忘れてたわ。あのお嬢さん、今朝早く意識を取り戻したんですよ。良かったですね」
彼女は「ごめんなさい」と言いたそうに、両手を合わせて目を潤ませてきた。その仕草がまたいじらしくて素敵だった。
「本当に? あかねが……」
「冗談なんて言うはず、ないでしょう。神崎さんの大切な人のことを」
彼女は僕の気持ちを察していた。
「よっしゃあ。ありがとう」
僕は嬉しくて思わず声を上げてしまった。その瞬間、僕の心は満たされていく感覚に包まれた。それは、まるで乾いた大地に雨が降り注ぐような、生命力に満ち溢れた感覚だった。
碧さんの温かい言葉が、僕の心の隅々まで染み渡り、そこにあった不安や疑問が一掃されていく。
「あかねが、意識を取り戻した」という事実は、僕にとって何よりの喜びだった。
それは、彼女を救ったことへの最高の報酬であり、彼女の人生が再び始まることへの期待でもあった。
新しい旅立ちが始まり、碧さんやあかねと一緒に歩んでいくことで、僕の人生はより豊かで充実したものになる予感がする。それは新しい希望、新しい挑戦、そして新しい絆を築くことの喜びを教えてくれる。
この瞬間から、僕は自分自身と向き合い、自分の人生をより良く生きることを決意した。それは碧さんやあかねへの感謝の気持ちから生まれた決意で、これからの人生で直面するであろう困難や挑戦に立ち向かう力を与えてくれる。
そして今、僕は新しい一日を迎えようとしている。それは未知なる冒険への第一歩であり、新しい希望への扉でもある。この過ごす時間は僕にとって何よりも貴重な宝物で、それはこれからも大切にしていきたい。
僕はベッドから起き上がり、窓の外を見た。そこには、雪が溶けて緑が芽吹く春の景色が広がっていた。空には、白い雲がふわふわと浮かんでいた。太陽の光が、僕の顔に暖かく当たった。
僕は深呼吸をして、心の中で祈った。あかねが元気になって、僕に会いに来てくれることを。碧さんが笑顔で僕を迎えてくれることを。そして、僕が彼女たちに幸せを届けられることを。
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