第3章 あかねとの出会い


 綿毛のような雪が舞い降り、先斗町の花街を真っ白な絵画に変えていく。僕はカメラを手に、古都の魅力を探し求めて歩いた。この花街に足を踏み入れると、変わらぬ日本の美しさが目に飛び込んできた。


 冬の先斗町は、雪化粧が施されて、華やかさを増していた。入り口には風に揺れる柳と鹿おどしがあり、格式高い老舗のお茶屋が立ち並んでいる。

 道幅は狭く、「うなぎのねどこ」と呼ばれるほどだ。その分、奥行きのある数寄屋造りの建物が並び、軒下には、ふぐ提灯が暖かい光をともしている。その風情に心を奪われてしまった。


 石畳の道には、赤い蛇の目傘を差した花魁や舞妓さんが姿を見せる。彼女たちは花鳥風月を織り込んだ着物で身を飾り、路地の淡雪に色とりどりの影を落としている。


 カメラでその風情を切り取ろうとしたが、そのしっとりとした美しさは見習いレベルのカメラマンの僕には手に負えなかった。僕はその場に魅せられて、呆然と立ち尽くした。


 その時、救いの手が差し伸べられた。舞妓さんが僕の撮影している姿に気づいたのか、足を止めてこちらを振り返ってきた。

 そして、後ろを振り向くと、驚いたように目を丸くした。その瞳は雪の結晶のように澄んでいて、僕の心に突き刺さった。


「どないなさったん。うちになんかご用?」


 彼女はそう言って、照れくさそうに微笑んで頭を下げた。その恥じらうような仕草は、見ている僕まで心地よい気持ちにさせた。彼女の笑顔は、優しく散りゆく桜の花びらのようで、僕の心を揺さぶった。


「勝手に写真を撮って、ごめんなさい」


 僕は思わず声をかけた。


「いけずな人やなあ……。うそ、うそやん」


 彼女は言った。その言葉は京都に来て、初めて覚えたものだ。「いけず」とは、意地悪という方言らしい。なんとなく、余韻も可愛くて好きな言葉だった。


「許してくれるの?」


「うん、ええんちゃう。気にせんといて。もっと撮ってくれると嬉しかったのに」


 彼女は可愛らしい京都弁で返事をしてくれた。その声に惹かれた僕は、彼女の真っ直ぐな瞳に見つめられた。でも、僕は自分のしたことを責めていた。悪いのは、僕の方だったからだ。


「いやあ……恥ずかしい。ごめんなさい」


 僕は自分に素直になり、心から何度となく謝った。


「うちも写真えらい好きや。あんたはプロのカメラマンなん?」


「ああ、まだ見習いだけどね」


 僕は照れくさそうにつぶやいた。


「なら、うちとおんなじや」


 彼女は言った。その言葉を聞いて、僕はほっと胸をなでおろした。舞妓さんはまだ高校生だった。自宅近くの置き屋で舞子の修行をしていた。興味深そうに僕のカメラを覗き込んで、言葉を続けてきた。


「どないな写真を撮ってるの?」


 彼女が目を輝かせ、尋ねてきた。


 僕はすぐにうなずいて、カメラの液晶画面をそっと彼女に見せた。


「こっちがまばろしの鉄道線路。そっちは先斗町の夜景だよ。どちらも石畳に雪あかりが反射して、幻想的で美しい光を放っているでしょう」


「すごおすなぁ。えらいきれい。うちもこないな写真撮れたらええなあ」


 彼女は感嘆の声を上げた。僕は嬉しくなって、彼女に笑顔を返した。


「ありがとう。でも、あなたの方がもっときれいだよ。この写真を見てごらん」


 僕は液晶画面に残る彼女の舞妓さんの画像を見せてあげた。


「やっぱし、暗い顔で不細工や。せっかく撮ってくれたのに……」


 舞妓さんはわずかに白塗りが残る首を傾げて、残念そうに悔しがった。その笑顔がとても自然で可愛らしかった。僕は心密かに彼女の瞳を見つめていた。

 彼女はそれに気づいたのか、顔を赤く染めて、目をそらした。その仕草がまた愛らしくて、僕の心がときめいた。写真が現像できたら、プレゼントしてあげたかった。


 そうして僕たちの距離が近づいたのかもしれない。彼女は自分の名前を野々村あかねと教えてくれ、僕もすぐに神崎優斗と告げた。その瞬間、ふたりの間には何か特別な絆が生まれたような感覚があった。


「これは、不細工じゃないよ。とても可愛いよ」


「そないなんあらへん。うちなんてまだ髪もまともに髪をくくれへんのやさかい。ほんまに見習いや」


「見習いの舞妓さんって、どんな活動をしているの?」


 僕はつい余計なことまで聞いてしまった。あかねという少女に夢中になり、聞かなくてはいられなかった。


「そら……ちょっと話長くなるけど、かまへんか?」


 あかねは困った顔をしながらも、優しく教えてくれた。彼女は、やはりまだ見習いの舞妓さんだった。先斗町の花街で芸妓さんのお世話をしながら、日本舞踊や三味線などの芸能を習っていた。

 この街では、舞妓と呼ばれる女性たちは、白塗りの顔に色とりどりの花を咲かせるように着物の色柄や髪飾りを選び、華やかで可愛らしい姿で人々の目を楽しませてくれる。彼女たちは、古き良き日本の伝統と美しさを今に伝える、生きた雅の存在と言えるだろう。


 二十歳になると、姉さんの立場の芸妓に昇格するそうだ。舞妓や芸妓は京都の伝統文化に欠かせない存在であることを知り、僕は感心しながら彼女に声をかけた。


「それは大変だね。でも、すごく夢や希望があって素敵だよ。あかねさんは、どうして舞妓さんになろうと思ったの?」


 僕は軽い気持ちで尋ねた。それは、余計なことだったのかもしれない。あかねは僕の問いかけに答えてくれなかった。彼女の顔色が一瞬で変わるのが手に取るようにわかった。


 彼女には、不思議な魅力があった。その瞳は虚ろながらも何とも言えない潤いを帯びていて、雪景色を彷徨う白狐のようだった。

 一方で、その姿は深夜に純白の花を咲かせる月下美人に似ていた。でも、まだ花弁は開いておらず、蕾が顔を覗かせていた。見れば見るほど、僕の心を揺さぶり、新たな感情の世界を開いた。


 あかねの存在に心を奪われ、彼女の手を取りたくて、彼女の笑顔に触れたくて、彼女の瞳に映る世界を見たくて、たまらなかった。

 

 しかし、言葉にすることはできなかった。あかねは僕のものではなく、自分には手が届かない世界の人だったからだ。


 彼女との間には、越えられない壁があると感じて、僕の心は虚しくなった。ところが、彼女と一緒にいられる時間は、僕にとってかけがえのないものだった。


 あかねのことがもっと知りたくてたまらなかった。ひとことでも言葉を交わすたびに、心が弾んだ。彼女の笑顔が見たくて、何度も目をやった。それは、あかねの純粋な美しさに心から感動した、僕の彼女に対する淡い恋心だったのかもしれない。


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