第34話 現れた闇

 カフェを出て、少しだけ町を散策した後、私達は帰路につきました。


 帰りが遅くなって抜け出していることがハンス様にバレたらお叱りを受けるのは明らかですから、そうなる前に戻らないと。

 もっとも、もうすでにバレている可能性もあるわけですけど。

 しかしミシェル様はというと……。


「もうバレてるならいっそのこと、もうちょっと遊んでもよくない? どうせ怒られるのは同じなんだし」

「いけません! ただ怒られるだけが、とーっても怒られることになってしまいますよ!」


 そんなまだまだ遊び足りない様子のミシェル様を連れて、教会の近くまで戻ってきました。

 私だって本当は、ミシェル様をもっと自由にさせてあげられたらとは思いますけど、今は教会に帰らないと。


 だけど、人目を避けながら教会の裏手へと回った時、突然ソレを感じました。


「──ひぃ!」

「え? どうしたのマル?」


 小さな悲鳴を上げて急に立ち止まった私の肩を、ミシェル様が心配そうに抱く。

 だけど……ミシェル様はこれを、感じないのですか?


 突如として襲ってきたのは、まるで研ぎ澄まされた刃物のように、鋭い悪寒。

 この独特の冷たい感覚には、覚えがあります。

 そう、これは少し前シマカゴの街奪還のため遠征に行った時、戦場で感じた魔物の気配。ミシェル様を狙って巨大ミミズが襲ってきた時に感じたあれと、非常に近いもです。


 けれど、どうして今それと同じ感覚が?

 まさか、町中に魔物がいるというのでしょうか?


「ミシェル様、周囲の警戒を。危険な何かが、近づいているのかもしれません」

「何かって何? いったい何が起こって……」

「いいから早く!」

「──っ! 分かった!」


 気のせいじゃないとしたら、説明するより先に身を守らないと。

 教会の裏は小さな路地になっていて、人通りの寂しい所。周囲を見ても私達以外人影は見えません。


 ひょっとして、勘違いだった?

 そうなら良いのですが、もしも本当に近くに魔物がいるのだとしたら、この前みたいに地面の下から襲ってくる可能性だってあるのです。


 ですが地面に意識を集中させていると、私より先にミシェル様が気づきました。


「誰だ、そこにいるのは!」


 驚いて顔を上げると、ミシェル様は教会の向かい側、建物の間の暗くて小さな道をにらんでいる。


 あの先に、何かあるのでしょうか?

 すると暗い小道の先から出てきたのは……人?


 現れたのは、修道服を着た私と同い年くらいの女性でした。

 魔物じゃなかった? だけど出てきた彼女はまるで何かに怯えたような青い顔をしていて、目もうつろ。

 そして小さくブツブツと何かを喋っていたのです。


「助けて……助けて……助けて」


 同じ言葉を繰り返しながら、こっちに向かって手を伸ばしてくる。


 こ、これはただ事じゃありません!

 するとミシェル様は私を背中に隠したまま、伸ばしてきたその子の腕を掴みます。


「おい、しっかりしろ。いったいどうしたんだ?」

「助けて……助けて……」


 彼女はまるで糸が切れた人形みたいに、ミシェル様の腕の中へ崩れ落ちる。

 やっぱりこれは、普通じゃありません。それにしてもこの子、よく見たら見覚えがあります。

 たしか彼女は……。


「ミシェル様。この方、私と同じ教会の聖女です」

「なんだって? おい、大丈夫か。何があったか言えるか?」


 ミシェル様は彼女を揺さぶりましたけど、意識は戻らず。

 本当にいったい、どうしたというのでしょう?


 しかしほとんど話した事がない子なので、検討もつきません。

 彼女に関して知ってる事と言えば、少し前にシャーロットさんと一緒になって、私にミシェル様のお世話係を辞めるよう言ってきた事くらいで……。


「あら、裏切り者を追いかけていたのに、まさかアナタがいるなんてね、マルティア」


 ──誰っ?

 突然聞こえてきたもう一つの声に顔を上げる。


 すると先ほど彼女が現れた暗い小道の向こうから、同じようにもう一人、修道服姿の女性が姿を現したのです。

 ベールから覗く金色の髪に、釣り目で整った顔立ち。あの人は……。


「シャーロットさん、どうしてここに?」


 現れたのは、シャーロットさんだったのです。


 ど、どうしましょう。彼女とは前に色々あっただけに気まずいですし、今ここには、女装していないミシェル様もいるのです。もしも正体を知られたら一大事じゃないですか。


 何か理由をつけて、退散した方がいいのでしょうか?

 けど、先程倒れた彼女を放っておくわけにもいきませんし……。


「あの、シャーロットさん。この子を見ててもらえないでしょうか? 彼女、意識を失っているんです。私達、人を呼んできますから」


 咄嗟に思い付いた作戦はこう。

 倒れている彼女をシャーロットさんに預けて私とミシェル様は教会に入り、ミシェル様はそのままご自分の部屋へと帰ってもらう。そして私がお医者さんを呼んでくれば、二つの事態に対処できます。


 シャーロットさんだって友達が倒れているのですから、力を貸してくれるはず。

 けど、彼女は無言のまま私達をじっと見つめてくる。


「お願いです、協力してください。アナタの友達が、ピンチなのかもしれないんです」


 必死になって懇願するも、やはりシャーロットさんは眉一つ動かさない。

 お友達が倒れているというのに、いったいどうして?


 するとミシェル様が私に、支えていた女性を預けてきました。


「マル、この子を頼む」

「ミシェ……ミックさん。頼むって、いったい何を?」

「分からない。けどアイツ、前にマルをいじめてた奴だよね。なんか危険な感じがするんだ」


 そんなまさか。

 けど、言われてはたと気づく。

 立て続けに色んな事が起きたせいで失念してしまっていましたけど、さっき感じていた、気持ちの悪い気配。神経を研ぎ澄ませてみると、それはシャーロットさんから発せられているような……。


「俺はマルほど勘がよくないかもしれないけど、それでも騎士として修行はしてきたし、戦場に立ったこともある。だからなんとなくだけど分かるんだよ。アイツはヤバいって」


 シャーロットさんに鋭い目を向けるミシェル様。すると彼女は、ニィっと口角を上げる。


「誰だか知らないけど、なかなか鋭いですわね。ふふ、今日はそこの裏切り者にお仕置きするだけのつもりでしたけど。まさかマルティアさんと会えるなんて。予定より少し早いですけど、アナタにも罰を与えておきますわ」

「ば、罰ですか? いったい何の……」

「あら、決まっているでしょう。アナタが私を……陥レタコトヘノ罰ヨ!」


 怨みや悪意に満ちた声が胸に突き刺さる。

 その声は低くて重く、一瞬シャーロットさんが言ったものだとは分かりませんでしたけど、本当に驚いたのはこの後。

 なんとシャーロットさんの体から、黒い靄のようなものが立ち上ぼり始めたのです。


「シャ、シャーロットさん?」

「マル、下がって!」


 拳を握って身構えるミシェル様。剣を持たない丸腰とはいえ、騎士団にいただけあってその立ち姿は力強いですが、それよりもシャーロットさんから出てきた靄のまがまがしさに目を奪われる。

 そして同時に、嫌な空気が辺りを支配していきます。


 これは……穢れ? 

 前にシマカゴに遠征に行った時に大地から穢れが発生していましたけど、それと同じようにどんどん穢れが辺りに広がって行きます。


 そしてシャーロットさんから溢れ出した靄はだんだんとその形を変化させていって……真っ黒な蛇の姿へと変わりました!


「こ、これはいったい?」

「分からない……けど、マルだって気づいているよね。あの蛇、魔物だ。あのシャーロットって子が、魔物を作り出したんだ」


 ──っ!

 そうではないかと思ってはいましたけど、いざ言葉にされると事の深刻さを痛感させられます。


 通常魔物は、穢れと一緒に出現したり、穢れた土地に引き寄せられたりする生き物。

 けど中には、人間が魔物を作り出す場合だってあるのです。


 それは心が荒み、闇に落ちてしまった人が悪魔と呼ばれる存在と契約を結んでしまった時。

 その人は自らの欲望を叶えるために魔物を生み出して使役すると言われているのですが。

 ということは、シャーロットさんも……。


「マルティア・ブール。私はアナタを許さない。けど同時に、感謝もしていますの。おかげでこんなに大きな力を、手に入れることができたのですから。だからお礼に……すぐには殺しませんわ!」


 言うや否や、シャーロットさんの言葉に反応するように、蛇が口を開けて襲いかかってくる。


 やられる!

 だけどそう思った瞬間、ミシェル様の足が大きく動いて、飛びかかってきた蛇に蹴りを入れました。


「シャアッ!?」


 蹴りを食らって蛇は後ろへとふっ飛ぶ。

 けど大したダメージは受けていないのか、地面から身を浮かして、不気味に舌をチロチロさせながら、私達を睨んできます。


「逃げるよ! コイツの狙いはマルだ!」

「は、はい!」


 って、とっさに返事をしたものの。

 今私の腕の中には気絶している聖女が一人。彼女を放っておいて逃げるなんてできません。

 だけどそんな私達に、シャーロットさんが言います。


「あら逃げるの? 良いわよ、10数える間だけ待ってあげる。実はね、さっきその子とも同じゲームをしたの。私から逃げられるかどうかってゲームをね。まあ結果は見ての通り、あっさり捕まえられたのですけどね」


 ゲームって。

 彼女はいったい、人を何だと思っているのですか!?


「簡単すぎてつまらなかったわ。けど、アナタたちは楽しませてくれるかしら?」


 シャーロットさんは私達を見ながら、ニィっと笑った。




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