第33話 『あーん』の約束

 大通りを抜けてやって来たのは、オープンテラスを備えた一件のカフェ。

 屋外にある席に案内されると、それぞれパンケーキとハンバーグプレートを注文しました。


「オシャレな店だね。マルはよく来てるの?」

「時々です。けど、誰かと一緒に来たのは初めてです」


 お休みの日にここに来ることはありましたけど、いつも一人でした。

 いつか友達ができたら一緒に来たいって思っていたのですけど……叶っちゃいましたね。


 ミシェル様を友達と呼んで良いのかは分かりませんけど、こうして一緒に来られたのはやっぱり嬉しく、教会を抜け出してきたのも、ちょっとは良かったかもしれません。


「ミシェ……ミックさんと来られて嬉しいです。今までは、一緒に来る相手なんていませんでしたから」

「ああ……みんなバカだよなあ。マルの可愛さにも魅力にも、気づいてないんだもの。けどそのおかげで、俺がマルの初めてを奪うことかできたわけなんだけどね」

「ふふっ、そうなりますね」

「……今のはからかったつもりだったんだけどなあ」


 ふえ? ミシェル様、何かおかしなこと言いましたっけ?

 だけど「気づいてないならいいや」って言われて、苦笑いをされてしまいました。

 も、もしかして私、また何かやらかしてしまったのでしょうか?

 けどそんな空気を変えるように、ミシェル様が言います。


「それにしても、たまにはこうして出掛けるのも良いもんだなあ。これからちょくちょく来てもいいかも」

「え? あの、ミックさん。さすがに何度もやるのはどうかと」

「えー、良いじゃん。誰も俺のことに気づいてないんだしさ」


 確かに。周りを見ても誰も騒いでいません。ここにいる彼が大聖女ミシェル様だとは、皆さん夢にも思っていないのでしょうね。


「抜け道とか作ってさ、ハンスさん達の目を盗んでこっそり抜け出すんだよ。で、バレる前に帰ってくる。これなら、何も問題ないだろ?」

「問題大有りな気がしますけど。だいたい、そう上手くいくでしょうか? すぐにバレてしまって、警備も厳重になりませんか?」

「むー、マルのケチー」


 ミシェル様は不満げですけど、ダメなものはダメですからね。

 今日こうして抜け出せたのだって、ハンス様が忙しくて私達に構っている暇がなかったからですし。

 ハンス様、最近やけに忙しそうにしているのですよね。もしかしたら私達の知らないところで、何かあったのかもしれません。


「まあ今のは冗談にしてもさ。それでもたまにはこうやって羽を伸ばしたいよ。そもそも男の格好で外に出たのだって、いつぶりか分からないんだしさ」

「あっ……」


 ぼやくミシェル様に、思わず声を漏らす。

 そういえば、本来男性であるミシェル様が性別を偽って生活してるのって、おかしなことなのですよね。


 自室に引っ込んだ時は素を出しますけど、起きてる時の半分以上は女性として振る舞っていかなければならないのですから、きっとさぞ窮屈なことでしょう。


「も、申し訳ございません」

「え、なに?」

「私は今まで、ミックさんの気持ちに気づいてあげられませんでした。ミックさんが男性としての楽しみをお望みするのなら、出来る限りの協力いたします。私ができることなら何でもしますから、遠慮なく仰ってください!」

「ちょっ、いきなりなに言って……いや、マルのことだからきっとまた何か別の意味なんだろうけどさ。理性が揺らぐようなことを、さらっと言わないでくれるかなあ。このままじゃ俺、マルに何するか分からないよ?」

「私はミックさんになら、何をされても構いませ……むがっ?」


 話している最中にミシェル様の手が伸びてきて、口を塞がれました。


「だ~か~ら~、そういうことを言わないでって言ってるの! けどまあ分かった。そこまで言うのなら、聞いてもらおうじゃないの。俺のお願いを……」


 ミシェル様の目が怪しくギラリと光る。


 ひっ! い、いったい何をするつもりなのでしょう?

 言い出したのは私ですけど、早くも尻込みしてしまいます。

 ど、どうしましょう。もしかしたら、とんでもない約束をしてしまったのかもしれません!


 だけどそうこうしているうちに、注文していた料理が運ばれてくる。

 ミシェル様が注文したハンバーグはナイフで切ると、断面から肉汁が染みだしていてとても美味しそう。

 そして私の注文したパンケーキは、上に莓と山盛りのホイップクリームが乗っかっていて、見た目からして幸せな気持ちにさせてくれます。


 パンケーキ本体も、高く膨らませてあるふわっふわなもので、フォークでつついたらプルプルと震えます。

 一口大に切り分けて口に運ぶと、う~ん、美味しいです。


 口の中いっぱいに心地よい甘さが広がっていって、とっても幸せ。

 けど食べているとふと視線を感じて、ミシェル様がじっとこっちを見ていることに気づきました。


「どうされたのですか? ひょっとして、ミック様も食べたいとか?」

「うん。マルがあまりに美味しそうにしてたから、つい。もし良かったらだけど、一口もらってもいいかな?」

「どうぞどうぞ。遠慮なさらずに、好きなだけ食べてください」


 このパンケーキはとっても美味しいですから、ミシェル様にも是非食べてもらいたいです。

 だけどミシェル様、パンケーキにご自分のフォークを伸ばすわけではなく、大きく口を開けたのです。


「あの、ミシェル様。いったい何を?」

「さっきくれるって言ったじゃん。ほら、早く早く」

「ええと、早くと言うのは……」

「えー、食べさせてくれるんじゃないのー? 前に約束したよねぇ」


 ミシェル様の目がギラリと光って、私は自分の置かれている状況に気づきました。  


 そういえばシマカゴに遠征に行く前、ミシェル様に『あーん』して食べさせるって話をしていましたけど……あ、あれはまだ生きていたのですか!?


「もしかして、嫌なの? 酷い、さっきは俺のためなら何でもするって言ったのに。マルの嘘つき」

「えっ、……ええーっ!?」


 そ、そりゃあ確かに言いましたけど。まさか『あーん』を要求されるなんて。

 けど何でもすると言ってしまった手前、断るわけにもいきませんし……。


「どうしたの。やっぱりやってくれないの?」

「それは……ミックさん意地悪です」

「ははっ。けどマルだって悪いんだからね。一度言ったからには、自分の言葉には責任を持たなきゃ」

「ううっ、確かにそうです。わ、分かりました。そこまで仰るのでしたら、や、やってやりましゅ!」


 言葉の最後を噛んでしまい、この時点でだいぶ格好がつかないのですけど、これ以上お待たせするわけにもいきませんし、からかわれるのも御免です。

 意を決して、フォークに刺したパンケーキを差し出します。


「ど、どうぞお召し上がりください」

「固すぎるって。ちゃんと台詞も言う」

「わ、分かりました……あ、あーんっ!」

「なんか力一杯すぎて投げやりな感じもするけど、まあいいや。あーん」


 パンケーキをパクっと食べたミシェル様は、幸せそうな顔でもしゃもしゃと祖酌する。

 うう、恥ずかしすぎて二、三度心臓が止まりかけましたよ。

 だけどこれで、試練は乗り越えられたはず。後はゆっくり食事の続きをするだけ……と思ったら。


「はい、これはお返し。あーんして」

「ま、まだ終わりじゃなかったのですか!?」

「終わりだなんていつ言ったの? それともやっぱり、俺の言うことなんて聞いてくれない?」


 ず、ズルいです。さてはそれさえ言えば私が逆らうことができないって、分かってやっていますよね!?


「ううっ、今日のミシェ……ミックさんは、意地悪だから嫌いです」

「う、うむ……嫌いって言われるのはショックなはずなのに、目を潤ませながら言われると妙に心にクるのは何故だろうね。でも、そんなに嫌ならやめとく?」

「い、いいえ。やらせていただきます」


 大きくあーんと口を開くと、ハンバーグが放り込まれる。しかし美味しいはずなのに、例によって味なんて感じる余裕はありません。

 前から思ってましたけど、この『あーん』で食べるのって、すごく勿体無い食べ方なのではないでしょうか?


 もっともミシェル様は、とても満足した様子ですけど。


「ふふ、マルってば食べてる姿も可愛い。よし、これからもちょくちょくやってもらおう。約束したんだから、破らないよね」


 幸せそうな顔で、ニッコリ笑うミシェル様。

 もしかしたら私は、とんでもない契約を結んでしまったのではないでしょうか?


 それからは恥ずかしさと火照りを誤魔化すため、紅茶をガブガブ飲みましたけど。

 いつも注文しているはすの紅茶が、今日はやけに甘く感じられました。

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