第8話 お世話係はやっぱり大変
大聖女ミシェル様の正体が実は男性であることを知ってしまい、成り行きでお世話係になったのが昨夜のこと。
何と言う急展開。
まさかこんなことになるなんて、昨日の朝の私に言っても、きっと信じなかったでしょうね。
そもそも秘密を知ってしまったきっかけが、私のドジのせいですし。こんなポンコツ2級聖女に、はたしてお世話係なんて務まるでしょうか……。
いえ、弱気になってはいけません。成り行きとはいえ、もうなってしまったわけですし。
それにミシェル様だって、元々私をお世話係にするつもりだったって仰ってくれましたもの。
というわけで、人生最大の事件から一夜明けた今日。
私は朝から再び、ミシェル様のお部屋を訪れたのですが……。
「痛てて、ハンスさん痛いって。強く絞めすぎじゃない?」
「我慢して、もっと腹を引っ込めてください。でないと立派なくびれは作れませんぞ」
目の前に、信じられない光景が広がっています。
そこにいるのは昨夜と同じくウィッグをつけていない、短髪のミシェル様。
そして彼の上半身は一切何もまとっていない裸で、下も下着一枚という、とんでもない格好をされているのです。
そして腰にはコルセットが巻かれていて、ハンスさんがそれを力いっぱい締め付けています。
しかしコルセットを絞められているミシェル様は、とても苦しそうで顔を歪めている。
な、何だか見てはいけないものを見せられている気が。と言うか、半裸の男性なんて直視できるわけがありません!
だけど恥ずかしくて目をそむけていると、ハンス様の叱責が飛ぶ。
「こらマルティア! 目を反らさずによく見て、やり方を覚えろ! いずれはそなたが、これをやらねばならんのだぞ!」
「ええっ! 私がミシェル様を拷問するのですか!?」
「拷問ではない! 服の着付けの仕方を見て、学べと言っているんだ!」
う、そうでした。
お世話係になった以上、着付けを手伝うのは私の役目なのですから、ハンス様の仰っていることは正しいのですけど……。
で、でもミシェル様は男性。お、男の人の着替えを手伝うなんて~。
すると隣にいたアレックス様が、私の肩にポンと手を置く。
「焦らなくていいから。いきなりこんなものを見せられても、戸惑うよね。男へのドレスの着せ方なんて、教会では習ってこなかっただろうし。無理はしなくていいよ」
「アレックス様……。いいえ。私、頑張ります。やりたくないなんてわがまま、言ってられませんから」
昨夜も思ったけど、アレックス様は強く私を責めたりせずに、常に優しい態度。
けど、それに甘えてはいけないのです。時々目を反らしながらも、ドレスに着替えていくミシェル様を、観察していく。
すると着替えを手伝っていたハンス様が、私を見てため息をつきます。
「はぁ。そもそもそなたが着方を知っていれば、今日から我々は手伝わなくてすんだものを」
「す、すみません。私、ドレスなんて着たことなくて」
「ん? そなたは、男爵家の令嬢だろう?」
「はい、一応は……ですが早くに教会入りしていますし、社交界にも行ったことがないので、着る機会がなかったんです」
もしも教会入りしていなかったら、今頃ドレスを着て社交界に出ていたのでしょうか?
いいえ、おそらくですけど、それはなかったかも。
私は実家でも気味の悪い髪、お家の恥って言われていましたから。きっと社交界になんて、行かせてくれなかったでしょうね。
まあ私のことは置いとくとして。
そういえばミシェル様もハンス様も、それにアレックス様も、よくドレスの着方なんて知っていますね。
「あの、そういえばミシェル様達は、どこでドレスの着方を覚えたのですか?」
「ああ。大聖女たるもの、男であろうとも立派な淑女を演じなくちゃならないって言われてね。ドレスの着方やメイクのやり方、その他諸々の礼儀作法を習ったんだ。……あの特訓は、地獄だったなあ」
「同感です。アリーシャどのときたら、ドレスを着るには手伝いも必要だと、我々にもやり方をレクチャーしてきたのですから」
「そやれそれは違うだの、それでも大聖女様のお付きかだの言われて。あれは騎士団の訓練より、余程過酷でしたよ」
三人とも共感し合いながら、どこか遠くを見つめている。
い、いったいどんな特訓をされたのでしょう? 分かりませんけど、やっぱり男性が女性のふりをするなんて、並大抵の事ではないのですね。
それはそうと、一つ気になったのですが。
「あの、アリーシャさんと言うのはいったい?」
「ああ。聖女の教育係をしてる人だよ。俺が男って事とも知ってる」
そうなのですね。
そういえば聞いたことがあります。特別な役職に就く聖女は立ち振舞いにも気を付けなければなりませんから、専門の指導員の元厳しい教育を受けるのだとか。
ドレスの着方や礼儀作法を習うとなると、当然性別を隠してはおけないでしょう。
けどそれでもミシェル様が男性だと言うのは、最重要機密のはず。なのにそれを明かすと言うことはそのアリーシャさん、よほど信頼されている人なのですね。
「結構歳がいった婆ちゃんだったんだけど、これがおっかない人でさあ。一言で言うと、鬼教官だね」
「ミシェル様、滅多な事を言うものではありません。もしも今の発言がアリーシャ様の耳に入りでもしたら、また一から特訓のやり直しをさせられますぞ。その時は、一人で受けて頂きますからね」
「うぐ……マル、今の話は秘密ね」
唇に指を当ててナイショのポーズを取るけど、目が本気です。
アリーシャさんって、そんなに怖い方なのでしょうか?
「はぁ……地獄の特訓の日々を思い出すだけでも震えてくる。いっそアリーシャ殿がミシェル殿のお世話係になれば良かったものを」
「向こうにも事情があるのだから仕方あるまい。だが彼女のおかげて、教会の聖女の品格は確実に上がっている。ミシェル様を見ろ。一年前まではただのガキだったのが公の場に限るとはいえ、しっかり皆を騙せているではないか」
なんて言ってるハンスさんですけど、騙すなんて言っちゃって良いのでしょうか?
ミシェル様のことも、悪ガキだなんて言っていましたけど。
けど当のミシェル様も、怒らずに苦笑いを浮かべている。
「まあ確かに俺をここまで育ててくれたんだから、アリーシャさんには感謝だわ。あの人には、たくさん苦労かけたなあ。俺のこと、2番目に手の掛かる生徒だったって言ってたっけ」
ミシェル様、何だかんだで感謝はしているみたいです。
それにしても。男性であるミシェル様よりも手の掛かる方がいたというのも驚きです。
いったいどういう方なのでしょう?
「まあなんだ。我々もアリーシャ様の指導を受けはしたが、ミシェル様が女性ということになっている以上、お世話を続けていくのは無理がある。だからマルティア、早く覚えるように」
「は、はい。頑張ります!」
ハンス様もアレックス様も、苦労してドレスの着付けを覚えたのです。
私も早くできるようにならないと。
私だってミシェル様の、お役に立ちたいんですから。
ミシェル様はドレスを着た後、メイクをしてウィッグをつけて、完璧な女性へと変身をとげる。
こうなるともう絶世の美女にしか見えません。
話によるとミシェル様が施すメイクは通常女性がするのとは違っていて、より男性だとバレにくくする工夫がされているのだとか。
「ミシェル殿が元々、中性的な顔立ちで良かったですよ。おかげで女装させても、違和感がありませんから」
「だなー。昔は自分の女顔がコンプレックスだったけど、まさかこんな形で役に立つなんてな。それに名前も、男でも女でも使える名前で助かったよ。でないと偽名を考えなきゃいけなくて、面倒くさかっただろうからなあ」
苦笑しながら頷きあう、アレックス様とミシェル様。
なるほど、お名前は本名なのですね。確かに名前を変えたら、馴染むのに時間が掛かりそうです。
その後メイク以外にも服の下に詰め物をして、体型を女性らしく見せています。
やはり男性が女性のふりをするとなると、女性が普通に着飾るのとは勝手が違います。しっかり覚えておかないと。
そしてもちろん、お世話係のお仕事はこれだけではありません。
例えばここ、ミシェル様のお部屋のお掃除やベッドメイキング。他にもスケジュール管理など、地味だけど大変な仕事が山ほどあるわけです。
そしてハンス様が、本日の予定を説明してくれたのですけど……。
「今日は朝のうちに、教会にハーネルト侯爵様が来られますから挨拶を。昼からは街の商会への挨拶。騎士団への激励式もあるので、そちらにも出席して頂きます。後は……」
メモ紙に書いていた予定を、次々に読み上げていくハンス様。
だけど、ちょっと待ってください。聞いてて気になったのですが……。
「あの、穢れ病に掛かった人の治療や大地の浄化は、行わないのでしょうか?」
思った疑問を口にすると、ハンス様が喋るのをやめて顔をしかめる。
あれ? 私何か、おかしな事を言ったでしょうか?
本来聖女の役割は、穢れと呼ばれる悪い気を浄化させること。
なのに今ハンス様が言った内容は、挨拶回りがほとんどじゃないですか。
大聖女ともなると、一般の聖女では治せないような重度の穢れ病を治したり、大規模な大地の穢れも浄化させたりできるはずなのに。
何故それをしないのでしょう?
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