第4話 知ってしまったミシェル様の秘密

 お掃除中にミシェル様がやってきて、ハンカチをお借りするという大事件があった日の夜。

 普段なら絶対に行かないような教会の奥の廊下で、私は一人悶々と悩んでいた。


 ど、どうしよう。ついこんな所まで来ちゃったけど、本当に良いのかなあ?


 この廊下の先に、ミシェル様のお部屋がある。

 そして私の手の中には、今朝ミシェル様からお借りしたハンカチが握られていた。


 そう、ハンカチを返すためにここまでやってきたのだけど……私ごときがミシェル様のお部屋を訪れていいものか。

 けどこうでもしないと、再びミシェル様とお会いする機会なんてなさそうですし。このままではこの高そうなハンカチを、借りパクなんてことに。

 もしそうなれば私は毎日礼拝堂の神像の前で、懺悔の日々を送ることになるでしょう。

 だからこうしてやって来たのですけど……。


 よ、よーし、やっぱり行ってみましょう。

 ミシェル様だって、何かあったら訪ねてきて良いって言ってくださいましたし。

 大丈夫。ハンカチだけ返してサッと帰れば、変な聖女がいたって思われるだけですむもん。


 お部屋の前までやってきてスーハーと深呼吸をした後、ノックをしようと手を前に出す。

 だけどその時……。


「ミシェル様! 教会では大人しくしているようにと、あれほど言ったではありませんか!」


 不意に中から、男の人の声が聞こえてきた。

 この声は、ハンス様? すると続けて、今度はアレックス様の声も聞こえてくる。


「まあまあハンスどの。いじめを止めた事は、悪くありませんし」

「確かに見過ごせないという気持ちはわかりますが、それにしたって他にもっとやり方があったでしょう。緘口令を敷いたものの、人の噂なんてどこから広まるか分からないのですよ。大聖女が下級聖女に水を掛けたなどと広まれば品位が……」


 聞こえてくる話し声。

 だけどハンス様の声を、別の声が遮った。


「はっ、くっだらねー。あの時大事だったのは大聖女の品位なんかじゃなくて、あの子を助ける事なんじゃねーの?」


 このハスキーな声は、ミシェル様? 

 けど……あれ? 今朝お会いした時と、口調が違うような。


「こっちは毎日窮屈な演技をしてるんだから、たまには好きにやらせてくれてもいいじゃないか。なにも秘密がバレたわけじゃないんだしさ」

「そ、それはそもそも比べる方が間違って……そもそも、本当にバレていないのですよね?」

「へーきへーき。何のために淑女になるために地獄の特訓をしたと思ってるんだ。完璧な大聖女を演じたって」

「完璧な大聖女なら、桶の水をぶっかけるなどしないと思いますが」

「それは私も同感ですね。淑女と言うより、お転婆娘でしょうか」


 話が進むにつれて、心臓がドクンドクンと波打ってくる。

 な、なんでしょう。言っている意味はわかりませんけど、なんだか聞いてはいけない話を聞いてしまっているような気が……。

 

「お転婆娘、結構じゃねーか。そっちの方が余程性に合ってるよ。清楚な大聖女を演じるなんて、息が詰まっちまうもん。て言うか、この服脱いでいいか? コルセットが苦しいし肩凝るしで、着てるだけで疲れるんだから。つーかもう脱ぐ」

「ミ、ミシェル様。脱ぎ散らかすのはお止めくださいといつも言って……ああ、またそんなみっともない格好を。蛇の脱皮にも劣る脱ぎっぷりだ」

「これで全聖女が憧れる大聖女だなんて、ある意味すごいですよ」


 ハンス様とアレックス様の呆れたような声が聞こえてきたけど、ちょっと待って。

 脱ぐって、まさかミシェル様。は、裸になられてるってこと?

 側には、ハンス様やアレックス様もいるんですよね!?


 部屋の中で、あられもない姿になっているミシェル様を想像する。

 ど、どどど、どうしましょう? 中に入って止めるべき? それとも、このまま何も聞かなかったことにして立ち去るべき?


 だけど私はこの時、動揺して大失敗を犯してしまった。

 ついつい聞きいって扉に体重を掛けてしまっていたのだけど、その際体がドアノブに擦れて、回してしまったのだ。

 そしてこの扉は奥開きになっていて、体重が掛かっていたものだから当然。


 ギィ~。


「え? あわわ──キャッ!」

「誰だ!?」


 前のめりになっていた体が扉を押し、私は開かれた部屋の中へ頭から倒れ込んでしまったのです。


 結果床に頭を打ち付けてしまったけど、問題なのはそこじゃありません。

 中にいたミシェル様達が、一斉にこっちを見る。


「も、ももも、申し訳ございません! す、すぐに退出いたしま──」


 慌てて顔を上げて、息をのんだ。

 目に飛び込んできたのは、目を見開いてこっちを見るハンス様とアレックス様。

 そして上半身に何も身に付けていない、半裸のミシェル様だったのだから。


 ほ、本当にお召し物をお脱ぎになられているじゃないですか。

 だけど……あ、あれ? ミシェル様の雰囲気が、随分違うような?


 半裸になっていているのだから雰囲気なんて違って当たり前ですけど、それだけじゃありません。


 まずは髪。ミシェル様は腰まで届く長くて美しい金髪をしていたのに、それがバッサリ切られています。

 今のミシェル様の髪は、肩の少し上くらい。

 だ、断髪されたのでしょうか?


 そしてもう一つ気になったのは、晒された胸。

 私も痩せっぽっちだから人のことは言えないのだけど、今朝お会いした時にあったはずの膨らみがそこにはなく、かなりのスレンダー体型。

 ミシェル様って意外と小さい……って、それ以前に男性の前で胸を晒すなんて、どういう状況なんですか!? 

 は、早く何か羽織らせないと。


 慌てながら床に目をやると、脱ぎ散らかされた服が散乱している。

 けど着てもらおうと服に手を伸ばした瞬間、その手をハンス様がつかんだ。


「……お前、見たな」

「ひっ!」


 向けられる冷たい目に、思わず悲鳴を上げる。

 掴まれた手も痛くて涙が出そうになったけど、怖くてふりほどくこともできない。

 だけど次の瞬間もう片方の手を引かれて、ハンス様からベリッと引き剥がされた。


「止めろ、怖がってるだろ」


 引き剥がしてくれたのはミシェル様。

 ミシェル様は私を守るように抱き締めてくれたけど、そのせいで彼女の胸に顔を埋めるような形になってしまって、余計に焦る。


 あ、あわわ。私ってば、ミシェル様に抱き締められてる。

 するとそんな私の耳に、アレックスさんの声が届く。


「ハンス殿もミシェル様も落ち着いて。君、マルティア・ブールだね。どうしてここに来た?」

「ひ、ひぃ~。ミシェル様にお借りしたハンカチを、返しに来ただけです! 本当です!」

「そうか……。だが君は見てしまったのだろう? 彼の秘密を」

「ひ、秘密? それって、髪を切られたことですか? それとも、男性の前で平気で脱いじゃう人だってことでしょうか!?」


 秘密って言われても、心当たりが多すぎる。

 するとハンス様が、業を煮やしたように言う。


「ええい、下手な言い訳を並べるな。本当は気づいているのだろう。ミシェル様が男だということに!」


 ………………へ?


 な、なんでしょう? ハンス様は気でも狂われたのか、あり得ないことを仰っいました。


 ミ、ミシェル様が男? 

 まさかー、だって大聖女様ですよ。聖女と言うのはその名が示す通り、女性しかいないはずですもの。


 その昔、神様は女性には汚れを浄化する力を与え、力を持った女性の事を聖女と呼ぶって、聖書に書いてありましたもの。

 だから力の強弱に関わらず、聖女は皆女性のはずなのですけど……。


 でもそれじゃあ、私が今押し当てられている、たくましい胸板はいったい? 

 するとミシェル様は抱き締めている私を見ながら、申し訳無さそうに口を開く。


「悪りぃ、驚かせちまったな。見ての通り、俺は男だ。けど、何も心配することはないから」


 短くなった髪、逞しい胸板。顔立ちは相変わらず綺麗だけど、先入観を捨てて見ると確かに男性にしか見えなくて……。

 ま、待って。それじゃあ本当に、ミシェル様は男性なのですか!?


「ミシェル様、まずはその者をお放しください」

「それはこの子が不利になるような事はしないって約束してからだ。でなきゃ放さない」


 ミシェル様はそう言いながら、むぎゅ~っと私を抱き寄せているのだけど。

 わ、私ってば、男の人の胸板に顔を押し付けるられてる。

 しかもミシェル様は現在半裸。遮るものが何も無い素肌に頬が当たってる。

 な、ななな、何ですかこれーっ!


 改めて自分の置かれてる状況に気づいて、羞恥で頭がいっぱいになる。

 だけどジタバタともがくも、ミシェル様は放してくれない。


「ミ、ミシェル様~」

「心配するな。君は俺が必ず守って……」

「その前に服……服を着てくださーい!」

「え? うわっ!?」


 力が緩んだところに渾身の力を込めて突き飛ばすと、ミシェル様は後ろにひっくり返ってしまいました。

 た、助かっ……てない! 私ってば、ミシェル様を突き飛ばしてしまったー!


「も、申し訳ございませーん!」

「申し訳ないですむか! ああ、なんて事だ。隠してきた秘密が知られてしまうとは」

「ハンス殿、彼女が謝ってるのは、たぶんそこではありませんよ」


 ハンス様は怒るしアレックス様は呆れてるし、ミシェル様はひっくり返ってる。

 この混沌としすぎる状況に、私は頭がぐちゃぐちゃになるのでした。

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