第3話 お目汚しさせるわけにはいかないのに

「ひ、ひぃ~。も、申し訳ございません!」


 シャーロットさんは悲鳴まじりの謝罪をするとミシェル様に背を向けて、脱兎のごとく逃げていく。

 そしてさっきまで彼女と一緒に笑っていた面々も青い顔をしながら、我先に礼拝堂を飛び出して行った。


「こら、アナタ達待ちなさーい! 掃除の途中でしょーが!」


 逃げていった子達に向かって、叫ぶミシェル様。

 って、そうだ掃除!

 まだ途中なのに、床が水浸しになってしまったのでした。


「も、申し訳ありません。今すぐ掃除しますから!」

「えっ? ちょっと、アナタはいいのよ。と言うか、その格好で掃除するつもり?」


 あう、確かに。

 水を被っちゃったもんだから、これじゃあ私が動く度に被害が増えちゃう。

 そしてもう一つ、自分がしでかしている重大な失態に気がついた。


 見れば床には先ほどシャーロットさんに外されたベールが転がっていたのだけど、と言うことはミシェル様に見られてるって事ですよね。私の白い髪が!


「ご、ごめんなさい!」

「え、なにが?」

「み、みっともない物をお見せして、ミシェル様のお目汚しをしてしまいました。す、すぐに隠しますから!」


 数えきれないほど気味が悪いと言われてきた髪を、これ以上晒すわけにはいきません。

 私は手で頭を隠しながら、落ちていたベールを拾おうとしたけど。ミシェル様がその手を掴んだ。


「ミ、ミシェル様?」

「みっともないって、ひょっとしてその髪のことを言ってるの? だったら隠す必要なんて無いよ。だって綺麗なんだから」

「え? は、はい?」


 な、何でしょう? 今とっても信じられない事を言われたような。

 ひょっとしてミシェル様って、目が悪いのかな?

 すると彼女の手が、私の髪へと伸びてくる。


「ひぇっ! な、何を?」

「ごめん、くすぐったかった? あまりに綺麗な髪だから、触りたくなったんだけど、ダメだった?」

「い、いいえ。ミシェル様が望むならこんな髪、引っこ抜いてくれても構いません!」

「うーん、それはちょっとやりたくないかな。もう一度言うよ。君の髪は、雪みたいで綺麗だよ。初めて見た時から、ずっとそう思ってた」

「は、初めて見た時?」


 ど、どういうことですか?

 私はもちろんミシェル様のことを知っていたけど、直接お会いするのは今日が初めてのはずなのですけど。


「君、式典の時にいたでしょ。教会のバルコニーから見下ろしていた時、白い髪をした可愛い子がいるって、気づいたわ」

「き、気づいてらしたのですか!?」


 そういえばあの時、ミシェル様がこっちを見て笑っていたような。

 風でベールが外れたけど、まさか見られていただなんて。

 だけど可愛いだなんてそんな。やっぱりミシェル様、目が悪いのでは?


「ミシェル様。この町には大きな病院がありますから、腕の良い眼科医の先生もきっといるはずです」

「何の話かしら? って、このままじゃ病院に行かなきゃいけないのは、アナタの方よ。いつまでも濡れたままだと、風邪引いちゃうわ」


 ミシェル様はそう言うと、一目でお高い品だと分かる純白のハンカチを取り出した。

 さすが大聖女様、使われる小物まで一級品なのですね。

 すると次の瞬間、ミシェル様はあろうことかそのハンカチで、私の濡れた頭を拭き始めた。


「な、何をなさっているのですか。せっかくのハンカチが汚れてしまいます」

「何を言ってるの。このままにしてはおけないでしょ」


 ミシェル様は頭、それから顔と、順番に拭いていく。

 その間私の心臓は壊れそうなくらいバックンバックン言ってるけど、ここで止めてくださいなんて言ったらそれはそれで失礼になっちゃうし、固まったまま動くこともできない。

 このままだと心臓が、本当に破裂しちゃうかも。


 ミシェル様は私の濡れた体を上から順番に拭いていく。

 だけどバクバク言ってる心臓の真上辺りに来たところで、ピタリと手が止まった。


「ミシェル様?」

「あ、ごめんなさい。後は自分で拭いてもらえる?」


 そう言われてハンカチを渡されたけど、これ以上汚すわけにもいかないし、どうしよう?

 だけどハンカチを手にしたまま困っていると。


「ミシェル様! ミシェル様はおられますか!」


 突然礼拝堂の扉がバンと開かれて、二人の人物が顔を見せる。

 一人は髪をオールバックにした40代半ば程の男性。あの方は、大司教のハンス様だ。

 そしてその隣にいる30歳くらいの艶やかな金髪の男性は、たしか教会騎士のアレックス様。


 お二人とも、ミシェル様が教会入りしてからは行動を共にしているという話だけど、ひょっとして探しに来たのかな?


「ちっ。良いところで邪魔なのが来た」


 ……あれ、空耳かな? 今ミシェル様があり得ない事を言ったような。

 そんな私の疑問をよそに、ハンス様とアレックス様はミシェル様を見るなり、こっちにやってくる。


「ミシェル様、勝手に出歩かれては困ります」

「あら、私は朝の散歩をしていただけよ。それよりハンスさん、聖女やシスター達の教育はどうなってるの? 女の子一人をよってたかって虐めるのが、教会のやり方なの?」

「──っ! 先ほど若い聖女達がミシェル様を怒らせてしまったと騒いでいましたが、やはり何かあったのですね。話は後でゆっくり伺いますから、まずは部屋に戻りましょう」

「わかりました。けど騒いでた子達に、掃除に戻るよう言ってください。あの子達、掃除をこの子に押し付けてサボってるんですよ。アナタは、風邪を引かないうちに部屋に戻って着替えてらっしゃい」

「は、はい!」


 水浸しの床をこのままにして帰るのは抵抗があったけど、せっかくのミシェル様の申し出を無下にするわけにはいかない。

 すると背筋を伸ばして返事をした私に、教会騎士のアレックス様が声をかけてきた。


「その髪……君、聖女マルティア・ブールだね」

「は、はい」


 アレックス様、それにハンス様とも話すのは初めてだったけど、私の名前は知っていたみたい。

 と言っても、たぶん白い髪のせいで目立つから、覚えていただけだろうけど。


「今あった事は全て、他言無用で頼む。君は何も見てないし、ミシェル様はここには来なかった。全てを忘れるんだ」

「はい。分かりま……」

「あら、忘れる必要なんて無くてよ。むしろ、忘れてもらっちゃ困るわ」


 ミシェル様が、私の返事を遮る。


「今回の事は、大聖女として見過ごせませんもの。アナタ、マルティアって仰るのね」

「は、はい。マルティア・ブールと言います」

「いいことマルティア。もしもまた嫌がらせをされたら、私の所にいらっしゃい。意地悪してくるような子は、やっつけてあげるから」

「やっつけるって、そんな。私なんかのためにそんな……」

「ミシェル様、いい加減にしてください! もう行きますぞ!」


 ハンス様がミシェル様の首根っこを掴まえて、引きずるように連れて行く。

 な、なんか大聖女様の扱いとは思えないけど、良いのでしょうか?

 続いてアレックス様も二人の後を追ったけど、ミシェル様は引きずられながら尚も声を上げる。


「マルティアさーん。本当に遠慮せず来てくれていいか。お話しに来てくれるだけでも良いわ。待ってるからねー!」


 ミシェル様の言葉を残して礼拝堂の扉は閉まり、後には私だけが取り残される。


 えーと、今のは全部夢だったのかなあ? 

 私なんかが大聖女様とあんな風に言葉を交わせるなんて、そんなことあるわけ……。


 だけど手を見てみると、先ほどミシェル様から渡されたハンカチがある。

 こうして証拠がある以上、今のは夢じゃなかったってこと? と言うか。


「ど、どうしよう。ハンカチ返し損ねちゃった」


 ミシェル様と会ったこと。そのミシェル様が、シャーロットさん達をやっつけてくれたこと。借りたハンカチを、どうやって返すか。

 とにかく色んな事がありすぎて、もう頭はパンク寸前だった。

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