Ⅴ 偽りの鉄槌(1)
さて、ハーソン達がアスキュールの診療所を訪れた翌日のこと……。
「──では先生、行ってらっしゃぃませ」
「どうぞ、お気をつけて」
午前中の診察を終え、忙しさもようやく一段落した昼下がり。診療所の門前で馬に乗ったアスキュールは、二人の弟子に見送られて出発する。
「ハデーソ司教が何かしかけてくる可能性もありますからね。我々もお供いたしましょう」
「我らがいれば心配はご無用。ドンと大船に乗ったつもりでいてくだされ。ダハハハハハハ…!」
その馬の傍らには羊角騎士団の白い装束を着た団長ハーソンも付き添い、さらにその馬の手綱を引くのは高笑いをあげる副団長のアゥグストだ。
これからアスキュールはさる街の有力者の邸宅へ往診に行かねばならぬのだが、ハデーソ司教に逆恨みをされるこの状況下、一人で出歩くのは大変危険なため、用心したハーソン達が護衛を申し出たのである。
天下の羊角騎士が二人…しかも、帝国最強の
ところが、裏路地を出て、賑やかな目抜き通りにさしかかった時のこと……。
「……ん? なんか急に暗くなってきたな」
ガヤガヤと大勢の人々が行き交う街頭が不意に暗くなり、不審に思ったアゥグストが空を見あげると、頭上には黒々とした雨雲がいつの間にやら渦巻いている。
「雲? こんな突然に天気が変わるとはなんだか妙だな……」
そう、天を仰ぎながらハーソンが呟いたその時。
ドオォォォーン…! という激しい轟音とともに眩い閃光がほと走り、謎の衝撃波にハーソンとアゥグストは一瞬にして吹き飛ばされる。
「うおっ…!」
「くっ…!」
倒れる二人の一方、アスキュールを乗せた馬はヒヒヒィィィーン…! と激しい
「……痛つっっっ…」
「……ハッ! アスキュール殿!」
急いで上体を起こしたハーソンとアゥグストがそちらを覗うと、馬の背にいたアスキュールは路上に投げ出され、真っ黒焦げになったその身体からは幾筋もの白くて細い湯気がゆらゆらと上っている……なんとも運の悪いことに、ピンポイントでアスキュールの上に雷が落ちたのだ。
「なんだ? なんの騒ぎだ?」
「きゃあっ…! ひ、人が黒焦げに……」
突然のその事態に往来の人々は俄かに騒然となり、倒れた馬とアスキュールを中心に黒山の人集りができ始める。
「見よ! 皆の者! これぞ神の怒りである!」
と、そんな騒ぎの中、どこからか姿を現したハデーソ司教が、声も高らかに聴衆へ向けて、大仰な身振り手振りでそう宣言をする。
「そこで黒焦げになっているアスキュールは天の理に反し、悪魔の力で死者を蘇らせるなどという許されざる異端の所業を行ってきた! ゆえに我らの神はお怒りになり、かの者の上に正義の
「ええっ!? まさか、あれはアスキュール先生!?」
「そんな……良いお医者さまだったのになんて
朗々と、嬉々とした顔で説教をするハデーソ司教に反し、その言葉に事実を知った街の人々からは驚きと悲しみの声がチラホラと湧き起こり始める。
「異端の教えに堕ちた者が如何なる最後を迎えるのか? 神はこの天罰を以て我らにお示しくだされたのだ! さあ、かの者の哀れな姿をその目にとくと焼きつけておくのがよい! そして、今一度正しきプロフェシアの教えに立ち帰るのである!」
それでも大衆の反応は意に介さず、独善的な説教を続けるハデーソ司教であったが。
「ほお! これは見事に真っ黒焦げだのう……いったい誰が雷に撃たれたのかいのう?」
ふと、群衆の中からそんな老人の惚けた声が聞こえてくる。
「なんだ、聞いていなかったのか? まあよい。何度でも教えてやる。それは異端の医師、アスキュー……ル……」
不意の質問に、そちらを振り向いて答えようとしたハデーソ司教は、その声の主を目にするとポカンと口を開けたまま固まってしまう……なぜならば、そこには黒焦げになったはずのアスキュールが、いつもと変わらぬ白ローブ姿で平然と立っていたからだ。
「……ど、どういうことだ? ……じゃあ、今、雷に撃たれたのはいったい……?」
唖然とした顔で、今、目の前にいるアスキュールと横たわる黒焦げの遺体とをハデーソ司教は交互に見比べる。
「フン。まさか、そんなはずはないといった顔つきだな。偶然の落雷ではなく、悪魔が意図して特定の人物に落とした雷だ。万が一にも違う相手に落ちるわけがない……そう言いたいのだろう?」
そんなハデーソに、パンパン…とマントについた砂埃を払いながら、おもむろに立ち上がったハーソンが口元を歪めて尋ねる。
「……な、なんのことだ? 今の雷は神が落としたもうたものであって……」
「そのわりにはずいぶんと都合よく、この場に居合わせたものですなあ……しらばっくれてもダメですぞ? ハデーソ司教。すでに証拠はあがっております……メデイア!」
図星のハデーソは視線を泳がせ、この期に及んでまだなお惚けようとするが、アゥグストも口を開くともう一人の仲間の名を呼ぶ。
「はい……あ、すいません。ちょっと通してください……」
「なっ……!?」
すると、人混みを掻き分けてメデイアも姿を現すが、彼女に押しこくられるようにして、魔法修士デウーザもバツの悪そうな顔をハデーソの前に見せる。
「じつは昨夜、わたしもあの密談の場に潜んでいたんです。ハデーソ司教、話はすべて聞かせていただきました……悪魔の力で雷を落とし、アスキュール先生を亡き者にしようという悪巧みをです」
驚きを隠しきれない様子のハデーソに、追い討ちをかけるかの如くメデイアは語りかける。
「先程、こちらのデウーザさんも素直に教えてくださいました。魔導書『ゲーティア』を用いてソロモン王の72柱の悪魔の一柱・雷と稲妻の公爵フルフルを召喚し、あなたの
「わ、わたしはただ、司教に命じられて魔法修士の役目を果たしただけでして……」
証拠の現場を抑えられ、観念して罪を認めた魔法修士デウーザは、おろおろと
「ですが、あなたのペテンでむざむざアスキュール先生を殺させるわけにはいきませんからね。一旦結ばれた悪魔との契約を
「に、偽者に? ……い、いったいどうやって……」
続けて種明かしを始めるメデイアに、唖然と眼を見開くハデーソは
「同じくソロモン王の72柱の悪魔の一柱、序列71番・異相の公爵ダンタリオンの力で、木製の人形を元にして先生の幻を作り出したんです。フルフルに見破られないよう、人形にはアスキュール先生の髪の毛と髭を付け、さらに先生のローブも着せました。そこで黒焦げになっているのはその人形です」
ハデーソ司教の疑問に、メデイアはそう説明しながら黒焦げの
よくよく見てみれば、それは丸太に下手ウマな顔を描いた簡素な
つい先刻までは悪魔の力により、そんな簡単な身代わりであってもアスキュール本人に見えていたのである。
「悪魔というものは形だけでも契約を履行したら、その後の結果などもうお構いなしですからね。これでフルフルが本物の先生に雷を落とすことはもうないでしょう」
続いて今度は、その眼をピンピンとした
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