Ⅳ 狂信者の方便(2)

 さて、メデイアが人知れず大聖堂を離れた後、隣接する修道院へと戻ったデウーザはというと、一旦、自室へ向かって準備を済ませてから、魔法修士専用の祈祷所へと入っていた。


 院内にいくつか存在する、その石造りの狭い小部屋の冷たい床の上には、とぐろを巻く蛇の同心円と五芒星ペンタグラム六芒星ヘキサグラムを組み合わせた複雑な図形が、赤、青、黄、緑といったカラフルな色使いで精緻に描かれ、さらにその前方には深緑の円を内包する正三角形が付け加えられている……魔導書『ゲーティア』にある〝ソロモン王の魔法円〟と呼ばれているものだ。


 甘ったるい香の煙が立ち込める中、その円の中央に立つデウーザはというと、先程とは違い、おかっぱ頭の上には羊皮紙でできた魔術記号入りの冠をかぶり、白いリネンのローブを纏うと左胸には銀の五芒星ペンタグラム、右裾には仔牛の革で作られた六芒星ヘキサグラムの円盤を身に着けている。


「霊よ、現れよ! 偉大な神の徳と知恵と慈愛によって、我は汝に命ずる! ソロモン王の72柱の悪魔序列34番! 雷と稲妻の公爵フルフル!」


 そして、その悪魔召喚魔術用の正装に着替えたデウーザは、右手に魔法杖ワンド、左手に特定の悪魔の印章シジルが描かれた金属円盤ペンタクルを掲げると、虚空の闇に向かってそう唱え始めた。


「……霊よ、現れよ! 偉大な神の徳と知恵と慈愛によって、我は汝に命ずる! 汝、雷と稲妻の公爵フルフル! …… 霊よ、現れよ! 偉大な神の徳と知恵と慈愛によって…」


 その〝通常の召喚呪〟と呼ばれる呪文を辛抱強く唱えることしばし……ようやくその祈祷所内の空間に変化が起き始めた。


「…! 来たか……」


 とぐろを巻く蛇の前方にある〝深緑の円を内包する正三角形〟の表面に、バジバジ…と蒼白い電流が走ったかと思いきや、もくもくと天井近くに黒雲が湧き上がり、そこから三角形に向けて一筋の稲妻が轟音とともに落ちる。


 瞬間、カッ…と祈祷所内が眩い閃光に包まれ、刹那の後、再び夜の闇が周囲に戻ると、デウーザの眼前にはその悪魔が姿を現していた。


 天使の如く翼の生えた半裸の胴体に、大きな枝角の生えた鹿の頭と鹿の下半身を持ち、その尻尾は赤い蛇になっている……魔導書『ゲーティア』に記載される、伝説の王ソロモンが使役したという72柱の悪魔の内、序列34番・雷と稲妻の公爵フルフルである。


「我を呼び出したのは貴様か? だが、残念ながら我にはなんの力もない……もっとも、貴様が魂を対価にするのであれば、それを用いて何かができるかもしれないがな……」


 暗闇に白く輝く鹿の眼で見つめ、悪魔は不気味な声でそうデウーザに語りかける。


「嘘を吐け! フルフル、おまえが嵐と雷を自在に操り、特定の場所に稲妻を落とせることは承知の上だ! それに、おまえら悪魔が願いをかなえるために、必ずしも対価の魂を必要としないということもな!」


 だが、まだ若いが優秀な魔法修士であるデウーザが、そんな嘘しか言わない悪魔の戯言に騙されることはない。


「雷と稲妻の公爵フルフル! 神の名において我は汝に命じる! 大勢の公衆の面前で、医師アスキュール・ド・ペレスの上に雷を落とすのだ!」


 デウーザはフルフルの印章シジルが刻まれた金属円盤ペンタクルをさらに突きつけると、自らの…というか、ハデーソ司教の望みを悪魔に対して改めて告げた──。

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