Ⅳ 狂信者の方便(1)

 エルドラニアや神聖イスカンドリア帝国内でも西方にある教会と違い、半円形のドーム屋根や列柱を多用するビンスタンツ様式の異国情緒ある神の家……。


 その夜、よく澄んだ夜空を照らす煌々とした蒼白い月明かりの下、そんなアテーノス大聖堂の中にメデイアはいた。


 ただし、いつもの羊角騎士の装いではなく、白いマントと武装を外し、黒い修道女服だけを着る完全な尼僧姿だ……。


 アテーノス大聖堂は、アッティリア地方の教区を統べる司教座聖堂である。


 修道院や図書館も併設され、居住する多くの聖職者達が夜間も建物内を行き来しているのだが、すれ違う者達は皆、メイデアを見ても気に留めることがない。


 それは尼僧の恰好をしているために自然と景色に溶け込んでいるということもあるにはあるのだろうが、男性しかなれない高位聖職者の居住区画においてはさすがに目立つだろう。


 それでも、彼女の傍を通り過ぎて行く者の誰一人として、すれ違い様に視線を向けることすらしようとしない……まるで彼女が見えていないかのように、そうした無意識の反応ですら誰も行わないのである。


 ……いや、〝見えていないかのよう〟にではなく、実際、彼らの眼にメデイアの姿は映っていなかったりする。


 じつは彼女、『ソロモン王の鍵』という魔導書によって造り出した、「透明になる」力を持つ金属円盤〝太陽第6のペンタクル〟を首から下げているのだ。


 ただし、「透明になる」とは言っても本当になるわけではなく、実際には気配がなくなり、その存在が限りなく見えにくくなる・・・・・・・という仕組みだ。


 まあ、それでも出会した人間が彼女の存在を認識しないのに変わりはない……壮麗なドーム天井の礼拝堂には目もくれず、中庭に面した薄暗い回廊を真っ直ぐ奥まで突き進むと、メデイアは一度も見咎められることなく、補佐司教の部屋の前まで難なく到着した。


 そう……彼女は団長ハーソンの命により、補佐司教ハデーソの動向を確かめに来たのである。


「──おい! 魔法修士のデウーザを呼んでくれ。今すぐにだ!」


 そうして薄暗い廊下の暗闇に紛れ、空気と化したメデイアが耳をそばだてていると、部屋の中からそんなハデーソの苛立たしげな声が聞こえてくる。


「はい。かしこまりました」


 すると、間を置かずしてドアがガチャリ…と開き、出てきた付き人と思しき聖職者がいそいそと小走りに廊下を歩いてゆく。


「魔法修士? おとなしく諦めるどころか今度は悪魔の力で何かするつもりね……」


 不穏なハデーソのその言葉に、メデイアがあれこれ推測を巡らしている内にも、やがて先程の付き人がもう一人を伴って戻ってくる。


 こちらは黒のフード付きローブを纏い、アッティリア人らしい茶の髪をおかっぱ頭にした、まだ初々しさの残る若い修道士だ。


 先刻の話からして、おそらくそれがデウーザなる者なのだろう……大聖堂に付属する修道院の魔法修士で、序列二位の補佐司教に呼ばれて急いで馳せ参じたといったところか。


「デウーザ、参りました」


「ああ、入ってくれ」


 ドアの前で威儀を正し、その修道士がノックして声をかけると、ぶっきら棒にハデーソが中へと招き入れる。


「ああ、おまえは下がってよい」


 だが、一緒に入ろうとする付き人には、間髪入れずにそう言って部屋から閉め出してしまう。


「これはますますもって怪しいわね……」


 悪巧みの予感しかしないその状況に、メデイアは付き人の傍を素早くすり抜けると、開いたドアの隙間から部屋の中へと侵入した。


 彼女のその行動に、眼には見えないものの何か通ったように感じた付き人は、怪訝な顔をしてその場で首を傾げる。


「……ん? どうした? 早く閉めんか」


「……え? あ、はあ……失礼します……」


 そんな呆然と突っ立っている付き人を見てハデーソも訝しげに叱責すると、彼は不思議そうな顔をして、首を捻りながらドアを閉めて去って行った。


「あ、あのう……私に御用というのはどのようなことで?」


 ようやく二人…いや、見えないメデイアも含めて三人になると、おそるおそる若い魔法修士がハデーソに尋ねる。


「なに、大したことじゃない……デウーザ君。君は若いのにたいそう悪魔召喚の術に長けているそうだね? そこで一つ、君にお願いしたいことがあるんだ。邪悪な異端から、正しき我らの教えを護るための重要な仕事だよ」


 その問いに、ハデーソ補佐司教は含み笑いをすると、もったいぶってそんな曖昧な答えを返す。


「いえ、僕など若輩者ゆえ、お役に立てるものかどうか……それで、その仕事というのは具体的にどういったものなのですか?」


 褒め称えられたデウーザなる魔法修士は、謙遜するとともに若干怪しんでその詳細を尋ね返す。


「具体的にか……そなたもアスキュールなるいかがわしい医師を知っておろう? 天の理に逆らい、死者を蘇らせるなどという、神をも畏れぬ邪悪な行いをする異端の徒だ……その許されざる異端者に、魔導書を用いていかづちを落としてもらいたい。それも白昼堂々、公衆の面前においてな」


 すると、不意に真顔となったハデーソ補佐司教はまるで悪びれる様子もなく、そんな暗殺計画をはっきりとした口調でデウーザに依頼した。


「え!? あのアスキュール医師に雷を? しかし、異端への裁きならば異端審判士に任せるべきかと。異端審判を経ずに刑を処すことは法に反しますし、特にアスキュール医師は大公をはじめ、アテーノスの有力者達からも慕われておりますので……」


「それが横槍が入り、正規の手順を踏んでは鉄槌が下せぬのだ。イスカンドリア皇帝の権威をかさに、あの白金の羊角騎士団がなぜかアスキュールの肩を持ちよった……最早、こうすることでしか正しき教えを護ることはできん」


 当然、驚いて反論するデウーザであるが、ハデーソ司教もそれしきで考えを改めることはしない。


「し、しかし、そのようなことに魔導書を使用したとバレたら、我々も重い罪に問われることに……」


「なに、自然の現象である雷に打たれて死ぬのだ。我らの関与など誰も疑いはせぬ。それよりもむしろ、道を外れた者に対する神の怒りによる鉄槌だと人々は思うことだろう……ここが大事なところだ。世の者達に異端がいかなる末路をたどるかをとくと見せしめ、正しき信仰の道へと教導しなくてはならない」


 違法行為に手を染めることを恐れ、それでも躊躇いを見せるデウーザに対し、狂信的な理屈でハデーソ司教はたたみかける。


「これは正しき教えを護るため、神に仕える我々のなさねばならぬことなのだ……それにデウーザ君。魔法修士になったということは、君も立身出世を望まぬわけではあるまい。なんなら預言皇庁へ遊学できるよう、私が紹介状を書いてやってもいい。あそこの図書館には希少な魔導書も数多く所有されている。ここではかなわぬ一流の研究ができることだろう」


 加えて、魔法修士としてのキャリアを餌に、デウーザの俗な野心へも揺さぶりをかける。


「それとも、もっと辺鄙な地方の修道院へ移籍して、一生、田舎の冴えない魔法修士として燻ったまま生涯を終えたいのかね?」


「わ、わかりました……補佐司教の命とあらば、さすがに断るわけにもまいりません。では、これより早々に悪魔召喚の儀式を……」


 さらには人事権を盾にした脅しまでかけてくるハデーソ司教に、まだ若輩の魔法修士はついに屈した。


「おお! そうかそうか! それでこそ真の信仰心を持った神の使徒だ! これでこのアテーノスからまた一つ異端の芽が摘まれる。それでは任せたぞ? デウーザ君!」


「それで、決行はいつにいたしますか? 多少の日時と場所の指定も可能と思いますが……」


 色良い返事が聞けて大仰に喜ぶハデーソ司教に比して、渋々引き受けたデウーザの方は淡々と事務的な口調でさらに細かな注文をとる。


「いつでもかまわん。が、なるべく早い方がよい。羊角騎士団に身柄を抑えられる可能性もあるしな……それと、先程も言ったがなるべくたくさんの大衆が観ている前で鉄槌を下すのだ。愚かにも、アスキュールの死者蘇生を神の御業みわざなどと称するたわけた輩がアテーノスには多いからな」


「かしこまりました。では、さっそくに……」


 注文を確認すると、デウーザはハデーソに一礼をして、静かにその部屋を後にしてゆく。


 その背後にぴたりとつけ、彼がドアを開けたタイミングで自らも一緒に外へと出ると、気づかれないようメデイアも補佐司教の部屋から退室した。


「…ハァ……何か問題になっても僕は知らないからな……」


 ドアを閉め、蝋燭の明かりだけが点々と燈る廊下を歩き始めると、デウーザは大きな溜息を吐いて誰に言うとでもなくボヤく。


「このまま儀式も見学していきたいとこだけど、さすがに悪魔の前じゃわたしの存在もバレるわね……魔法修士のいる修道院内なら魔術封じの仕掛けもありそうだし、とりあえず目的が掴めたからこれで良しとするか……」


 そんな彼の背中を見送りながら、これ以上の潜入捜査の危険性を鑑みると、メデイアもこの場を離れ、先にハーソン達の帰っている宿屋へと報告のため戻ることにした──。

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