第50話
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幾何かして彼女が歩調を緩めると、行く先には河口が見えてきた。「レガリウム以外で海を見るのは初めてです」と高揚した彼女と共に、テオは浜辺を目指す。
<お~い。二人とも今どこにいる?>
<河原を下ってるけど>
<なら、そのまま砂浜まで来なさんな。面白いもの見せてあげるわ>
じゃぁね~、とアルカがご機嫌な雰囲気で接続を切った。二人はぽかんと顔を見合わせて、何事かと思いながら歩調を速めた。
河口が見えて川が終わると、色々な変化が起きる。地平線は緑青の水平線に移り、ごろついた石の河原は砂浜になり、川のせせらぎは潮騒に、森の香りは潮の香りに、視野は広大に……。二人は穏やかな景観の変化を眺めながら、河口を抜けて波打ち際まで歩いた。
「これが本物の海ですか」
うららかな日差しを纏う海原の緑青。レキの外にある海を初めて見たヴィルは圧倒された様子で言いながら、ほぇーっと
「……えっ」「どうした?」
そんな彼女が驚きと困惑を浮かべるのを見て、テオはとっさに視線の向きを合わせた。そして河口を挟んだ向こう側に、白い煙が立ち上っていることに気が付いた。
「アイツの仕業だ」
靴と靴下を両手に持って裸足になり、二人して浅い水底をちゃぷちゃぷ踏んで火元へ駆け寄ると、やはりアルカの姿があった。けれども予想外だったのは、彼女の服が謎の返り血に汚れており、周囲に争った跡があり、そして茶色く焦げ目の付いた何かを頬張る直前だったという事だ。
「……何してんの、お前」
「んぁ? おっ、来たわね二人とも。お肉焼いてるの」
「肉って……何の?」
彼女が無言で指さした先に視線をやって、テオは腹の中身を掻っ捌かれたヒグマが、十字架のアイアンクレイで無残にも磔にされている姿を発見した。頭がすこしクラっときて、彼らに対する憐憫と、旧自然のもつ残酷さを思い出した。
「おぉ、これが食物連鎖……!」
けれどもヴィルはなぜだか好奇心と畏怖のこもった視線をアルカに向けていて、コイツもところどころズレてるよなぁ、とテオは噛みしめる。
「いやぁ、狩りをしたのなんて数年ぶりだわ。トロールの頃以来。あの頃は適当な鉄の廃材しか使えなかったから大変だったけど、今はラクチンでいいわね!」
薪の奥にある雑木林をよく見ると、若木の幹が何本かへし折られ、地面は所々が抉れ返っていた。生死を賭けた凄まじい闘争の様子が嫌でも彷彿とさせられたが、それと同時に、テオは違和感を覚えた。
「抵抗したのか、熊は」
「えぇ。熊も何度か殺したことあるけど、コイツはなかなか激しかったわよ。まぁ、それが当たり前でしょうけど」
あっけらかんとした彼女の答えに、二人は顔を見合わせた。
「運命づけに逆らうようなことが起きると、こうなるんですね」
「ホロンが
ふと、テオはこの自然そのものに睨みを利かされたかのような悪寒を覚えた。あまりいい予感のする話ではない。調和を乱すということは然るに、しっぺ返しが来るということである。
しかしながら、それはそれとして――ジュウジュウと油を滴らせるこの骨付き肉を見ていると、本能的に腹が減ってくるのもまた事実だ。差し出されれば腰を下ろして、頬張るほかに選択肢などない。
「ほら串とって。味付けはそこの塩ね。焼きながら海水を塗り込んだわ」
「
「あっ……そう。だ、だからアンタを呼んだのよ!」
「素直に忘れてたって言え」
テオは金属全般に劣化触媒を働かせて、全員の肉からホロンを取り払った。劣化金属を体に取り込むことはあまりよろしくないが、微量なら問題なかろうと己の腎臓を信じる。
するとアルカは立ち上がって、仰々しく骨付き肉を高く掲げた。一体何のパフォーマンスかとテオが黙って見ていると、彼女は藪から棒にこう宣言した。
「――新自然を敵に回す覚悟のあるものだけが、今からこの肉を食べよ!」
融和を果たした世界の秩序を破壊し、かつての混沌を再来させる。それが彼女の宣う理念だ。その融和を乱して手に入れた熊の肉は、盃の代替と言えた。
「いいだろう」「私も、仲間に入れてください」
その意味を肌で感じ取った二人は、俄然と応じて肉を掲げた。
アルカは満足そうに歯を見せながら、宣戦布告の口上を唱える。
「素晴らしき旧世界へ、乾杯!」
⁂
ヴィルが救出完了の通知を受け取り、ホロミッドの麓へ戻った三人は、つつがなく撤収作業を完了した。いま彼らの手元には、サーバの中に格納された探査用ナノマシンとリンクデバイス、そしてカイトの脳が入った四角い箱がある。
じきに輸送機が彼らの元へやって来る。そのとき共に運ばれてくるという彼の新しい体にこの脳組織を注ぎ込めば、晴れて彼は体を取り戻し、今回の任務も完了という運びだ。
「……これは、あなたが持つべきものです」
ヴィルはそれを、テオに委ねた。そしてほかの荷を背負って立ち上がり、こう言い残してその場を後にした。
「繋いでみるといいですよ。きっと、あなたを待っているでしょうから」
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