第44話


                   ⁂


<<:十数分前:>>


 灰燼と帰したビルの煤煙が細雪のように舞い上がるなか、無傷で立つケインの前で、白く焼け焦げた竜の亡骸が音を立てて頽れた。既に光を失ったその破片を足で踏み締め、造作もないな、とケインは軽く溜息をつく。己の身体へ届く熱エネルギーを、相手の装甲へ一点集中して破壊。その単純作業の反復で雌雄は決した。

 ケインは天を仰ぎ見る。降り注ぐ爆撃をターレットが打ち払い、燃えた破片が雨あられと降り注ぐ夜空。かつてそこに在った天蓋は今、この燃え尽きた小太陽と正面衝突した際に、完全に破壊されてしまった。そして上空からの攻撃に対応する最中、留守になった足元を崩され、もはやヴィシュにマギアスを隔てる能力はない。この箱庭が敵で溢れかえるのは時間の問題である。

 指揮系統との通信を試みるが、応答はなし。指揮下にある部隊も同様だ。死亡したか、通信装置が故障したか、或いはこの国の通信インフラそのものが破綻したか――推測される原因は様々だが、いずれにせよ、それが意味するところは同じ。戦況は絶望的で、彼は孤立状態にあり、此処から先は、もはや戦うのも逃げるのも自由ということである。

「……いいや。私の使命は、戦うことだ」

 自身に及ぶ重力を反転し、9・8の加速度で上空へ浮上。目についた敵やミサイルを片っ端から破壊する。無数のスクラップが積み上がるのは、もはや守るべき人影など見えぬ焦土だが――それでも彼は戦い続けた。使命感でも、ノブレス・オブリージュでもなく、かつて下された命令の惰性に従って。

 ヴィシュの暮らしを受け入れた彼が手に入れたものは、そこに自由を捧げる対価として、床につく時間、献立、日中の行動――あらゆる未来を考える必要のない人生だ。選択肢は常に一つで、その意味や価値について判断する必要はない。彼の意思とは、ヴィシュのことだ。

「この命が燃え尽きるまで、私は私にできる事をする」

 さながら単純に命令を熟す自動機械のように、自我も欲も忘れて久しい彼は、かつての責務の名残にいつまでも身を焦がし続ける。


                   ⁂


 瞼が空いて、暗く閉じられた視界に一筋の光が走った時、メアリは目覚めた。頬が少し暖かく、全身が揺動していることに気付いて顔を上げると、そこにクライズの背中があった。

「ん……おはよ、クライズ」

 眠りまなこを擦り、暢気に欠伸。「起きたのか」とクライズから声を掛けられ、眠気半分に頷くと、ゆっくりとした動作で背中から降ろされる。

「立てるよな」「うん」

「気絶してたみたいだけど、どこか怪我したのか?」「……えっと」

 メアリは顎に指を当て、数十分前へ旅をした。そしてカギとなる記憶を思い出した時、無いはずの左胸がずきんと痛んで、反射的に庇うような動きをした。

「左胸か。痛むのか?」

「……ううん、思い出しただけ」

「そうか。まぁ、お前なら大丈夫だとは思うけど」

 クライズは彼女と目線を合わせるために少しかがむと、その頬に付いていた煤を親指で拭う。そしてくすぐったそうに片目を閉じ頭に疑問符を浮かべ、懐いた小動物の様にされるがままになっている彼女を、実の妹のように愛おしく思う。

「よし。これで別嬪だ」

「べっぴん? 何それ。おいしいの?」

「基本的には」

 さぁ行くぞ、とクライズが踵を返すと、メアリはその後を子カルガモのように追う。

「ね。歩くより、わたしが背負った方がはやいよ」

 ん、と彼女がクライズの進路に回り、しゃがんで背中を突き出した。「まだ無理するな」と彼は固辞して彼女を追い越そうとするが、そのすれ違いざまに襟首をつままれ、先に進めなくなった。

「ぐえ……何するんだ!」

「隊長の方が無理してる。うそつかないで」

「……バカ言え。俺がこれぐらいでへばるもんか」

「二重になってる。いつも一重なのに」

 言われて、クライズはむぐぐと口をつぐんだ。疲労している時、彼の下がった瞼は二重を作る。二人は、工場で生み出されたとき以来の仲だ。IIIアイスリーを打ち込まれて能力者アクターになり、過酷な訓練を受け、実戦配備され、武勲を積み上げて今に至るまでの間、ずっと一緒に過ごしてきた。二重のことは、最初の実戦配備の時にメアリに指摘されて以来、ずっと二人のバロメータだった。

「それでも、隊長が部下に背負われるなんてダメだ。示しがつかないだろ」

「わたし以外みんないなくなったのに?」

「それとこれとは別だ」

「……わかった。じゃぁ、背負うのやめる」

「分かればいいんだ。いい子――」

 その瞬間、クライズはふわりと襟首から宙に浮きあがり、メアリの両腕に抱えられる。

「――おい、バカ! 俺の話を聞いてなかったのか!?」

「お姫様だっこなら、背負ってないの」

「俺が言いたいのはそういう事じゃなぁ――いッ!?」

 彼を反作用で黙らせるようにメアリが跳躍。いとも容易くビルの屋上へ着地した彼女の膂力を彼も知らぬわけではないが、身を以て体感すると、舌を巻かずにはいられない。

「どこに行きたいか、教えて」

 身動ぎも出来ないほど強固に抱えられながら、そう忠犬のように視線を向けられると、彼もいよいよ、諦めがついた。

「……軍部の地下保管室」

「そこで何をするの?」

「ドロボーだ。俺達のキルスイッチを止めるために、毎日支給されてた薬剤だ」

「……あ、そうだ、言い忘れてたんだけどね」

「なんだよ」

「わたし、ソレがなくてももう死なないと思う。さっき戦った時、左胸を撃たれて――その時、も一緒になくなっちゃったから」

 俄かには信じがたい思いだった。

「……偶然ってのは、起こるもんだな」

 クライズはビルの屋上から燃え盛るヴィシュの姿を俯瞰した。嘲笑のような、悪い笑いが込み上げた。この国が滅び、世界がマギアスの物になったが最後、その呪怨たるキル・スイッチによって、いつか死する彼女を看取るのだろう――と、そう無意識のうちに固めていた覚悟を絆されて、自由への焦がれが、胸から脳天を突き抜けた。

「どうやら俺たちは、二人して長生きできるみたいだ。もうヴィシュもない、俺達は自由だ! いつ寝ても、いつ起きてもいい。何処に行っても、何をしてもいい」

「ヴィシュから逃げるなんて、クライズは悪い子」

「そんなのもうどうだっていいさ。さぁ、何処に行く? そういえば、俺たちって海を見たことないな。山もない。川も、花畑も……」

 全ての呪縛から解き放たれ、自由を享受した彼が嬉々として語る姿を見て、メアリもまた、柔和な笑みを浮かべた。

「ふたりいっしょなら、どこでもいいよ」


                   ⁂


 ビルに上って空を見上げると、天気は一帯ホロミッドの雨だ。終末だなぁ、と独り呟きながら、コロイドは照明弾を打ち上げる。地下より脱出する最中、研究所より拝借したものだ。その輝きは、上下を挟む大地と雨の灼熱に比せば蛍のように弱々しいが――彼の予想では、これで役目を果たすには充分だった。

 月明りが少し影って見上げると、そこにはホロミッドの赤熱化した底面がある。衝突まで数秒あるかないかという所だが、それでも彼は動じずに待つ。

「――何をしている!」

 そして予想通り、彼はやって来た。頭上の柱は爆ぜて飛び散り、彼岸花のように咲いて、周囲の地面へ衝突する。コロイドは彼に肩を抱かれながら、その様子を呑気に見上げていた。

「やぁケイン、お勤めご苦労さま。代金のお支払いを頼みに来たよ」

「そんな事を訊いているのではない。何故お前が今ここに居るのかという話だ。私が来なければ死ぬ所だったぞ!」

「どうせ来るでしょ。ぼく以外に救うやつも居ないんだから。それにこっちから言わせりゃ、何をしてるか分からないのは君の方だ。もうこの戦争は終わりだよ。さっさと脱出しよう」

「脱出だと?」

「あぁそうだ。もうこの場所に用はない。君もそうだろ?」

「バカを言うな。お前もいちど軍に勤めた端くれなら、最後まで使命を果たせ」

「しゃらくさいな」

 コロイドはケインの脳天に全力でチョップを打ち込んだが、衝撃を反射されて悶絶する。ケインは甚だ困惑した。

「……周りを見てみろ。君が守るべきと宣う国も街も御覧の有様、もはや地獄の窯の中だ。ヴィシュは負けた。もうここに君の役目はない。いいかげんそれに気づくことだ」

「……そんなハズはない。私はまだ戦える。そう指令を受けた」

 コロイドは彼の胸倉に掴みかかる。ケインは能力アクトを使わず、それを受け入れる。

「命じた奴らは消えた。戦う? 何時までだ? 放っておいたら、君は身が滅びるまで戦うつもりだろう。何故逃げない? なぜ自分の命を蔑ろにする?」

「……それ以外に目的がないからだ。この国を守るために戦う以外にすべき事が、私にはまるで思い浮かばない。ここが私の墓場なのだと、ヴィシュは言った!」

 コロイドは手を離すと浅く溜息をついた。

「……馴染み過ぎたね、ケイン」

 それから9割の力でその鼻っ柱を殴る。青いトマトを握りつぶしたような音と共に、切れた血管から吹き出た血が、拳に圧されて勢いよく飛び散る。

「何をする!」

 鼻腔を抜けて涙腺に響く痛みに顔を歪ませ、声を荒げる彼がコロイドを射竦めた。

「言って分からないなら殴るしかないだろう。それとも何だ、柄にもなくイラっと来たか? だったらどうする!」

 間合いを詰め、コロイドは煽る。彼が心を燃やすための、恐らくは最後の火種を。

「黙ってもう一回殴られるか? この腑抜けた〇ンポ野郎が!」

「お前が言うか!」

 コロイドの頬に拳がぶつかった。その身体を頭から吹き飛ばし、拳の減り込んだ腔内の肉を歯型に切り裂く、鈍重な一撃だ。

「……そうだ、その怒りは君の意思だ。私を殴りたいと思ったそれこそが君だ。他にはない!」

 口元から血を零しながら、けれどもそう言って彼は立ち上がり、再びケインに詰めよった。

「目的がないなら、ぼくがそれになってやる。これからぼくは、この世界を旅する。そこに君がいれば、危険もそうそうないだろう」

「旅を? 目的地は?」

「レキだ。既にアポは取ってある」

 眼前に落ちたホロミッドがビルの足元を吹き飛ばし、支えを失った棟が重力で傾く。コロイドは重力を反転させて浮揚するケインに抱きかかえられて、ヴィシュ全体を見渡せる高さまで避難する。そして見た。一面に楔を打ち込まれ、轟々と燃え盛る国土――それが焼き付く、ケインの瞳を。

「分かったか? もうここに、君の守るものはない……ッてて」

「……もういい、喋るな。傷口が開く」

 ケインは俯いて、それから心の整理をつけるために、とても長い瞬きをした。

「……旅をする。そう言ったな。目的は何だ?」

「歴史の編纂、そして継承だ。世界に何が起こったのかを明らかにし、それをレキに持っていく。彼らならきっと、その先を紡いでくれる」

「歴史か。私にはあまり馴染みがないが……」

 彼が嬉々として語るその行いの価値が、正直なところ、ケインは分からない。過去のことも未来のことも、考えなくなって随分と久しいのだ。ひたすら現在だけを生きてきて、それ以外のことは忘れてしまっていた。

「力を貸せと言うなら、応えよう。今はお前が、私の生きる意味だ」

 けれど自分の力が必要とされているなら、それだけで彼には理由があった。進路を傾け、進路を北西に。広大な大陸を横断して、やがてレキへ辿り着く道だ。長旅になりそうだ、とケインは言った。その目は何処か旅の荷造りをする少年のようだった。

「二人いれば退屈はしないさ。益体ない話でもしよう。久闊を叙するにはいい機会だ」

 言われて少し思い出すように黙ったのち、思い出したかのようにあぁと声を上げた彼に、どうかした、とコロイドは尋ねた。

「……いいや。懐かしい言葉だと思っただけだ」

 それから苦笑ながらに応じた彼を見て、安堵を胸に微笑する。

「でも、ぼくを生きる意味にするのはやめてくれ。気持ち悪いから、生きるぐらいは自分でやれよ」

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