第43話
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時間にして一分ほどの沈黙を経て、二人が顔を上げる。それはアルカとヴィルから見ればごく短時間の対話だったが、当事者たちの意識の中では、体感にして30倍程度の時間が過ぎていた。
「……宣言しよう。レキはいかなる時もコロイドとその仲間を保護し、コロイドの随意にレキを開放することを、ここに誓約する。その証として、そのリンクデバイスをコロイドに譲渡し、要請によって回収班を向かわせることを約束する。コロイドの意識が常にレキの管理する意識帯に接続され、思考と発言を記録されることを、その交換条件とする」
「OK。なら、こっちも宣言しよう。コロイドとその仲間を含む我々はレキの法や慣習に従うことを約束する。その証として、入国の際は入国者の全員が支給されるリンクデバイスを装着し、能力の使用制限を受けることに同意する」
意識を同期した状態でお互いに宣言することは、その文面以上の意味を彼らに齎した。お互いにお互いが嘘をついていないことを直感できるのだから。
疲れた、と言ってコロイドが意識帯から抜けると、そのまま大きく背伸びをした。テオも椅子にもたれかかって深く息を吸いこみ、緊張を解した。
「これで交渉は成立だね。連絡はまた後でするよ。ほら、約束の品だ」
コロイドがIIIの入ったシリンダーをテオに手渡した。
「……敵意がないなら、最初からこうしてくれれば、こっちも気が楽だったのに」
「君たちが疑い深かったからさ。ああでもしないと、有無を言わさず殺されそうな予感がしてね。実際、その通りだったし」
おもむろに、コロイドは椅子を立って三人へ背中を向けた。
「することは終わったし、お別れだ。時が経てば、また君たちを訪れるよ」
天井からパラパラと粉塵が落ちてきて、空間が小刻みに揺れる。ここはヴィシュの中央に位置する場所だが、既に敵の脅威が近づきつつあるようだった。陥落の時は近い。
「まだここに残るのか。送って行ってもいいんだぞ」
「もう一人友達を残しているからね」
「でも――」
「いいから、行きましょうよテオ。ここももうじき危ないわ」
後ろで二人のやり取りを見てきたアルカが、痺れを切らしたように言った。
「わかった。
「リンクデバイス、貸してもらえる? あれがないと細かい操作がやりづらいから」
テオが従うと、残り四割ほどになったアイアンクレイが繭に変化し、三人を包む。装甲の厚さを保つため、中はすし詰め状態だ。
「脱出分だけは持たせてみせるわ。レキまで運ぶのは無理だから、どこかに不時着する」
「さっき、回収機を手配したと連絡がありました。座標を伝えれば、向かうとのことです」
「了解。とっととズラかるわよ。ヴィル、周辺の安全なルートを探して」
ヴィルが頷いてドローンを飛ばし、演算を開始。
<ルート探索完了、意識上にアップロードします>
それから彼女は思い出したように、カルスとメアリの昏睡を解除しておいた。カルスは塔の上に放置してあるが、メアリはビルの中に移動させてある。運がよければ、軍勢から逃げ延びているだろう。
<行くわよ、舌噛まないように!>
繭がふわりと浮き上がって、砲弾のように頭上へ加速。ドローンの相対速度を追い越し、数秒後にはヴィルの意識からドローンの接続が切れる。
繭の外殻から金属音。恐らくは生き残った対空砲にロックオンされている。毎秒数百発の弾幕が、残り少ないアイアンクレイを削りとってゆく。
<二人とも、揺れるわよ!>
アルカは上昇軌道にランダムな旋回や迂回を加え、動きを予測できないようにした。自動砲台は目標の位置を追尾して弾幕を貼るため、これで大半の弾丸は避けられる。ヴィルが気圧や気温から高度を算出し、安全圏までの時間をアナウンスした。
<ターレットの射程圏外、およびホットゾーン離脱まで、残り5秒!>
<あったま痛くなってきたぁぁぁぁぁぁぁ!>
<4……3……2……――>
最後の灯火とばかりに繭が加速。不運にも命中した弾丸が、薄くなった装甲を貫いて風穴を開ける。幸い、貫かれた者は居ないものの、急激な内圧と気温の低下で意識が少し薄くなる。
<1――>
アルカはもはや声も上げていない。次第に繭がガタガタと揺れ、上昇力を失い始める。ヴィルが集中して気圧計算を修正。その瞬間が来るのを待つ。
「――ゼロ!」
繭の動きがピタリと止まって、同時に、けたたましい対空砲の追撃も止んだ。
「ぜぇっ、ぜぇっ……は~~~~~~~~~~~」
静けさを取り戻した繭の内部に、アルカの激しい呼吸の音が響く。ヴィルが心配そうに彼女の背中をさすると、彼女は不意に力を失って壁に凭れ掛かり、手の甲を額に当てた。
「……ごめん、運ぶの無理かも。浮いてるだけで精いっぱいだわ」
「こいつをグライダーみたいに変形させて、滑空させられるか?」
「……浮かせなくていいって訳ね。やってみる」
彼女は最後の意地で仕事をなしとげた。つぼみが花開くようにアイアンクレイが展開し、グライダーへ変形し始める。いつもと比べて随分と穏やかではあるが、その形状は着実に、重力による空気との衝突から、前へ進む力を帯び始めた。
「ヴィル、どのくらい翼を広げればいいか、計算頼める?」
「もうしました。両端八メートルくらいです」
言いながら、彼女は汎用加速器を投げ捨てた。今のアルカに、120kg分の重量はあまりに重いと判断したのだろう。
「以心伝心。愛してるわよ」
言われた通りに形を変化させると、最後の銃撃ですり減ったせいか、天井と壁が翼の方に持っていかれて、遊園地にあるコーヒーカップの遊具に、平たい翼が生えたような形になった。晩冬の夜、高度3300mから直に浴びる風は、防寒装備があるとはいえ流石に寒い。けれども、弾幕の海に逆戻りするよりは随分とマシだった。
テオは白い息を目で追って、ふと周囲三百六十度のパノラマと、上空を彩る星屑の美麗に気が付いた。二人の肩を叩いて視線を促すと、二人が静かに息をのむのが聞こえた。丸い搭乗部に背中を寄せ合いながら、しばらくずっと、天を見ていた。
「――あれ、何かしら」
彼女がある一点を指差すと、それは空から降ってきて、猛烈な速度で三人を横切る。ホロミッドだ。ヴィシュの方を振り返ると、底面を赤熱化させた無数のホロミッドが、ヴィシュに向かって落下してくるところだった。
「翼に落ちないといいけど」
「落下軌道を計算して、私が適切に指示を出します。心配いりませんよ」
数秒後、遠い地面で減衰された衝撃が響いた。地面にしかと炸裂した運動エネルギーが周囲の建造物を薙ぎ払って、見覚えのあるクレーターを創り出している。
「ついに届いちゃいましたね、あれ」
地平線の向こう側から夜空にかけて、無数の光芒が撃ちあがり、落ちている。そのうち地上はポップコーンを焼くフライパンの上みたいに、ドンドン絶えず衝撃が鳴っていた。ヴィシュの街並みが、その楔に突き刺されて真っ赤に燃え盛っている。いったいどれほどホロミッドが落ちるのかは分からないが、打ち止めになる頃には、地上にある人類の世界は終わっているものと思われた。
ここに、人類の一つの終焉があった。皮肉なほどに、美しい眺めの。
「……終わりね」
「人類は、負けたんですね」
「どうした、浮かない顔だな」
「仕事終わりよ。もっと楽しそうな顔したら?」
二人が両側から片腕づつ、その肩を抱いた。いまは血の気の通っていない、ひややかな金属質の皮膚が、次第に二人の熱を帯びてゆく。ヴィルは俯き、その温もりを感じられない自身の体を呪った。
リンクデバイスから通知が入ると、それは輸送機との合流地点を表していた。ヴィルが現在の軌道から算出した、アイアンクレイの着陸地点と同じである。
「ホロミッドは所かまわず落ちてるらしい。着陸したら、アイアンクレイがホロンに食われるまでの間に輸送機へ乗り込もう」
向かい風が少し止んで、機体は斜め下向きに落ち始めた。そこから覗いてくる地表では、ホロンの細かな輝きが蠢いている。さながら、生きた鱗粉のようである。
「ランディングするわよ。お口チャック」
その表面を刻みながら、機体が緩やかに不時着。直後から、耳障りな音と共にアイアンクレイが飲み込まれてゆく。時間がないと分かったテオはアルカを肩車し、ヴィルを体の前で抱きかかえてから、足元に金属を劣化させる触媒領域を展開。ホロンを破壊しながら急ぎ足で進み、滞空する機体の垂らした巻き梯子へこぎつける。
ヴィル、アルカ、テオの順に搭乗完了。つつがなく機体はその場を発ち、第二波がやって来る前に離脱した。
「任務完了。とっととおうちに返りましょ!」
テオとアルカの心に、人類が滅んだことの悲しみはなかった。ただ、仕事を終えた達成感だけが胸にある。
ヴィルも仕事からの解放感は覚えていたが、どうしても胸の中に楔があった。
カルスに言われた言葉が、まだ胸の中に残っていた。
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