第42話


                   ⁂


「着いたわ」

 穴ぼこから這い出てくる機械の群れを潜り抜け、途中、何度か穴をあけられたぼろぼろの車体は、目的地である研究所に辿り着くや否や、煙を吹いて往生した。

 見える範囲の施設はそこまで大規模ではなく、学校の運動場を二・三面敷き詰めた程度のものだが、代わりに膨大な地下空間があり、そこにIIIのサンプルがあるという。

「……元々は普通に階段を下りる予定だったけど、時間がない。荒っぽく行くぞ」

 下がってろ、とテオは二人を手で制したあと、地面を劣化させ、地下空間に直通する穴を空けた。移動時間中、いちども能力を使わずに済んだおかげで、いくらか体力が回復していたことが功を奏した。先陣を切って中へ降り、クリアリングを済ませたのち、上で待つ二人を降りてこさせる。

 ダリスの情報提供によって、既に保管庫の位置は割れている。テオが作った通り道は、そこへ繋がる一本の廊下へ繋がるものだ。少し先に、鈍色の金属扉が見えている。

 歩きながら、テオは太腿から微量の濃塩酸と濃硝酸が入った容器を取り出す。扉の造りが頑丈だった場合、破壊するだけでも一苦労だが、この二つがあれば王水を作れる。その反応をさらに触媒すれば、労力で事足りるという算段だ。

 しかし扉の前に辿り着いたとき、三人は言葉を詰まらせながら立ち止まった。扉は確かにそこにあったが、それをロックする面舵がすっぽり姿を消し、真ん中に丸い穴を空けていたのだ。他の部品は完璧に揃っているのに、最も重要なその部分だけがない。まるで、だれかが部品の取り付けを忘れてしまったかのように。

 そしてその穴の奥で、誰かが椅子に座って三人を見ていた。


「――やぁ。初めまして、レキの人たち」


 中世的な声と外見。背凭れを逆さにして胸元へ抱き込みながら、手前にもう一つ椅子を用意して、まぁ落ち着いて座れとでも言いたげに、気の抜けた声で話しかけてくる。

 テオはとっさに一歩前へ出て、二人を背中側に回し、考えうるすべての攻撃に警戒を注ぐ。しかしその男はまるで敵意を見せないまま欠伸を噛み、次のように言った。

「ヒイラギ・テオ。君がそうかい? レキからはるばるヴィシュへようこそ」

 もちろん、テオは彼と面識がなかった。

「……初対面のはずなんだけど」

「君はぼくのことを知らないからね。ぼくは君のことを知っているけど」

 テオは警戒を強める。相手が此方の情報を握っていることから、軍の関係者である可能性は大いにあった。<相手するのも面倒だわ> とアルカが呟いて、こっそりテオのホルスターに手をかける。隙を見せた瞬間、眉間に風穴を開けるつもりだ。

 するとコロイドは、アルカの殺意を読み取ったかのように、右手に一本のシリンダーを掲げて「お望みの品はこちらかな」と尋ねる。紛うことなく、それはこの保管庫にあるIIIだ。ここにはその一本しかない。

「自己紹介をするよ。ぼくはコロイド。私立探偵だ。ヴィシュが滅ぼされるまでの間に、こいつを巡って取引しよう」

<――僕だ。博士、アイリス、ダリス、いるか? あいつは何だ。予定にないぞ>

 テオが急遽繋いだ通信に、レキのアイリスがややあって回答した。少なからず彼女も困惑の念を露にしていることが、意識帯越しに伝わってきた。

<……私の見た夢に、彼は出ていないわ。彼は蝶の混沌そのものよ。甘い見積もりは避けて。目標回収を最優先に>

<あいつはどうする。排除すべきか?>

<とっとと気絶させて奪いましょうよ。後はマギアスが担ってくれるわ>

<……この期に及んで生死は問わないわ。物を回収できれば>

 わかった、とテオは頷いて、コロイドと名乗った男と向き直った。

 意識通信の間、コロイドは彼の顔をずっと見ていた。一秒にも満たない間だったが、コロイドは実に多くの事を発見していた。テオの集中がいちど自分から外れ、別の何かを考えていたこと。そして再び目が合った時には、困惑のない、目的の定まった目になっていたこと。それは彼が曲がりなりにも探偵として身につけた観察眼だ。テオがあの首輪で誰かと通信し、状況に対する指示を受けたことは容易に推理できた。

 試しにコロイドは、手に持ったIIIを放り投げるふりをして反応を伺ってみる。すると隙をついて彼を無力化しようと試みていたアルカが、「あっ」と声を上げて反応した。

「おっと、赤い髪の子、殺気立ってるね。僕を殺してでもこいつが欲しいわけだ。でも~、悪いことは言わないから、単細胞・・・なことはやめたほうがいいね。なぜなら――」

<ペチャクチャ喋ってんじゃないわよ>

 面倒がったアルカが、背後のアイアンクレイに意識を照準。途端、コロイドは手を素早くスイングさせて、その手からシリンダーを消した。しかし数秒後、彼は再び手を振って、何事もなかったかのようにシリンダーを手元に戻した。

 マジックでいう所の消失バニツシユだ、とテオは理解する。何のことはない、器用に手の裏へシリンダーを隠し持ち、元に戻しただけのことだ。

「こうなるってわけだ。どうか、ぼくを殺すなんて余計なことは考えないほうがいいね。せっかく椅子を用意したんだ。話し合おうという意思を組んで欲しいものだ」

 参ったな、とテオは頭を掻いた。どんな条件を吹っ掛けられるか予想できたものではないが、それでも相手に心臓を握られている以上、応じるほかに道はない。彼の勘が鋭すぎるせいで、隙をついて奪うことも難しそうだ。

<……どうするの? アタシ、こういうの苦手なんだけど>

<喋らせよう。そうするしかない>

 テオがそう判断すると、アルカは引き下がった。

「何が目的だ?」

「おお、君はわかってくれたみたいだね。助かるよ。ちゃんと頭を動かしてくれて。正直、そこが一番の懸念だったからね」

「御託はいい。要求は?」

「なに、そんなに難しいことじゃない。とりあえず座りなよ」

 コロイドはリラックスした様子で、自身の奥側からもう一つの椅子を取り出し、自身の前に置いた。テオは言われるがまま席に着く。コロイドはシリンダーを手遊てすさんでいる。

「さて、手早くいこう。時間もないしね。此方の要求は三つ。第一に、レキにぼくとその同行者が訪れた時、無条件でそれらを保護すること。第二に、君たちが捕らえたレイという少女を、その時に保管庫から解放すること。第三に、誰かのリンクデバイスを一つ置いて帰り、レキといつでも交信可能にすること」

「なぜそんな約束を結びたがるんだ」

「エゴさ。それ以外にない」

 コロイドは笑う。テオは不安がる。条件自体は無理難題ではないが、やはりトロールの国にヴィシュの人間を歓迎することは往年の抵抗があった。

 レイという少女に対する記憶は曖昧だが、少し残っていた。典型的なヴィシュの人間で、トロールに対する憎悪と差別意識が無意識レベルで備わっていた。願わくば目覚めさせたくはない。

<ねぇテオ、何悩んでんのよ。そんなの適当に頷いといて、後から破ればいいじゃない>

<……面倒だし、それでもアリだな>

 すると不意に、コロイドから、急遽ある条件が追加された。

「アルカ・アマビスカ、そしてヴェイル。意識帯から抜けてくれ。これ以降の会話は、アルカ・アマビスカの着けているリンクデバイスを使って、一対一で行うことにする」

「……僕らはともかく、ヴィルの本名まで、何故知ってる」

「初歩的な推理って奴さ」

「ホームズ気取りはよせ」

 コロイドは、心なしか嬉しそうにした。

<ちょっと、どうすんのよ?>

<従ってくれ。向こうの情報もこれで透けることになる。安心しろ、上手くやる>

<……分かったわよ。でも、失敗したらタダじゃおかないからね>

 アルカが嫌々ながらに手放したデバイスが、テオを通じてコロイドの手元に渡った。ヴィルも不安げにテオを見ながら、意識帯を離脱する。

 するとその首輪を受け取ってはじめて、コロイドから全知のヴェールが剥がれた。

「あのさ、これの使い方は知らないんだけど――どうやるの?」

「首に着けろ。あとは自動だ」

「あぁ、なるほど。道理で聞こえなかったわけだ」

 テオの構築した意識帯に、コロイドが紛れ込んできた。正真正銘、二人だけの意識空間だ。これで互いに隠し事はできない。

<――さて、ぼくの条件は呑んでもらえるかな>

 かくして、二人の交渉が開始された。

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