第39話
⁂
降り注いだ光の柱が、街に炎を灯した瞬間を見て、テオはここで戦う気を失う。
「……ヴィシュも終わりか。僕なんかに構わず、外へ逃げたらどうだ?」
「俺が敵を前に逃げる? 有り得ない話だな、そいつは」
「勝つ公算はあるのか? 僕はともかく、あのかなとこ雲みたいな奴にさ」
「生きるために戦う以外の目的を、俺は知らない。それが俺のすべてだ」
彼の言葉がいちども勝算について言及しないのは、もはや覚悟が決まっていると見ていいのか、それとも、それ以外のことを知らないのか、テオは考える。
「……勝てない戦に挑むのは蛮勇だ。それほど無意味なことはない」
クライズは、つまらなさそうに鼻を鳴らす。
「偉そうな口利きやがって。馬鹿にすんな。んなこったぁ俺だって分かってるよ。ただ、そうするしかないからそうしてるだけだ。文句あるか?」
「逃げればいいだろ。こんな国捨てて。残り少ないが、まだ逃げ場はある」
それを聞いて、クライズは自嘲気味に笑った。
「アンタは俺たちの事をわかっちゃいないな。この国が死ぬと、俺たちも死ぬんだ」
「……どういうことだ?」
「俺たちは製品だ。国民から集めた生殖細胞を好き勝手混ぜ合わせていい感じの子供を作り、能力を与え、教育することで生み出された。戦いのためにな」
見ろよ、と彼が上着を脱いで肌を晒すと、その胸元に切開手術の痕が見て取れた。
「ここに俺たちのキル・スイッチがある。ヴィシュが供給する特定の成分を摂取しなければ、四十八時間以内に作動し、確実に死に至る」
「
「できる奴もいる。だけど、実際にする奴はほとんどいない。仕組みだけでなく、オベンキョウによってきっちり精神面で保険を掛けるのが、ヴィシュの偉いとこだ」
クライズはシニカルに笑った。先ほどからずっと彼を言葉を交わしていると、テオはすこし、不思議な気分になった。彼の様に皮肉っぽい話し方をする人間を、ヴィシュで見かけたことなど無かった。
「……お勉強ね。なら、どうにもお前は優等生じゃなさそうだ」
「あぁ、そうだ。映画と推理好きの古い大人に、色々と吹聴されちまった」
その瞳が、愛おしい過去を想うように遠くを見つめた。テオが不意にそのもとへ歩み寄ると、敵意をまるで感じ取れなかった彼は、とても不思議そうにした。
「なんだよ」「少し胸を貸せ」
「野郎に貸す胸なんかねぇよ」「いいから」
指先を彼の切開痕に触れ、テオが触媒検査をした。その結果、クライズの心臓の左心室の大動脈が一部プラスチック――用途的にポリエステル――製の人工血管に置き換えられていて、その中に、作動式のフィルタが複数存在していることが分かった。何らかの条件を満たすとフィルタが機能し、彼の体内にある
「……なるほど。作動したら、確かに死にそうだ」
「なんだ、今ので仕組みが分かっちまったのか。劣化させる力って俺の推理は、どうやら外れみたいだな」
「一部正解だ。もっと器用貧乏な力だよ。だが、悪い事ばかりじゃない。僕ならこいつを無力化できる」
クライズは怪訝な面持ちでテオの方を見た。
「敵に塩を送って、お前に良いことなんかないだろ。対価は?」
「この場を見逃せ。僕達はヴィシュを滅ぼしに来たわけじゃない。無数にストックされているもののうち、一つだけ貰えれば済むことだ。用が済めば戻る」
「俺がお前を信用して頷いて、そのままお前に殺されるってオチは、映画で見たぜ」
「僕もある。でも、信じてくれ。お前を殺す動機が僕にはない」
「どうだかなぁ……」
するとテオは、彼の胸板に爪を立てて意識させた。
「そうするつもりなら、お互いに最初からそうしてるだろ。いま僕達の間で何も起きていないことが、即ち敵意がないことの証明だろう」
クライズは自分の胸板を見て、思案するように首を斜めに傾げた。触れたものをどうにかできる
「……クソッ、なんだかうまく騙されてる気がする」
急かすような光芒が天蓋を穿ち、震度5相当の揺れが辺りを軋ませる。その首筋に刃が迫るような切迫感を決め手に、ついにクライズが芯を折った。
「……いいよ、俺の負けだよ。好きにしやがれ。俺もお前の手首をいつでも破壊できる。それが分からなくて話を持ち掛けるような馬鹿でもないだろ」
「よし。二言はないぞ」
テオは詳細な触媒検査を行い、その血中に存在する要素を解析。
終わったぞ、とテオに知らされて、クライズは何をしたか尋ねた。テオは先程の行為を丁寧に説明し、キル・スイッチが作動しても、動脈瘤が生まれないことを納得させた。クライズは確かめるために腕の端末を操作し、データサーバーへアクセス。そこにリアルタイムで保存されている筈の、自身の現在地を検索する。
結果はエラーだ。数秒前の座標を最後にその追跡は停止している。コンスタンシーがその機能を停止したことの証拠だ。
クライズはたまらず苦笑した。長らく己を呪ってきた重い枷がものの一瞬にして外れてしまって、奇妙な浮遊感を覚えていた。
「……お前の力を持って生まれたかったもんだ」
失せろ、とクライズがテオを手で追い払う。言われた通りに、テオはその場を去ろうと背を向けた。自分ばかり疑っているのがなんだか間抜けに思えて悔しく、クライズは少し悪戯にこう言った。
「俺がいまからお前を裏切るって選択肢は?」
振り返って、テオは肩をすくめる。
「冗談よせよ。お前はそんな心無いヤツじゃない。どっちかというと、お前、
「ケッ、つまんねーの。ちょっとは驚いたりしろよ」
「お前はもうヴィシュに囚われてない。自由だ。逃げたところで、殺されはしない」
クライズは忌まわし気に空を睨みながら、拳を硬く握りしめた。
「いきなり枷が外れても、何をすればいいのか分からないもんだ。なまじ、俺の全てがここにあるせいでな。それが今夜にでも全部ブッ壊れるなら、先ずはそいつを見届けるさ」
辻風が吹き、粉塵が舞い上がる。それが彼の最後の言葉だった。その残像である砂利の雨に、テオは彼の多幸を祈りながら、その場を後にした。
「……さて、無事に終わったのはいいけど、どうしたもんか」
そう口にしてあたりを見渡していると、不意に後ろから聞き馴染みのある声。振り返ると、バンに乗ったヴィルとアルカが迎えにきていた。
「二人とも。もう終わったのか?」
アルカが横に車を止めると、ヴィルが一番に補助席を降りて、テオの元にやって来る。
「今しがた。テオもその様子だと、どうやら無事に……」
最初は笑顔を浮かべていたが、話している途中で周囲の惨状に気付くと、一転して蒼白な面持ちを浮かべた。半壊したビルが散乱し、地面にはクレーターがあり、周辺の者は竜巻を爆発させた影響でみな黒ずんでいる。<なんですかこれ戦争でもあったんですかどこか怪我してないですか大丈夫ですか> と、ごちゃまぜの心配が意識帯を巡り、表情も白黒として定まらない。
「待て待て、落ち着け。僕は大丈夫だから」
本当は全身にまんべんなく鈍痛があり、アドレナリン切れが進んで徐々にその存在感も増しつつあるが、テオは虚栄心の満足を優先した。だが彼女は疑った目つきで再度尋ねた。
「本当ですか? やせ我慢してませんか? 男の人って、そういうこと辺に隠そうとするから……ほら、言った傍から頬に擦り傷があるし、打撲も……ちょっと、今レポート読みましたけど、全身あちこち打ってるじゃないですか。罅も入ってるし……」
「テオが相手だと甲斐甲斐しいわねぇ。アタシなんて立ての一言よ」
「アルカは、黙ってて」
「ツバつけときゃ治る。大したことない。……っていうか、お
「いやぁ、ちょっとばかし危なかったわね。アタシも修行が足りないわ」
「まったく……今は仕方ないですけど、帰ったら医務室ですからね」
わかったわかったと頷いて、テオがバンの助手席に座る。後部座席に座ったヴィルは、その反応をやや不満そうに受け取りながらも、ふと別な事が気になって問いかけた。
「そう言えば、テオの相手はどうなったんですか?」
「どっか行った」
「え、やっつけたんじゃないの?」
言いながらアルカはアクセルを踏み、最終目的地へ急ぐ。交戦状態が本格化してきた現在以降、火事場泥棒は正に今という頃合いである。
「てっきりこんな惨状だから、跡形もなく吹っ飛ばしたんだと思ってたわ」
テオはシートベルトを締めながら、何の気なしに顛末を語った。
「いや、話し合いで解決したぞ。大団円だ。やっぱり争いなんてするべきじゃない」
ヴィルとアルカは、度し難いような顔をした。
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