第38話
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幾度に及ぶ打撃を経て明確になったのは、その膂力が互角で、技量はアルカに一日の長があるものの、持久力では劣るということ。その力の媒質を己が肉体とするメアリに対し、アイアンクレイという
大砲と相違ない迫力を持つ右拳を掻い潜って懐に入り、右腕の駆動部を磁場で加速してクロス・カウンター。相手の腕の外側から顎へと滑り込む理想的な軌道で、ガチン、と甲高い音が鳴る。歯茎ごと粉々に砕く心づもりで放った一撃だったが、メアリは表情を変えることなく、反撃の左フックを側頭部へ放った。
装甲から無数の棘を形成して、アルカは拳を迎え撃とうとする。しかし肉を金属バットで殴打したような生々しい音と共に、吹き飛んだのはアルカの方だ。
十数m吹き飛ばされたのち、どうにか起き上がって顏を上げると、既にメアリはその懐にいて、顎から首を根こそぎ吹き飛ばすような角度で拳を駆動させていた。
<――フルスイングはカンベン!>
アルカは堪らず体を拳の軌道から逸らし、メアリに抱き着いてクリンチの体勢を取る。これでパンチは打てないと踏んでいたが、メアリは直立不動のまま彼女の装甲に人差し指を巡らせ、そして蛇腹になった脇腹の脆部に目を付けると、その指一本の長さをテイクバックとして、握り拳を叩きこんだ。
<うッ――>
プレス機じみた圧搾音。遅れて彼女の全身が弓状に歪む。そして胸の高さまで降りてきた剥き出しの顎をアッパーカットで打ち返すと、海老ぞりに浮き上がった相手の腹部へ、腕ごとねじ込むように拳を放つ。
<
その衝撃が触れる直前、アルカは自身を包んでいた全てのアイアンクレイを盾にし、その一撃を受け止めた。10tの鉄球をモロに喰らっても、いささかマシに思える衝撃。それは間髪入れず、二発目、三発目と続く。盾は悲鳴を上げながら崩れ、拉げ、壊れ、次第にアルカへ肉薄していった。
このままでは押し切られると見た彼女は、四発目を斜めに受け流し、盾を鎧に戻すと、そのまま身を捩って頚椎にハイキックを叩き込む。
命中。しかし、効き目はない。膂力も耐久力でも、もはや勝ち目はないという絶望が、アルカの脳裏へ刻み込まれる。メアリは平然と首元へ手を伸ばし、足首を掴むと、ヌンチャクのように地面へ叩きつけた。鎧がひび割れ、殺しきれなかった衝撃がアルカの全身を巡る。それから玩具のように放り投げられ、道路を挟んで向かい側のビルへ衝突。外壁を貫いてなお勢いは止まず、仮設されたエレベータの扉に背中を受け止められて漸く止まった。罅と歪みまみれの鎧が磁力を失って溶けだし、屍人の
「ん、死んだかな」
破片を踏み砕きながらビルの中へ来たメアリの無表情を見上げて、アルカは諦観しながら助けを呼んだ。
<――アタシ、ちょっとヤバいかも>
⁂
コアユニットから通常の倍の電力を供給し、軋む全身の駆動系を定格オーバーで動かしながら、限界まで早くビルの森を進む。リンクデバイスから聴いた彼女の呟きは、普段の勝気な性格を鑑みれば悲鳴も同然だ。事態は一刻を争う。
<――あと十数秒で着きます。状況は!?>
<馬鹿力と再生能力のあるチビッ子よ。アタシより強い。袋小路ってとこかしらね>
ヴィルは冷静に戦略を練る。
――アルカが膂力で敵わなかった相手と同じ標高に立って銃撃を行うのは避けたい。ビルの屋上から撃ちおろすのが最適。でも、二人はビルの中にいる。援護を行うには、外へ出てもらう必要がある。
その思考は、共通意識帯に居るアルカにも、朧気ながらに通じていた。故にヴィルが次に放った言葉が何を意味しているのか、素直に理解できた。
<最後の抵抗、何秒持ちますか>
<……5秒、ってとこかしら。でも、生半可な弾じゃ効かないわよ>
<対物弾でも? 装甲車の装甲を貫けます>
<たぶんダメ。その辺の戦車を相手にするぐらいじゃないと>
<……なら、ミニHEATを定格3倍の電力で打ちます。重四脚マギアスの複合装甲だって一撃で貫く代物です。人に撃つのはあまり気は進みませんが……やむを得ません。相手を外に引き出して、私の射程圏内に入れてください>
<……無茶言ってくれるじゃない>
通信を終えて、アルカは乾笑した。既に体はボロボロで、
思考を澄まし、意識帯上を流れるヴィルの感情を聴いた。不安、焦り、躊躇い――そして何より、自身に対するらしくないという苛立ち。五体満足で頭も動くクセに諦めるなと、言外に鼓舞されているように思えた。
<いいわよ、やってやるわ。こんな所で死ぬなんて御免だからね>
震える足に力を込めて立ち上がり、その様子を怪訝がるメアリと真正面から相対。零れたメタルクレイから作った黒の十字架に口づけして、神の加護を請うた。
<神様。どうか、力を頂戴。あとでちゃんと返すから>
散り散りになったアイアンクレイを再び集めて、一本の大槍を構える。継戦の意思ありと判断して、メアリはクラウチング・スタートのような体勢を取り、下肢に力を込めた。膨大な筋繊維が収縮して、金属ワイヤを限界まで緊張させたような音が鳴る。そこから放たれる力を想像して、アルカは小さく息をのんだ。今自分の手元に浮かぶこの大槍が、頼りなくて仕方ない。
<今! 来てッ!>
――けれど、仲間がいるなら。
「りょおかぁぁぁぁいッ!」
下肢が解放。猛烈な速度でメアリが加速する。
その圧倒的な運動エネルギーと、今や正面衝突するつもりはない。大槍はフェイクだ。アルカは即座に形状を解除すると、メアリの足に纏わりつかせ、地面に磁場を形成して固定する。
突然形成された支点に対応できず、メアリは回転して地面と額を衝突させる。自分の力を真面に受けたせいか、額から少量の血が流れていた。
アルカは間髪入れずに、磁場を頭上へ持ち上げる。出荷される豚のように宙へ吊り上げて、そのまま外へ放りだそうという算段だ。
だが直前、メアリが咄嗟に伸ばした指が地面を掴む。両者の力が拮抗し、動きが止まる。指対能力の力比べだが、憔悴しきったアルカには分が悪い。
「悪あがき、するなぁッ!」
途切れそうな意識を根性で繋ぎ止めながら、アルカは背後からエレベーターの扉を引き剥がし、地面すれすれに回転射出。その手が地面から離れるのを見て、全身全霊の力をこめる。――「吹き飛べッ!」
磁場に引かれて、メアリが外へ出る。アルカの集中が切れ、アイアンクレイが形を失った。拘束の解けたメアリが着地する。再び両脚へ力をこめる。
アルカは右手でローレンツを作り、人差し指で、「ばぁん」と撃った。
メアリの左胸に、紅の花が咲く。眩いばかりの
その背後から、ヴィルがワイヤ伝いに降りてくる。補綴剤の入ったシリンダを撃ちこみ、その一命を確保したあと、泣き笑いするようアルカの元へ駆け寄った。
「……あはっ、ヴィル。ヴィル……」
「なんとか、間に合ったみたいですね」
「……愛してるわ、ヴィル。アンタが居てくれて良かった」
「言われなくても、それくらい知ってます。私もですよ。……ほら、立てますか?」
「……ごめん。いま、もしかして滅多に言わないようなこと言った? もう一回いい?」
「戦場で、そんな甘えたこと言わないで。早く立ちなさい」
アルカは右手を差し出し、「一人じゃ立てない」と甘えた。
仕方ないですね、ヴィルはアルカの手を引いた。しかしここまでの無理が祟ったのか力が抜けて、かえってアルカの胸元へ倒れ込んでしまった。
「あら……大丈夫?」
「あっ、ご、ごめんなさい。出力不足で」
「アタシが甘えてる場合じゃないわね」
「……自分ではもう少し行けると思ってたんですが」
「補綴剤は? たしか二つあったでしょ。……まぁ、アンタの事だから両方とも敵に打ってそうだけど」
「仰る通りです」
アルカは呆れ半分に相好を崩した。
「自分に使えばよかったのに。無理に敵を生かしておく必要もないでしょ」
不意に頭上で爆音がして、二人がおもわず首をすぼめる。母艦からの攻撃だ。またか、と軽く流したヴィルに対し、アルカは驚きの表情を浮かべていた。
「うっわ、何アレ……。いつの間に来てたの?」
「数分前からだったと思いますが……まさか、気付いてなかったんですか?」
「いやぁ……さっぱり」
するとヴィルは天を仰ぐアルカと同じ方角を見ながら、いつになく鋭い目つきで言った。
「……あれが、本当の敵です。人間同士で数を減らすなんて、本末転倒ですよ」
「アンタに言われるとカタなしね……」
アルカはバツが悪そうにした。
再び天蓋が軋み、周囲が昼も同じの明るさになる。母艦はホロミッドとミサイルによる攻撃が無駄だと学習し、攻撃方法をレーザー照射に切り替えたようだ。出力は不明だが、ヴィルの計算ではペタワット級である。甚大な出力を一点に受けた天蓋が痛ましく明滅し、ミリ秒ほど隙間が生じるのを許すと、その隙間をすり抜けた光芒が直下の街を穿ち、炎を灯した。
照射が終わるが、夜には戻らない。燃え盛る大地が篝火となり、その燃料が途切れるまで、世界を赫々と照らし続けることになる。
「応援が来るかと案じてたけど、どうにもそれどころじゃないみたいね」
「テオのところに合流しましょう。早く終わらせないと、まずいことになります」
「そうね」
じきに天蓋は破れるだろう。既に空は騒がしく、無数の無人哨戒機が、外壁を攻撃するマギアス達を爆撃している。戦争の序破急は破へ至った。ここから先は、一国の存亡をかけた総力戦だ。それ迄にドサクサで仕事を終えなければ、巻き込まれて死ぬことになる。
タイムリミットは、三十分もない。
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