第36話


 屋上のターレットを隠れ蓑に、敵の居場所を伺っていると、突然、ヴィルの視界が揺れた。

<――なに?>

 見上げて、そこに巨大な母艦があることに気付く。ひと目には収まりきらない町一つ分の大きさの金属塊から、金属の雨が降っている。

<――始まった>

 直後、どこかから放たれた弾丸が、ヴィルの側頭部を貫通。散乱した赤い血液・・が、最後の輝きを放って消える。そこに乾いた発砲音が追いつくころ、撃ち抜かれた彼女の身体は、塵となって消えていた。

 能動鱗粉アクテイブスケール。ハミングバードに搭載されたホログラム技術で、空間に立体像を投影できる。いま破壊された彼女は、全六基あるそれの一つにすぎない。

<デコイに掛かった。マークして> <<:了解:>>

 リンクデバイスのアシスタントが返事をして、弾丸の貫入角度からカウンタースナイプのシミュレーションを開始。導出された敵の座標が彼女の意識へ啓示される。

 デコイを喪ったドローンが計算された座標へ移動し、標的をマーク。本物のヴィルが別の屋上から銃口を覗かせ、トリガを牽引。

<<:目標喪失ターゲツト・ロスト ロックオン解除:>>

 しかしその直前に、敵は姿を消していた。

<――だ……>

 既に何度か聞いたその通知に歯噛みする。直後、正面に捉えたはずの敵からのカウンタースナイプが背中・・に炸裂した。甲高い音を立てて装甲を貫徹した弾丸が微細機械を吹き飛ばす。

<くッ……!>

 敵が次弾装填する僅かな間に屋上から飛び降り、向かいのビルへグラップリング・フックを射出。場所を移動するべくスイングを試みるものの、身体を引き込む腕の出力が足りず壁に衝突。ワイヤを巻き取ってどうにか屋上へ体を引き上げる。

<……現在の体組織充填率は?>

 全身のマイクロマシンが流動する感覚を覚えながら尋ねる。

<<:被弾数=4 体構造充填率=63% 危険域まで13%:>>

 マイクロマシンという共通単位で構成された彼女の身体は、どこかが破損してもすぐ修復可能だが、代償として全身の人工筋出力が低下する。遭難した人間が、命を繋ぐために筋肉をエネルギー源にするのと同じだ。彼女は身体を消費して傷を治している。

 充填率が50%を下回ったとき、彼女の人工筋出力はメインウエポンの重量を下回る。戦場においては事実上の死だ。

<相手の弾丸、絶対に普通の代物じゃない。ダムダムとか、内部炸裂弾とか……。戦時国際法がないとはいえ、こんなの撃って来るなんてロクな奴じゃない>

 通常、一発の被弾で喪われる体組織は、その弾丸の体積と殆ど同じでごく僅かなものだ。だが今回は4発の被弾で体組織の4割弱が失われており、その威力は規格外といえる。当たり所が悪ければ、次の一撃は致命的だ。

 対して、命中させた弾数はゼロ。両手に抱えた加速器の重みは、筋出力の低下によるものだけではない。

<――まるで、群れみたいな敵>

 四発の被弾を経て得た情報は、敵の能力アクトが瞬間移動であるということだ。相手は狙撃ポイントを自由自在に動き回れる。そんな相手との戦いは、さながら鬱蒼とした森で化けオオカミの群れに囲まれ、じりじりと追いつめられてゆくかの如しだ。そしてこちらが反撃に転じれば、霞が如くどこかへ消えてしまうのである。

<<:デコイが消失……射手の座標を特定。現在地からの反撃は不可能:>>

<反撃可能な位置へ移動する>

<<:射手の座標が消失:>>

<くッ……>

 デコイの数は残り二つ。それが無くなればいよいよ敵の居場所さえ掴めなくなると思うと、額のあたりが冷たくなってくる。

<……このままやってもダメだ。あれに勝つには、出し抜くしかない>

 射線の通らない場所で暫しの猶予を得た彼女は戦略を練る。今あるものは、銃と弾丸。グラップル装置。デコイ二つ。サブウエポンのハンドガン。周囲に存在する建造物の正確な三次元データ。記録された敵の位置。これで敵に勝つには何を?

<……敵の移動場所は、本当にランダム? リストアップして、マップにプロット>

 ヴィルの意識上にその結果が啓示されると、彼女は動きを止めて意識を集中し、そこにある一つの傾向を突き止める。敵が狙撃地点に選んだ場所は、どれも高度150m以上の地点。高層ビルに電波塔――そういう見晴らしのいい場所にしか行かない。

<……この傾向を前提とした場合、狙撃地点に選ばれうる高所は?>

 彼女の意識の上で、マップが俯瞰図に変わり、二十三か所に及ぶ候補地が浮かび上がった。次、敵はここのどれかに飛ぶ――そう思っていた矢先、外に放っていたデコイがまた撃ち抜かれ、敵の現在位置を示す赤点ドツトが、二十三の候補地点の一つと重複した。

<<:能動鱗粉アクテイブスケール、残機1:>>

 デコイ残り一。破壊されるのは時間の問題だ。

 罠がいる、とヴィルは思考を練る。敵が自ら足を踏み入れたくなる甘美な餌と、死ぬ瞬間まで嵌められたことに気付けないような真綿の吊輪、そして、巧妙で致命的な仕掛けが一つになったもの。

 幾何かして、できるはずないと半ば諦めかけたとき、無意識から一つのアイデアが湧き出てきた。

<――二十三か所のうち、射線が制限される場所はある? できれば、一本だけに>

 自分の額が今度は猛烈な熱を放つのが分かった。これは膨大な三次元経路探索問題である。最先端のヴィルの頭脳でも、回答を得るには10秒ほど要する。

<<:第七地区 32番通りに該当箇所を発見:>>

<あった!?>

 彼女の求めていた活路が、三次元マップ上に表示された。

<ここなら、やれるはず……!>

 ヴィルは密かな昂揚を感じた。32番通り。行き止まりに高さ300mの電波塔を構えたT字路で、そこへ繋がる直線の通り道は、並み立つ高層ビル群に挟まれている。つまりその通りに居る限り、電波塔以外から射線が通らないのだ。

 誘い込めれば、ほぼ多対一の現在から、一対一のガンマン勝負にまで持ち込める。形勢は少なくとも五分で、今より遥かに良い。

<道路までの最適経路を演算。分かるようにして> <<:完了:>>

 命をひとつ、これに掛けようと、ヴィルは臍を固めた。

 瞳を閉じて、息を深く吸う。そして再び、ビルの森へ身を乗り出した。

<――……い、いや、もう少し待って。その経路をね……>

 その直後、人の校閲能力が最大となる瞬間に、思いついた変更を加えて。


                   ⁂


 仕留めたかと思われた敵影を再び捉えたとき、狙撃手のカルスは舌打ちした。

 彼にとって、狙撃は生き甲斐であり、至上の快楽だ。圧倒的に有利な場所から、必死の顔色で逃げる敵の命を玩ぶ優越感。引き金を引いてから敵に命中するまでの、焦がれるようなタイムラグ。ヒットした弾丸が咲かせる血の華の美しさ。彼がこれまでの人生で最も深く愛したものだ。

 故に、今はストレスが溜まって仕方がない。あの敵はデコイを弄し、また本体も謎の耐久性を持っているせいで、何度撃っても一向に死なない。

 おそらく治癒力を持つ能力者アクターか、それに近い何かであろうと予感していた。能力者アクターを殺すには脳を狙うのが最適だ。そこが力を生み出す根源なのだから。だが縦横無尽に動き回る敵の、そのわずかな面積しかない頭を打ち抜くことは、たとえどれだけ狙撃に卓越していようと至難の業だ。確実に実行するには策がいる。

 ――どこか、一本道へ誘い込む。

 彼の頭には、ヴィシュの街構造が全て記憶されている。一度見たものを永遠に忘れることが出来ないという、奇妙な宿痾しゆくあによるものだ。それは常人を狂わしかねないが、彼にとっては、過去の狩りを永遠に鮮明に思い出せる、紛うことなき神からのギフトであった。

 ――例えば32番通り、電波塔から一気に見下ろせるあの場所なら。

 そう考えていると、不意に視界の端に敵の姿を捉えて、奇妙な一致に思わず瞬いた。その進む方向、それはいま自分が思い浮かべていた通りへの最短ルートに違いなかった。

「……どっちだろうな」

 偶然か、それとも、狙っているのか。これまで此方が取った狙撃場所から傾向を割り出し、かつ何らかの事前調査によって、敵も32番通りの特性を知っているとすれば、あの動きは理に適う。この状況をガンマン勝負まで引き戻せるのだから。裏を返すと、敵がそう動いているということは、現状維持ではこちらが有利ということだ。

「……でもな、このままじゃ俺も退屈なんだよ。このままジリ貧でお前が死ぬところは見たくないんだ。もっと派手に、花火みたいに死なないと」

 カルスはそう呟くと、電波塔へ向かうことを決める。ガンマン勝負とはいえど、彼が移動するのは高さ300mの電波塔で、相手とは百を超える標高差がある。銃撃戦において、位置の高低差は時に銃の性能差さえひっくり返す、重大な要素だ。撃ちおろす角度がつくほど弱点の多い上半身の相対面積が増え、見上げるほどその逆が起きるのだから、これは当然の道理である。

 ヘッドショットを狙うのに、それ以上の機会はない。そして何より上から頭を砕くと、最もその瞬間が映えるのだ。脳漿と血の混ざっててらついた、雛罌粟のような美しい赤の飛沫が、一輪の薔薇のように美しく咲くのだ。

 しかも相手は相当な美人だ。そんな光景を一度でも目に出来れば、数年はネタに困らない。

「――いいだろう。その勝負、受けて立ってやる」

 瞼を閉じ、脳内で完璧に記憶されたマップから、目的地の電波塔を思い浮かべる。僅かに無重力感が去来して、気付いた時には、両足に金網の感触があった。瞼を開けて銃眼すると、予想通り、スイングしながらこちらに迫る敵の姿がある。

 息を止め、目に力を込める。景色が全てスローになった。スコープの向こうで、彼女が突然現れたこちらの姿に気づき、急いでスコープを覗こうとする様が見える。しかし既に銃眼している此方が、後れを取る道理はない。

「――真の愚者は、罠を掛ける時、自分が罠に掛けられるとは思わないのさ」

 敵がワイヤを離し、全身が重力に引かれて完全に静止した須臾の間。相手が此方に銃口を向けるより僅かに早く、カルスは口角を上げてその引き金を引いた。

 十字照準クロスヘアの交わる先で、飛び散る脳味噌と砕けた骸の可憐な華が咲く。

 その瞬間、カルスは絶頂に達する。


                   ⁂


 周囲の建物よりも頭一つ抜けた摩天楼、その足掛けに敵の姿が現れた時、ヴィルはハンドガンの引き金を引いた。それとほぼ同じタイミングで、敵もまた指を握り込んだ。

 血飛沫の織り成す鮮やかな色彩は、彼女が初めて目にした死の色。


 ――今の彼女にはない、血の赤色・・だ。

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