第35話



「……さて、二人っきりだな、侵入者」

 一方、アルカがメアリを連れて飛んで行った頃、クライズはテオが起き上がるのを待ちながら言った。

「野郎に言われても嬉しくないな……」

「そりゃ、そうだろうな」

 すると突然、道の脇にあった街灯が変形し、テオの脇腹へ鋭利な先端を伸ばした。途端に保護膜が鉄柱を崩壊させ、事なきを得る。クライズは落ち着いた素振りで自身の足元に落ちた街灯の粉末を撫で、興味深そうに語った。

「ひどい腐食だな。物を劣化させるってのがお前の力か? いや、一部か。さっき俺たちにしたこととは毛色が違うもんな。はて、一思いにこうしなかったのは、同情か、それとも何かしらの制約があるのか、どっちなんだろうな」

 そう確かめるように独り言ちって、それから何かを思いついたように顔を上げた。

「――あ、じゃぁこういうのはどうだ?」

 テオの足元にある地面が隆起し、その体を引っ繰り返す。打ち上げられたテオはそのまま地面に顔をぶつけて、鼻柱が折れ曲がる痛みにしばらくのたうち回った。

<どいつもこいつも僕の鼻に恨みでもあるのか?>

<ッ……テオ、今、そういうこと言うのは……>

<ちょっと、笑かさないでよ馬鹿!>

<あ、ごめん……いや笑ってんじゃねぇよ!>

 呻き声を上げながら起き上がるテオを見て、クライズは手を叩いて哄笑した。

「足元は掬えるって訳だ。防御範囲は地面より上ね。……いや、できるけど、やってないって事か。地面を劣化させちゃ、底なし沼もいい所だよな」

 テオは沈黙を通すが、あまりこの時間を長引かせるのは良い戦略ではないと悟る。

「なら、お前の力は、モノの形を変えることか。いや……さっきは空気に吹き飛ばされたな。不定形でなくても問題ないのか。なら、密度と体積の操作、とかどうだ?」

 負けじと憶測を披露すると、クライズの表情筋がわずかに動いた。

「聞かれたところで、答えるなんて思わないことだ」

「否定しないんだな。嘘は苦手か?」

 テオは確信に近いものを感じた。あと一つ、なにか仮説を補完できるような情報があれば――と思い、太腿の拳銃で肩を狙い撃つ。

 すると奇妙な現象が起きた。弾丸がクライズの体に触れたとき、ほんの一瞬、それが気球船と見紛うようなサイズに巨大化・・・し、軌道を明後日の方向に変えたのだ。彼から弾丸が離れると、それは元のサイズに戻り、どこかでチリンと音を鳴らした。その後、彼は変わらずそこに立っていて、傷を負った様子はなかった。

 テオは考察し、そして一つの仮説を瞬時に編み出す。身に触れた弾丸の密度を下げて巨大化し、巨大な風船のようなものに変えたのではなかろうか、と。

 弾丸の貫通力は、速度と絞られた弾頭の圧力との併せ技だ。弾は小さいほど空気抵抗を受けにくく、命中した際の貫通力も上がる。逆に弾丸を巨大化させれば、貫通力は低下し、空気抵抗が増して速度も低下する。元がせいぜい数十グラムの9㎜弾の威力は、子供が放り投げた風船程度に成り下がる。

「チッ……油断した」

 クライズが少し不快そうに歯噛みした。そのリアクションを見てテオは拳銃を仕舞い込むと、もう片方のホルスターに眠る新たな一丁に手を掛けた。

<……せっかくだし、これ使ってみるか>

 凹凸や溶接痕のないシームレスなグリップに、凹凸のない丸く伸びただけの銃身。博士オリジナルの拳銃で、銃そのものにはまだない。この装置の本懐は、込められた弾丸・・にある。その性能は、彼曰く――


『――僕が設計した、君の能力アクトを拡張する弾丸だ。感覚を君と同期する機能がついているから、君の身から遊離した場合でも、命中した相手に能力アクトを作用させることができる。』

 

テオはその説明通り、リンクデバイスから弾丸と神経・・を繋いだ。

<<:神経接続:遊離触媒――成功:>>

 手でも足でもない体から完全に遊離した場所で、ひやりと金属の冷たい感触がする。薬室内にある弾丸がリンクデバイスに神経信号を送信し、擬似的な触覚としてエンコードしているのだ。これにより、彼の能力は弾丸まで拡張される。

 あとは簡単だ。狙って引き金を引く。これだけでいい。

 クライズがその銃の奇妙なフォルムを見て、怪訝な面持ちを浮かべた。

「……何だ、それ」

「聞かれたところで、答えるなんて思わないことだ」

 コンデンサから銃身の多重コイルへ電流が走り、ローレンツ力で弾丸が射出、亜音速でクライズの腕に触れる。その瞬間、やはり弾丸は瞬く間に膨張・収縮し、からりと近くの地面に落ちた。感覚を同期されたその弾丸から意識が途切れるまで、テオはアスファルトのごつごつした質感と冷たさを感じていた。

 前と同じか、とクライズが首をかしげた束の間、彼の顔色が一気に青ざめた。彼が視線を傾けた先、僅かに弾へ触れたその手首から前が、燃え尽きた煙草のように白焦げた断面を残し、崩壊していた。

「――――は?」

 その顔に驚きが訪れ、痛みがそれを追い越して、大きく歪む。

 慟哭しながら蹲る彼に、テオはもう一度銃口を向けた。遊離触媒が弾とテオの神経を接続する都合、炸薬による乱暴な加速が行えない故の電気式だったが、拳銃サイズに小型化された都合上、連射には二秒の充電を要する。

 残り一秒。クライズが呻きながら体を起こし始める。

 ――もう立てるのか?

 テオは困惑しながら彼の手首を見て、その奇妙さに愁眉を寄せた。テーパを帯びたその先端、紐で縛ったかのように窄められた傷口からは、既に血が流れていない。

 ――能力アクトを自分自身に使ったんだな。

 腕の密度を弄って止血したのだろうが、痛みは相当なものと思われた。変形した箇所との境目にある骨や筋組織が鬱血し、人肌にあるまじき藍色を浮かべている。苦痛に歪んだ彼の瞳孔は、テオを真っすぐとらえて離さなかった。

「お前、よくも俺の手を――」

 カウント終了、それと同時に引き金を引く。照準は太腿。命中すれば無力化できる。

 だが放たれた弾丸は、彼に届くことなく地面へ落ちた。見ると、そこには白くぼやけた空気の塊が、威嚇するように渦を巻いていた。

 ――やっぱり密度操作か。仮説は間違いじゃないな。

 テオは額に脂汗をにじませながら、無意識のうちに一歩あとずさった。目の前に目に見えるほど凝縮された空気があるという事実に恐怖を覚える。彼にとって、空気とは防ぎようのない天敵にも等しい脅威なのだ。

「代償はきっちり支払ってもらうぞ、なぁッ!」

 直後、凝縮空気がテオに向かって解放。防ぎようはなく、猛烈な勢いで放出された空気塊がテオの胴体に打ち込まれる。

「う、お――」

 数メートルほど吹き飛ばされて、駐車していた無人バスと背面衝突。窓枠がクッションとなり、ダメージを軽減したため辛うじて意識はあるが、飛び散るガラス破片の向こう、怒りに身を任せて吶喊してくるクライズの姿が、息つく暇も与えない。

 クライズは両足から噴流を発生させることで空を飛んでいた。同時に胸の前で空気の渦を育て上げ、そこに地面の小石を巻き込むと、前方へ圧縮を解除。ショットガンが玩具に思えるほどの広範囲・高威力の一撃を放つ。

 作動した保護膜がその破片を全て劣化させるが、防げなかった空気圧がモロに命中。バスを押しのけて今度はビルへ吹き飛ばされる。作動した保護膜が壁を劣化させ、一棟丸ごと貫通。9.8の加速度を帯びて、アスファルトの地面へ肉薄していく。

<保護膜を弱めろ! 今のままじゃマントルまで一直線だ!>

<<:衝撃に備えて下さい:>>

 全身に力をこめながら、地面と衝突。地面に埋まらずに済んだ代償として、全身に無数のバットで殴られたような鈍痛が来る。

<<:全身に二十八の擦過傷と三十五の打撲を検知 第七腰椎に罅:>>

 朦朧とする意識の最中をリンクデバイスの詳細なダメージ報告が反響し、彼を気付けた。徐々に戻りだした視界から世界の輪郭を再びとらえた時、彼は何よりも先に生を実感した。

<あぁ、死ぬかと思った……>

 だが不意に、脳裏を走る片頭痛のような巨大アラート。どこからかか軋みの音を耳にしたと思い、不意に空を見上げてみると、そこには基礎を破壊され、此方に向かって倒壊してくる、ヴィシュの摩天楼そのものがあった。

 石と鉄の巨大なモノリスが、激甚な音/衝撃/熱を伴って衝突。元の強度に戻された保護膜のもとに、無数で大質量の外壁/折れた支柱/破片が際限なく飛来してくる。

 それらを無害な灰燼に帰させるたびに、眼球の裏側が酷使された脳の放つ灼熱で焼かれるかのようだった。

<<:シリンダーの使用を強く推奨:>>

 瓦礫の雨に壊れかけの傘を差しながら、懐の注射針を頸動脈に注射。凝縮糖分と興奮剤がひと鼓動のうちに全身を巡り、彼に仮初の力を与える。

 霞みつつあった彼の世界の輪郭が再びエッジを帯びた瞬間、そこに鋭い霹靂が一閃。一体なんだと顔を向けると、そこに一つの竜巻・・が見える。

 逆円錐を描くように圧縮される空気の流れが、瓦礫や粉塵を巻き込みながら数秒単位で成長していく。雷の元はその中で起きる静電気だ。火山雷の原理で、巻き込まれた粉塵や灰が摩擦帯電し、間欠的な放電を起こしている。

<おいおい……あんなの、どうしろってんだよ!>

 クライズの姿はその上方にあった。足元から気流を噴き出した浮遊しながら、此方の姿を探している。テオは項が総毛立つのを感じた。このまま何もしなければ、遅かれ早かれあの瓦礫に巻き込まれ、粉塵との合挽ミンチになる運命である。

 今際の際に追いやられて、起死回生の一手を考える。

 物理攻撃――全てあの竜巻に飲まれる。

 毒ガス――体内の酸素結合を上手く弄って呼気に一酸化炭素を含ませる方法が簡単だが、量は少ないし、彼の脚から出る気流が邪魔して届くかは微妙。

 音響や光による攻撃――実行する方法が不明。それに相手の方が五月蠅いし眩しい。

 精神攻撃――論外。

 だったら――死ぬしか。

 そうこうしているうちに、付近の掃除を終えた竜巻が、ついに此方へ舵を切った。竜巻は大質量を取り込んだ結果、最初の5倍ほどに肥大化しており、今もなおビルの外壁や道路をお構いなしに破壊して取り込んで成長を続けている。そして遂にはテオの隠れる瓦礫でさえも引き剥がし、その姿を曝け出させた。

「――見つけたぜェ、侵入者!」

 匍匐前進で近くにあったポールにしがみ付くと、足元が気圧に飲まれて浮き上がる。いつ雷が落ちても、瓦礫の破片が飛んできてもおかしくはない。

 ここまでか、と諦めかけて、不意に、ホルスターから零れ落ちそうになるコイルガン/遊離触媒テラフイスが視界に入る。それと同時に右前方、雷に撃たれ、炎上した車を飲み込んだ竜巻が、巨大な紅の旋風と化した。

 そのとき、テオに天啓が走る。

<――思いついたぞ……イタチの最後っ屁って奴を!>

 コイルガンのマガジンから遊離触媒テラフイスを弾倉から抜き取り、一発を残して放り投げ、意識を接続。そして気流に乗り吸い込まれた弾丸が、瓦礫と触れた感覚を知ると同時に、酸化反応を全身全霊で正触媒・・・する。

 酸化は酸素の付加反応であり、化学爆発とは、この急激な連鎖・・だ。必要なのは酸素、反応性の高い物質、そして引き金となる衝撃や熱――あの竜巻に、その全てがある。

 酸素を多分に含む圧縮空気と、正触媒で爆薬化した遍く被酸化物に雷が落ちれば、その瞬間、この竜巻は一つの巨大な爆薬と化す。


<――大爆発ドカンだクソ野郎!>


 テオが地面を溶解させて地下へ避難した直後、地上を一つの稲妻が流れ、地上に小太陽が生まれる。

 猛烈な衝撃波と気圧差に目玉が飛び出ないよう瞼を閉じ、鼓膜が破れぬよう耳を塞ぎ、耐えること数秒。燃焼に周囲の酸素がほぼ消費され、一時的に呼吸が難しくなる中、大本の反応がようやく小康した。

 かたん、と瓦礫が落ちる音を最後に、束の間の静寂が訪れる。表層の熱が引くのを待つこと十数秒、穴から地上へ這い出て辺りを見渡すと、融解したアスファルトのしみ込んだ黒焦げの地面と、綺麗な円形に齧り取られたグラウンド・ゼロの様相が、隕石の衝突を彷彿とさせた。

 さすがに終わっただろ、と祈るように思って、直後にその背中で瓦礫の崩れる音が鳴る。遠く離れたクレーターの向こう側、半壊しているビルの麓に、ボロボロになりながらもしかと二本足で立つ人影が、テオの方を向いている。

 クレーターを挟み、その対岸に立った二人は無言のうちに引き寄せられ、爆心地で相対した。

「……死ぬかと思ったのは初めてだぜ」

「こっちのセリフだ、全く……」

 クライズが血の流れる右腕を抱えながら、闘志の残った半開きの目でテオを見る。あの爆発を生き延びるために彼が何をしたのか――テオは気にはなったが、今は念頭から下げた。何れにせよ、彼の限界が近いことは容易に想像できた。

 終わらせよう、と決意して、テオはノーマルの拳銃を構える。残弾は17。相手の状態を鑑みれば、これを全て空気圧で弾くことは不可能だ。

 残りを全て打ち切るつもりでトリガを引くと、その反動に耐え切れず、手から銃が零れ落ちる。

「クッ、ソ……もう少し、だってのに……!」

 鼓膜をざらざらしたノイズが走り、片頭痛が酷くなる。意識を繋いだ弾丸をあの暴風圏に投げ込んだせいで、何処かしらの神経に障害を負ったようだ。そこに能力アクトの酷使が追い打ちをかけ、もはや拳銃を撃つ力は残っていなかった。

 拾い直す勇気もなく、慌てて左のホルスターからもう一つを抜いて構え直すと、いつの間にか目の前まで迫ってきていたクライズが、その銃口を左手で塞いだ。引き金に力を込めれば、彼が展延させた銃のスライドが、テオの頭蓋を貫く。同様に、そのとき放たれた弾丸が、確実にクライズの命を刈り取る――互いが互いの生死を得て、状況が完全に硬直した。

 張り詰めた静寂。両者が最大限の集中力でにらみつけ、先の先を取ろうとするが、命がけの状況では軽率に動けず、時間だけが過ぎてゆく。


 ――横紙破りに、音が鳴った。

 ――轟きと表するのが正しい、心臓を掴まれるような大気の震えだ。


「……?」「……何だ」

 二人は目を合わせて紳士協定を結ぶと、ともに銃を手放して頭上を見た。光源は宙、はるか上空の彼方――そこに星と天の川が彩る夜空に空いた菱形・・の闇。

 あまりに常軌を逸した光景に、それが空飛ぶ物体が生み出す影によるものだと気付くまで、数秒の時間を要した。

「まさか――」

 周囲が途端に明るみだす。夜空に浮かぶ星の数が増える。星々は次第に大きさを増して、徐々にヴィシュへ迫っている。瞬間、その輝きが極大を迎えた。二人の頭上に紫色の天蓋バリアが展開される。浮足立つほどの大音声を連れ、無数の星々が次々爆散すると、銀色の中身ホロンがミルクのように零れ、天蓋の上を火花と共に滴って消えた。星の正体は、かつての雪原に降り注いだだ。

 一本だけでなく、それは無数に。ベネチアで見た花火の終幕フイナーレを凌駕するほどに。

……!」

 クライズが、獰猛な猟犬のように牙を剥きながら、忌まわしき彼らの名を呼んだ。

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