第28話

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「――さて。ではこれから、具体的な作戦の話に移ろう。この日の為に仮想空間を用意しておいた。詳しい話はそこでするよ。ほら、寝た寝た」

 博士が指揮者よろしく両手を持ち上げると、三人の背後に三台のベッドが出現した。

「……この部屋の床下には四次元ポケットでも入ってるのか?」

「僕の秘密基地だからね。なんでもござれだよ」

「男の人って、そういうの好きですよね」

 博士は幼げに笑いながら「いいだろ別に」と返した。

「僕の意識帯に繋いでくれ。そこにプログラムを共有してあるから、各自頭にインストールして許可をよろしく。五感の入力を全て此方の制御に置き換え、仮想空間への完全没入を手助けするものだ」

 三人は諾々と指示に従い、プログラムの実行を許可した。権限を得たシステムが起動すると、途端に三人の五感を仮想の物に塗り替え、彼らの意識を電脳世界へ叩き込んだ。


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 目覚めるとそこはヴィシュ第七地区のビルの屋上だった。時刻は夜中。安全枠の淵から外を覗き込むと、聳え立つビルの群れと窓の漏れ日が成す小宇宙が一望できる。ヴィシュ屈指の居住区であり、3580㎢の面積に対し、収容人口は一億千七百万人ほど。平均250mを誇るビル群が、整然とした格子状の区画に生い茂っている。その上では、高さ50mおきに敷設された道路が天蓋のようになっており、無人交通機関が絶え間なく行き交う。住民の通称は、混凝土森林コンクリート・フォレスト

「……ウソでしょ」

 瞠目したアルカが、そう景色を覗き込みながら言った。記憶の影に薄れつつあったヴィシュの印象とぴったり重なる眺めだった。

「――巨人の墓みたいな眺めですね。ヴィシュを見たことはありませんが、こんな感じなんですか」

「いやもう、まんまよ、まんま」

 ヴィルは、驚き顔で振り返るアルカの肩口越しに、ヴィシュの地上と地平線を探そうとしたが、際限なく敷き詰められた闇とビルに阻まれた。空間の広さが感覚できず、渺茫たる感覚を覚えた。

「一体どうやって、こんな正確な……」

「どうにもこうにも、僕のお陰だ」

 二人の背後、屋上への昇降口に背中を預けているテオが不満げに言ったのは、アルカがそう呟いた時だ。

「そうなの?」

「お前、僕がヴィシュに行っている間、何をしてたか知らないのか?」

「知るわけないでしょ、そんな面倒臭そうな仕事」

 何してたの? とアルカは訊ねた。テオは右拳を握りしめながら、なんとか堪えて事の次第を話しはじめた。


                   ⁂


「え~と、3265番4号の22……あった、この部屋だ」

『歩くのが遅いわ。人間って不便ねぇ』

 第七地区。針の筵を進み続けて小一時間、コロイドはケインの言う部屋にたどり着いた。先んじて部屋に向かっていたレイは、よく考えると物に触れられない状態では何もできないことに気づき、数分でコロイドの所に戻ってきては、益体ない事を喋っていた。

『玄関は鍵が掛かってたわ。さっき中に入って視たの』

「合鍵は手渡されてない……よね。はて」

 コロイドは玄関に立ち、引き戸の取っ手を握りながら目を閉じた。レイが傍から様子を見ると、何時の間にか、彼の掌からドアノブが消え、それがあった場所には丸い穴が開いていた。

「これでよし、と」

『……あなた、能力者アクターなのね。元軍人ってナリには見えないけれど。どんな力なの?』

「後で話すよ。とりあえず、仕事だ」

『そう。……ねぇ、あなたは、いつ兵士になったの?』

「ケインと同期だよ。僕は能力アクト目当てだったから、すぐに辞めたけど」

『え、そうなの!? じゃぁ、お友達?』

「あぁ。真面目でいい奴だよ。向こうがどう思ってるか分からないけど、ぼくは好きだ」

『だったら――』

 質問に次々答えながら、部屋に立ち入るコロイドにレイがきまとう。間取りは1LDK。収納を想定された壁際の小さなくぼみに、一人用の書斎が設けられているのが少し珍しいが、ごく一般的な内装である。

「とりあえず、あるもの全部引っ張り出そうか」

 食器棚、キッチン、クローゼット、本棚――。諸々の引き出しや扉をコロイドが開き、レイがその中を改めて回るが、中身は須らく空であった。

「ちゃんと匂い消ししてるね。参ったな」

『匂い消しってなに?』

「自分の痕跡を消す事さ。ここを出る前に、何らかの方法で自分を特定できるものは処分したんだ」

『でも、どこかでミスをしてるはずよ』

「もしそうなら僥倖ぎようこうだ」

 コロイドはリビングを諦め、捜索の矛先をバスルームに切り替えた。

『ぎょうこう?』

イコール物怪もつけの幸い、瓢箪から駒、棚から牡丹餅」

 これで解るだろうと思って言って、ふと洗面台に据え置かれた鏡を見ると、そこに大量の疑問符を浮かべたレイの姿が映り込んでいて、コロイドは思わず苦笑した。

「ラッキーって意味だ。それならわかる?」

『大ラッキー? それとも中ぐらい?』

「大ぐらいかな」

『あなたって、ときどき変な言葉を使うわよね。聞いたこともない言葉』

「そう?」

 彼女の声を聞きながら、コロイドは四つん這いになって洗面台の下を探り、バスタブの排水口を覗き込み、果ては便座の隙間まで丹念に調べる。だがこれといった収穫は無く、溜息に終わる。

「ぼくにとっちゃ、わりかし日用語だったんだけどなぁ」

『違うわよ。あなたの言葉選びが古すぎるだけ!』

「はいはい、どうせ来年は三十路ですよ……」

 コロイドは、そこそこ真剣に落ち込んだ。自分が古いのか、ヴィシュが新しいのかは分からないが、若い女の子から吐かれる古いという言葉の辛さは、いつの時代も同じだ。

『ミソジもわかんないわ。わざとやってる?』

「ええとですねお嬢様、こちら、三十歳という意味になりまして……」

『あぁ、年齢の話? 三十には見えないわね。もうちょっと老けて見えるわ』

 おそらくレキや旧世界では、コロイドの外見が三十路であると言っても違和感なく受け入れられる。しかしヴィシュの人間はみな健康的に生きているので、肌のキメから体つきから、十年くらい若く見える。レイはそういう中で暮らしてきたので致し方ない感覚ではあるのだが、ともかくコロイドは心に傷を負った。

『まぁいいや。で、なにか分かった?』

「そうだね……次の人は、さぞ住みやすいだろうね……」

 コロイドは、「それだけ?」とでも言いたげなレイの冷ややかな視線が痛い。最後の希望を託しながら書斎に踏み込むと、最初に声を上げたのはレイの方だった。

『ねぇ、ここ。黒くてチリチリしたものがあるわ』

 彼女は机を指差していた。意匠性のない、四角く足が四歩あるだけの物体。その上に据え付けられていた首折式の照明を点けて、コロイドが彼女の指差す先に視線を凝らす。そして「消しゴムの滓だ」と、少し吃驚した様子を見せた。

「今どきお目にかかるとはね。確かに手書きなら、隠し事にはもってこいだ。内偵者のデジタル的な痕跡ログが出なかったのも頷ける」

『そうなの?』

「鉛筆と消しゴムと紙。複製できず、送信が遅く、すぐ劣化する。電子式に比べて圧倒的に不便。秘匿性としては最高だろう。何かをメモして持って帰ったのかも」

『でも、これ見てよコロイド。灰になってない?』

 コロイドは「ほう」と驚きながら、彼女の示したゴミ箱を覗いた。そこにはごく微量の消しカスと、拭き残された灰が僅かに残っていた。

『確かに燃やしてしまったら、後から読むことが出来ないわね。サーバーの履歴にも、キャッシュにも、自動バックアップにも残ってないんだし』

「あぁ。トロールらしいやり方だ」

『どうするの? これじゃ何も分からないじゃない』

 そうだねぇ、とコロイドは呟きながら机の上をもう一度凝視した。するとその時、机の隅に黒く細長い糸のような影を見つけた。内偵者の毛髪である。

「……よし、やっと見つけた。ずっとこれを探してたんだ」

『なにそれ。髪の毛? そんなの、何の役に立つのよ』

「僕の能力アクトからすれば、お宝も良い所だ」

 コロイドはソファに腰を下ろし、髪の毛を摘まんだまま目を閉じると、それきり彫像のようにピクリとも動かなくなった。それを見て、レイの脳裏にある記憶が去来した。ドアノブを消滅させ、扉を開けたときのことだ。何をしているのか尋ねたかったが、なんだか話しかけてはいけない雰囲気だったので、彼女は口を噤んだまま膝を折り、ちょっとした出来心で、彼の顔をじっと覗きこんだ。すると、瞼の奥で彼の眼球がしきりに動いていることに気が付いた。

 やがて数分程度の時が過ぎ、眼球の動きが落ち着くと同時に、コロイドがぱっと瞼を開けた。その網膜には紅い光がほんのり灯っており、そこに結ばれる像の焦点は、どこか遠い所にあるように思われた。その紅がやがて溶暗して漸く、彼はこの場に戻ってきた。

 一重だった彼のまぶたが、いつの間にか濃い二重になっていた。柔和な印象だった彼の容貌が、それによって急に鋭さを増している。それを見て、レイは俄かにどきりとした。

『あ、えっと、その……こ、ころいど。大丈夫? すごく疲れた顔をしているけれど』

「……あぁ、心配ないよ。ちょっと別なものを見てただけだ」

『な、何か分かった……?』

「色々と。久しぶりにこんな濃密な記録を見たよ。……何でそんなにおずおずしてるんだい?」

『き、気にしないで』

 そう、とコロイドはにべもなく答えて目頭を揉んだ。レイは、なんだか自分だけが冷静でないような気がして、一転してむっとなった。

『それだけ言うなら、今度こそマトモな情報なんでしょうね』

「初歩的な推理だよ、ワトソン君」

『私の名前はレイよ?』

 コロイドはもはや残念そうな素振りを見せなかった。そもそも言ってみたかっただけの台詞だったので、どう受け取られようと問題ではなかった。

『能力を使ったんでしょう? どんな力なのか、いいかげん教えてよ』

 コロイドはソファに深く腰掛け、「いいだろう」と大きく伸びをしたのち、かく語った。

「ぼくはサイコメトラー。物体の体験した過去を視る。一般に二年から三年の周期で生え変わる髪の毛は、ぼくにとって最高の記録媒体の一つだ」

『つまり、侵入者の過去数年が丸裸になったってこと?』

 コロイドが頷くと、レイはスイッチを入れた電球のようにパッと目を見開いた。単純なものだとコロイドは思いながら、自身も得意げに、彼女の質問に答えた。

「彼らの真の目的は、この国へIIIをかっさらいに来ること。そのための前準備として、彼は、ヴィシュの街構造をまるごと記憶・・して持ち帰ったようだ」

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