第27話

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 半透明のいでたちに、地についていない足。ケインはそれが、数日前のトロール回収任務以来行方不明となっていたレイの意識体だと一目で理解できた。同時に、肉体がここに到達不可能な状況にあるということも。話せ、と彼が促すと、彼女は自分が見た情報を全て語った。レキと名乗るトロールの集団とその座標、地下空間、III強奪計画、ダリスの裏切り。

「……そうか、ご苦労。有益な情報だ」

 事態を理解したケインは、彼女の言うレキが、かねてより自分が仮想してきた〝巨大な組織〟そのものであると確信を得た。トロールの集団。そう考えれば、これまで起きた不可解な事件の辻褄が合う。III強奪の目的は不明だが、おおかた勢力増強の試みであると見積もって遠いことはない。

 IIIは危険物だ。只の人間に、国を引っ繰り返す力を与えることができる。

 IIIによって発現される能力の強さ・特性は、個人が持つ世界観の強さが基になると言われているが――巨視的に見れば、それは確率的な事象だ。彼らの母数が多いほど、脅威度は比例する。

「状況は理解した。私から上に報告しておく。肉体に戻り待機せよ。すぐに救援部隊を派遣する」

『いえ、隊長。ご報告の通り、敵の能力者アクターの予言によれば、一日とせずにマギアスの攻撃が始まります。敵は総動員のはず。我々に人的資源を割く必要はありません』

「……では、望みはなんだ」

『残り四時間程度であれば、任務遂行が可能です。加えて本体の私は冬眠状態にあるため、いちど能力アクトを解除すれば二度とこの状態に戻る事はできません』

「仕事を寄越せと、そう言うんだな」

『祖国の危機に寝ていたとあっては、生きる価値がありませんので』

 ケインは嘆息すると端末から地図を開き、古びたアパートを表示した。

「ここの2階に、私が調査を依頼した人物がいる。いまは軍人ではないが、古い知り合いだ。彼と協力し、奴らの企てた計画について、より詳しく調査しろ」

『了解しました。具体的には?』

「奴らの面子は既に割ってある。検索を掛けた所、その一名が偽装身分を使ってヴィシュへ再入国していた事が分かった。内偵者だ。その痕跡を追え。データは追って送信する」

 わかりました、と短く告げて瞬時に消え去ったレイの残像を、ケインはしばし見つめた。その胸中には、彼女への純粋な尊敬があった。

「彼女のような子供たちこそ、ヴィシュを担うに相応しい」


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『……何ココ。嫌い』

 何処かしこから湿っぽい雰囲気のする陋巷ろうこうを目の当たりにして、嫌悪感に歪むレイの顔がカーブミラーに歪んで映る。この間狩りに行ったトロールの住んでいた所と同じ、不健康な人間の放つ不潔な身体のにおいに、彼女はどうも敏感だった。

 ヴィシュの中にも、異端者の集まる場所がある。

 それがこの、第十三地区――中央にある首都から最も離れた郊外に位置する吹き溜まり。社会評価レスポンスが極端に低く、多くの公共サービスから除外された、社会不適合者の集う場所。

 街灯の明かりが心もとなく思える隘路あいろを進み、ケインが示した場所を探す。地図を携行できない特性上、捜索は難航するかに思われたが、辺りを見渡すように宙へ浮遊した直後、多階建てのオフィスビルに『2F コロイド探偵事務所/雑貨屋』と記された看板を見つけ、胸をなでおろした。

『こんばんは……』

 壁を突っ切って中に入ると、すぐに爆発音が聞こえてきて、思わず首をすぼめた。

『ひゃぁッ!? 何よもう……』

 爆風はなく、音だけのようであった。恐る恐る周囲に目を遣ると、奇妙な骨董品の数々が棚に並んでいる。音の方へ進んでいくと、曇りガラスで囲い込まれた謎の部屋があり、入り口には木の数珠をぶら下げた暖簾が吊られている。ガラスの裏には首元ほどの家具と思しき影があり、その上には紫色の照明に演出された金魚鉢の輪郭がある。魚と思しき朧げな輪郭の時おり頭を翻して動く様が、奇妙な夢のように思えた。

『どういう趣味してるのかしら』

 呟いても誰も聞いていないので、レイには何時しか独りごとの癖がついていた。

 ドカンとまた大音声がして、二度目にも関わらず彼女の背筋が張る。

『……こんな時間に、迷惑とか考えないわけ? 仕返ししてやるわ!』

 レイはひとり憤りながら暖簾をくぐって、男とスクリーンの間に立つ。

 男は草臥れた合成革ソファに、背もたれへ両手を回しながら座っていた。右手につままれたワイングラスの中では、暖色系の液体が妖し気に揺らめいている。

『お酒じゃないでしょうけど……ワイングラスって』

 ヴィシュに酒の流通はない。ワイングラスそのものが禁じられているわけではないが、禁じられた酒類を連想させるので誰も使わないし、そもそも物好きな骨董品店ぐらいでしか手に入らない。子供が電子タバコを吸うのに似た、反社会的行為と見做されるためだ。

 レイはスクリーンの前に立ち、男の前に姿を現した。すると彼はわかりやすく足をばたつかせて、グラスの中身を少しだけ袖にこぼした。

「びっくりした……! なんだ君は、鍵は閉めてたはずなんだけど……」

『ふふん、ざまぁみなさい』

 レイはその様子を見て満足そうに鼻息を荒くしたのち、悪戯を誤魔化すために敬礼した。

『ケイン少佐の使いで来たレイといいます。コロイド殿、でお間違いありませんか?』

「……ケイン? ケインって、あのケイン? あ、あぁ、何だ……いきなり現れるからびっくりした。いやでも、どうやって入って来たんだ……?」

 上手くいった、とレイは内心ほくそ笑む。

『すみません。ですが、事情あっての事です。……というより、コロイド殿』

「あ~、いいよ敬称なんて。タメ口で。ぼくそういうの好きじゃないし」

 コロイドはグラスの中身を飲み干して、ソファに深く腰掛けた。

『そうですか。では遠慮なく』

 甘く頷きつつ、レイはコロイドの顔を凝視した。堀が浅く平らな童顔は言うまでもなくアジアの血だ。中性的な体躯で、身長も160cm程度。襟足も長く、一目には性別が分らない。

『……つかぬことを伺いますが、性別はどちらですか? 勿論、ジェンダーで結構ですが……』

「男だよ。まぁ、中性的だとはよく言われるね。僕はエイセクシャルで、男も女も、誰も性的な目で見られないんだ。性別が消えてゆくのはそのせいだ」

『それは、その……なんというか、お気の毒に』

 変な人、と心から思うレイであるが、社会評価を見ると星が四つあったので、信用できる変な人、と考え直す。しかしそのスコアでわざわざ13地区に居るのはやはり変なので、再々考の末、たぶん大丈夫だけど危ないかもしれない人、に落ち着いた。

「ま、ぼくの話はいいや。それより、ぼくに調べて欲しい人間が居ると聞いたんだけど」

 コロイドは、レイが体裁上示した同情を、さして意にも返さない様子で言った。

『えぇ。トロールなんですが、どうやら少し前まで内偵していたようなので、あなたの力で足取りを掴めるはずだと聞いています』

「なるほどね。……あぁ、丁寧語も取ってくれて構わないよ。むず痒いし」

 言いながらコロイドは映画を停止し席を立つと、クローゼットの上着を二着取り出し、君も寒いだろうから、とそのうちの一着を投げ渡した。彼の気心はあえなく彼女を貫通し、床にべたりと叩きつけられる。コロイドはその時、彼女がどうやってこの家に入って来たのかを理解した。

「君は幽霊なのか。能力アクトというのも、全く奇妙なものだね。物理法則なんかあったもんじゃない。唯心論的だ……。――そういえば、電話でケインが君について言っていたことを思い出したよ。半透明でちょっと見えにくいから気を付けろ、って」

 もうちょっと他に言う事はないのかと、レイは尊敬する上官ながらに思う。

『壁も人目も気にする必要がないから、イーブンよ』

「なるほど。ノゾキし放題って訳だ」

『……さっき、性には興味がないって』

「冗談さ。ぼくが言うと分かりにくかったな」

 諸々の準備を終えたコロイドが玄関先に向かうので、レイもその後を追いかけた。

『どこに行くの?』

「どこって、テオとかいう奴の居城さ。ケインから情報は貰ってるから。急ぎの仕事なんだろ? すぐ行こう。探偵には事件が必要だ」

『……探偵、って何? 聞いたことはあるけど、中身は知らないわ』

「出来事のルーツを探る仕事だ。ヴィシュじゃ馴染みがないのも当然だけど、たまにこういう事があるんだ」

 なるほど、とレイは曖昧に頷いて、それからコロイドの後に続いて初めて玄関から外へ出た。雪が降っているようだったが、寒さは感じられなかった。

「あ、そうそう。忘れる所だった」『何?』

 レイはきょとんとした顔で問いかける。コロイドは、そんな彼女の顔に指を指した。

「君と最初に会った時、君が〝ざまぁみろ〟って喜んでたの、普通に聞こえてたからね」

 レイの姿が、コロイドの認知から消えた。

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