第25話

                   ⁂


 レガリウムを去ったのち、一行はアオの言伝に従って、博士の元を訪れた。

「や、お帰り。旅行はどうだった」

「悪くなかったよ。いい場所だった」

「そりゃよかった。製作者冥利に尽きるってもんだ」

 博士は珍しくモニタの前から立ち上がり、その裏に貼られた硝子――その奥で休むことなく蠢き続ける、無数に折り畳まれた生産ラインを眺めていた。

「ねぇ、アタシずっと気になってたんだけど、この工場って何を作ってるの?」

「いまは汎用マイクロマシンに生産能力の殆どを費やしてるよ」

「汎用マイクロマシン?」

「万能材料だ。内部構造を組み替えて、様々な物性をマイクロスケールに模倣することで、多様な素材・構造を再現できる。レガリウムや居住区の構造物は約95%がこれで出来ている。その他にも、兵器とか掘削機械とか、色々な物のもとになってる」

「ふ~ん……便利なものね。欠点はないの?」

「人類でまだ僕にしか理解できないという点を除いて、ほぼ完璧な発明だ。もう一段階高度なものとして、ヴィルやカイトのボディパーツであるナノマシンも存在する」

 自己尊大な、と口にする者はいなかった。敵うとすれば、それは最早、人間ではなく――。

「マギアスなら、理解できるのか?」

「ホロンがマイクロマシンである所を見るに、危ういね。ナノサイズに到達するのも時間の問題かもしれない。今や地球ほぼ全土の資源を有するやつらの処理能力は、数日単位でブレイクスルーを起こしている。……奴らの頭が僕を追い越せば、いよいよ人類の終わりは近い」

「大丈夫なのか? それ」

「問題ない。それに対抗できる知性・・の創造は、計画的に進めている」

 博士はちらりとヴィルの方を見て、頼むよ、とでも言いたげにウインクした。当の本人は首を傾げていた。

「……まぁ、アンタの事だから信用してるわ。それで? その使いっ走り係のアタシたちは、一体なぜここに呼ばれたのかしら」

「その計画の一助となってもらうためだけど、その前に一人、紹介しておこうと思って」

 すると博士は工場から目を離し、三人の方を振り返った。

「何よ改まって。恋人でもできた?」

 アルカが冗談交じりに揶揄うと、博士は困り笑顔で眼鏡を押し上げた。

「今日紹介するのは僕の妻だよ」

 その瞬間、ラボの空気が凍り付いた。

「アンタ結婚してたの」「してるよ」

「相手はHHHだろ? いや、いいと思うけど」「いいや?」

「根の詰め過ぎよ。日本人は働きすぎるっていうけど、本当みたいね」

「妄想と現実の区別がつかなくなってるな。たまには休めよ、博士」

「何だ君たちは寄ってたかって。僕が結婚してるのがそんなに不思議かい?」

 二人は首を縦に振った。博士は深く溜息をついた。てっきり冗談と思っていたテオは、彼が少しもその素振りを見せないのを訝しんで、すこし態度を改めた。

「なぁ……その、博士。罪は償うべきだ。その、女児相手はマズい。倫理的に」

孤児みなしごなんて、アンタの立場なら娶り放題だものね……」

「さては、君たちは僕が思っていたよりひどい奴らだな?」

 はぁ、と博士がため息をついて肩をすぼめた。

「白衣着て眼鏡かけて地下に引きこもってる科学者なんて、変態が相場だ」

「えサドでマッドでサイコな野郎ばかりだわ」

 会話の影に隠れていたヴィルが、その会話を聞いて耐え切れず噴き出す音がした。

「僕はB級映画のキャラクターじゃないよ……」

 言いながら博士はリンクデバイスに触れ、彼女・・に連絡をつけた。すると部屋の左奥にある扉から、人影が此方に向かってくるのが見えた。

「ほら、紹介するよ。アイリスだ」

 それは、美しく年を取ったヴィルの姿を彷彿とさせる容貌であった。影を帯びても色の分かる銀の髪に、快活さの宿る緑葉の瞳。気品のある端整な顔立ちとは裏腹に、手を振りながら小走りに明朗な笑みを浮かべる仕草が稚気に溢れて瑞々しい。

 端的にかなりの美人であったので、テオは背筋が自然と伸びるのを感じた。

 アイリスは一足飛びに距離を詰めると、彼らの様子など構うことなく、それぞれの顔を順にあらため、やがてテオを見つけると、ぱっと表情を明るくした。

「あなたがテオ、ヒイラギ・テオね。そうでしょ?」

「え、えぇ。そうですけど……」

 彼女はテオの頭に腕を回し、感極まった様子で胸元へ引き込む。テオは最初、驚きから反射的に抵抗しようとしたが、その顔を包み込む豊満な柔らかさに全てを諦め、玩具のようにされるがままとなった。

「ちょっと、!? 何してらっしゃるんですか、離れてください!」

 ヴィルが少し怒った口調で隙間へ侵入。その間を引き剥がし、威嚇する猫みたいに目尻を吊り上げてアイリスを睨んだ。けれどアイリスは微笑んだまま、まるで動じた様子を見せない。

「え、ヴィル今、お母さんって……」

 それよりも、アルカはヴィルのその一言が気になった。

「あら、知らなかった? ごめんなさい、てっきりもう周知のことだと……」

 アイリスは驚いた顔をすると、暫し思い出すように顎に手を添える。それから頭上に電球を灯して、ヴィルの腕を引いて側に立たせた。

「そうだ、ここで私がタイプG計画を説明するんだったわね。タイプG計画は、HHHに遺伝子を持たせ、それをベースに自己成長する性質を与えることで、従来のタイプには存在しない、本質的なを実装する計画。カイトとヴィルは、その産物よ。二人は私と博士の遺伝子をとする、愛しきなの」

 徐に、彼女の指がヴィルの髪を梳いた。ヴィルの顔にはまだトゲが残っていたが、その手を払いのけるようなことはせず、くすぐったそうに片目を瞑るのみであった。

 積年の親子のそれである。

 しかし何故普通に子供を設けなかったのか、テオはそれが不可解だった。

「その……不躾だとは思いますが。なぜ、普通に子供を作らなかったのですか?」

 するとアイリスは少し神妙な雰囲気で言った。

「私、閉経したの。20歳くらいの頃に、能力アクトを使い過ぎた代償で」

 テオは沈黙する。

「私は未来視の力を持っていた。彼とヴィシュで出会った私は、彼から聞いたレキの構想に賛同し、脱出とレキ設立に力を貸した。最初は近くの未来を視るだけだったものが、時間が過ぎるたびに状況が複雑になり、視る時間も、遠さも増していった。そしてある日、私はいっそのこと、戦争が終わるまでの十数年を纏めて視ようとした。それが――いけなかった」

「……能力アクトの代償にそんなものがあるの?」

 アルカが少し不安げに問う。

「生殖機能とは限らないけれど、誰しも体のどこか一部分が壊滅するわ。酷ければ死に至ることもある。

 今となっては色々機能があるけれど、元を辿ればリンクデバイスはね、それを受けて作られた一種の安全装置なのよ。能力アクトの酷使が深刻な結果を招くとき、着用者の意識を奪うことでそれを防ぐ。だからデバイスを着けている限り、私のようなことは起きないわ」

 テオは不随意ながらに自身の首元へ指を遣った。身に覚えのある話だった。実際には違うが、まるで自分の体を守るために、彼女がその代償を支払ったかのように思えて、居た堪れない気持ちになった。

「……すみません。辛いことを聞いてしまいました」

 頭を下げ、誠実に謝罪した。けれど彼女は首を振った。

「気にしないで。むしろ、あなたには知っておいて貰った方が良い話だから」

「カイトとヴィルのことだから、ですか」

「えぇ。二人の本懐を知ったとき、少なからずあなたは疑問に思ったことでしょう。〝なんで機械なんだ〟ってね。その答えがこれ。私が不妊だったからよ」

 彼女は語った。将来を誓い合った二人の間に起きた悲劇を変えようとして、博士が機械の才を用いたこと。そしてあらゆる挫折と苦難の果てに、悲願であるカイトとヴィルが生まれたこと。

 テオは、博士に与えられた頬の痛みを思い出した。カイトをブリキ人形と詰ったとき、博士に殴られた拳のそれ。あの時の彼の激昂した面持ちから、傾けられてきた心血と愛情を踏み躙られた、彼の怒りと悲しみを想像した。アイリスはそんなテオを見て、安心したように微笑んだ。

「あなたがあの子たちをどう思おうと、私達が、その選択を咎めることはできない。けれど今日話したことは、せめて頭の片隅にでも置いておいて」

 テオは博士の前に歩くと、これ以上ないほどに深々と頭を下げた。

「すまなかった、博士」

「……気にするな。僕も殴って悪かったね」

 席を立ってテオの肩に触れ、顔を上げて、と博士は言った。テオはこの日を境に、彼を酔狂者だとは少しも思わなくなった。

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