Part.4 虹彩――Iris

第23話


 レガリウムに送り込んだ三人の様子を気にしつつ、博士が普段通り研究開発に勤しんでいると、気付くころには日付が変わっていた。

<<:当該回収個体の回復完了 覚醒させますか?:>>

 そんな彼が思わず手を止めた。その通知を受けてのことだ。

<ゆっくり起こしてやってくれ。作業は一時停止する>

<<:自動バックアップします:>>

 コンピュータとの同期を一旦やめ、席を立って大きく伸びをしながら隣の席へ。ミルを回してフィルタに豆を詰め、湯を注いで一分少々。ついでに白湯を用意して、出来上がった二人分のカップを両手に背後を振り向く。

 そこには一台のベッドが出現しており、一人の男が夢と現の狭間にあった。凍結保存から目覚め、徐々に開いてゆく瞼の奥で、瞳が見慣れぬ天井を捉える。男は起き上がり、辺りを見渡した。その隣に博士は丸テーブルを出現させ、白湯を置き、自動で足元へ寄ってきた椅子に腰かけながら話しかけた。

「やぁ、初めまして。気分はどうかな」

「……ここは? 俺はなぜここにいる?」

「ここはレキだ。ヴィシュじゃないよ。君の力を借りたくて呼んだんだ」

 男は怪訝な面持ちで博士の方を見ると、すこし目を凝らすような仕草をした。コンスタンシーから、博士の個人情報を取得しようと試みたのだ。

「……ここがヴィシュじゃないってのは、どうやら本当らしい」

 得られたものは何もなく、男は困惑しながら口にした。博士は天井からロボットアームを伸ばし、着けてくれ、とリンクデバイスを渡す。男はそれを矯めつ眇めつして、ふと、その形状に思い当たりがあることに気付く。

「……あのガキが着けてたやつと同じだな。こいつはいったい何なんだ?」

「次世代型の通信装置と思ってくれればいい。喋るよりも早くて正確だ」

 博士は自身の首元を露にして、そこにある首輪を指でつついた。それを見た男は少し警戒を緩めたのか、渋々ながらも指示に従う。

「今から君に、<Con>ファイルを送るよ。大容量だから、ちょっと片頭痛が残るかもれないけど。それ以上に快感だと思う」

 意識帯が形成され、二人がそれを共有すると、間髪入れず、男の脳内に情報の奔流が押し寄せた。その水圧は瞬く間に男の処理機能を圧倒し、Conって何だ――と尋ねさせる間もなく、彼の言葉を失わせた。それに意識ごと流されてしまわぬよう、脳味噌がフル稼働で情報処理を続けていると、次第にそれは知的興奮を伴いはじめ、彼の身体に、酒とモルヒネの中間位の快楽を与えた。拡がる瞳孔、小刻みに震える膝、玉のような汗。〝知る〟に伴う報酬系が、蛇口の弁を全開にした結果である。

 十秒ほどで奔流が止むと、数時間の映画を見終えたような感覚に浸る。暫しのあいだ目を瞑り、まぶたの裏に浮かび上がる新しい情報を回想しつつ、無意識がそれを整理してくれるのを待つと、次第に事の次第が像を結びはじめた。

「とまぁ、かくかくしかじか、だ」

「要するに、俺がここで寝返るか、冬眠してロボットに代わりを任せるか、選べと」

「その通りだ。好きな方を選んでくれ」

「……時間をくれ」

 男は瞼を閉じて黙り込んだ。先行した理解の背中に現実味が追いつくためには、もう少し時間が必要だった。次に彼が口を開いたとき、博士のコーヒーはすっかり冷めてしまっていた。

「協力するには、条件がある」

 彼は悪い笑みを浮かべながら、博士の左胸に指を指した。

「その煙草、俺に寄越しな」

 すると博士は虚を突かれたように停止して、それから額に別種の冷や汗を浮かべた。

「……まいったな。Conに混ざってたのか。皆には隠してたのに」

 男の唇の前で、その人差し指と中指が棒を挟む仕草をした。博士は数秒悩んで、素直に取引に応じた。

「いいだろう。ただし、バラさないでくれ。特にには駄目だ。禁煙してることで通してるから、バレるとマズい。何をされるか分かったものじゃない……」

「未来が見える嫁さん相手に隠し事とは、ずいぶん分の悪い戦いだぜ」

 博士が煙草とライターを投げ渡すと、ダリスの大きな手がそれらを掴む。箱に視線を向け、その襟を模した赤色のデザインに気付くと、彼は驚愕の表情を浮かべた。

「マルボロ? おい、どういうことだ。何で今の世界にこんな銘柄が存在する?」

「偶然、トロールに製造に携わっていた人が居たから、技術を提供してもらった。喜んでいたよ。後世にこの味を残せるって」

「なんてこった、てっきり滅んじまったもんだとばかり……」

 逸る気持ちを滲ませながら、彼は箱を開け、取り出した一本を横向きに持ち、鼻の下を潜らせにおいを嗅ぐと、それから漸く咥え込み、染み付いた手付きで火を点け、肺に紫煙を送り込んだ。副流煙を検知した換気システムが、大急ぎで臭気を排除しようとファンを回転させる。その下で、彼は顔を顰め、その至福を噛みしめた。

「――あぁ、何十年振りかな。たまんねェわ、やっぱ」

 吐き出された紫煙がたちのぼり、消えた。男の脳内に光芒が差し込み、レキへの疑心や、ヴィシュへの心残りといったかすみを、綺麗さっぱり払っていった。

「……冬眠するぐらいなら、コイツと一緒に早死にした方がマシだ」

 ベッドに背を預けながら、男は右手を差し出した。そして小麦色の肌に際立つ白い歯を覗かせて、はにかみながら口にした。

「俺は。軍人だが、キャリアは生化学・・・研究者の方が長い。願わくば頭脳労働を希望したいが……何をしてほしい?」


                   ⁂


 ――よろしく、ダリス。博士と呼んでくれ。もちろん、君には頭脳労働を頼むよ。

 白衣の男が握手に応じた。肌の茶色い男の手が、その細い指を包み込んだ。

 生化学とは何だろう。よく分からない。おそらく学問?

 二人はどうやら仲間になった。だとしたら茶色い男は裏切り者だ。

 ――を知っているかい?

 ――俺の夢だ。それを研究するために、俺は軍に入ったんだ。

 ――研究所ではなく軍に? それはまた、どうして。

 ――社会評価レスポンスのためだ。IIIを研究するには満点がいる。従軍がそいつを得るために一番手っ取り早い手段だった。

 アイスリー。これは知ってる。能力者アクターになるための薬。

 私も使った。私は幽霊になる力をもらった。

 そのお陰で、今もこうして堂々と盗み聞きをしていられる。

 ――しかし何故、今になってIIIの話を?

 ――入用でね。置き場所を知っていたりはしないかな?

 ――軍部に生産工場と保管庫があるが、あそこは無理だな。……あぁそうだ。国立研究所群の生化学棟に研究用のサンプルが保管されていた筈だ。第六地域。数は少ないが、警備は比較的緩い。

 ――となると複製か……。

 ――あぁ。俺がやるよ。

 ――助かるよ。頼りにさせてもらう。

 IIIがある場所の話をしている。

 奪いに来るつもりかもしれない。

 ヴィシュを裏切っただけじゃ飽き足らず、今度は略奪なんて。

 野蛮で、自分勝手で、無価値な奴ら。許しておけない。


 報告しに行かないと。この体が消えちゃう前に。


 ――なぁ、この部屋なんか、寒気がしないか?

 ――暖房が弱かったかな? 配慮が足りなくて申し訳ない。

 ――いや、なんというかこう、ゾッとするような……。

 ――はは。よもや今どき、霊感持ちだなんて言わないだろうね?

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