第21話



 路地を抜け、水音のする方を目指していたときに見えた、名も知らぬ橋の上で足を止める。人気はないが空の開けた場所で、浮かんでは消える光の粒を、奇しくも独占できる場所だった。

 オープニングより何倍も派手な火花に、腕に抱えた重さを忘れて見惚れる。だが腕の中のヴィルは気が気でなくて、億劫そうに声をかける。

「……あの、そろそろ、降ろしてもらえると……」

「……ごめん、忘れてた」

 テオは謝りながら腕を解き、彼女をそっと地面に立たせる。

「……ありがとうございました」

「連れ出したことか? 気にしないでくれ。こういうのは男の役目だろうし。それより、怪我はないか? 妙な事はされなかったか?」

「おかげさまで……。その、いろいろと、堪能させていただきました」

「あぁ、花火か。綺麗だよな。あとどの位見てられるんだろう……」

「あの、ときどき思うんですが、それはわざとやってるんですか?」

「何を?」

「忘れてください。疑念は晴れました」

 風が吹き、気付かぬうちにかいていた汗に肌を冷やされて、テオが思わずポケットに手を運ぶと、中で紙袋がくしゃりと潰れる音がする。昼間に買った造花を、そのままポケットへ入れっ放しにしていたことを思い出した。

 端末を見ると、あと五分で今日の終わりだ。お祭り騒ぎは朝まで続くが、祝祭のフィナーレはそこで訪れる。君なりの答えを出せと、テオはそう言われた。その宿題の期限が、あと五分なのだ。

 テオはもう、答えは見えている気がした。このジオラマで幾つもの景色を見て回り、歴史を学び、文化に触れているうちに積み重なった種が、先の踊りで花開いた。

 あとは、それを言葉にするだけでいい。

 今朝、人の紛い物と詰った彼女に、伝えるべき思いを。

「――これを、受け取ってほしい」

 テオは、そう言ってヴィルへ紙袋を突き出した。受け取って、彼女は戸惑いの視線を向けながら、かじかむ指で紙袋と、その中にあったピンク色の包装を破いた。その中には、金色のチェーンが通された、ニゲラのブローチがあった。

 テオは心中で苦笑いする。侘び入れ程度のつもりが、随分と大きな贈り物になってしまった。絹編みのような繊手がチェーンを摘まんで、造花を宙にぶら下げた。咲いた花火の光を孕んだその深緑は、彼女の目と同じ色をしている。

「どういう、つもりですか」

 それは真剣な問いかけだった。テオは頭を掻きむしり、恥じらいと誠実さの間で煩悶しながら答えた。

「その、正直なところ、意味はあんまり考えてない。綺麗だったから、自分の分だけ買うのは勿体なくて。そしたら店員が勘違いしてさ。本当は造花だけの筈だったのに、包装と、ネックレスまでついてきて……。いや、変だよな。ごめん。気に入らなかったら、捨ててくれても……」

 ヴィルは両手にペンダントをぶら下げたまま、しばらく呆けたような顔をして、「なんですかそれ」と困り顔で笑った。そして、どこか意思を固めてしまったような淀みない動きで、テオの手にネックレスを戻した。


「――着けてください」


 懐に入り、首にかかった髪をかきあげて、白い首元を彼に差し出す。テオが曖昧に誤魔化そうとした意思を、示して見せろという言外の意思だ。テオはどぎまぎしながら、けれども臍を固めて、首の後ろに手を回した。

 かちん、と金属の噛み合う音がして、しゃなり、造花が胸元へ落ちる。似合ってますか、と尋ねられて、テオは錆びついたような動きでどうにか頷く。鈍色の骸も金属骨格も、考える余地のない美がそこにあった。

 やっぱりだ、とテオは諦観・・する。それは鐘楼の上で黄金の時を過ごしたときと同じ感覚だった。

 とどのつまり、理性は感情に遅れるのだ。頭であれこれ考えていても、彼女をすぐ目の当たりにすれば、全ては無に帰すのだった。彼女は機械で出来ている、という情報以外に、彼女からその〝らしさ〟を知覚することができないせいで、それが直感と結びつくことはない。人の分解能を超えた先にある境界は、人の限界の外にある境界は、考えるだけ無駄なのだ。

 彼女は綺麗だ。それだけが確かだ。目が眩んで、他の全てなどどうでも良かった。

「……お前の瞳と同じで、綺麗だ。よく似合ってる」

 造花のペンダントを胸に抱き、本当ですか、と悪戯っぽく笑う彼女を前に、テオはアルカの言葉を漸く理解した。

「でも顔が見えていないのに、よくそんなことが言えるものですね」

 少し、ヴィルが挑むように言った。素面で私と向き合えと、そう伝えていることがテオにも分かった。

 テオは自分の仮面を外し、彼女のものにも手をかけた。幾何かぶりに見た素顔は少し火照ってあでやかだった。

「今のわたしは、どう見えますか」

 間欠的に打ちあがる花火に照らされて、その顔が暗闇に浮き上がると、心臓の動きがおかしくなった。

「答えを聞かせて、テオ。あなたの言葉で、ちゃんと言って」

 テオは、紡いだ。

「……お前が機械なのか人なのか、結局のところ、わからず仕舞いだ。何もかも、人間の持つ分解能を越えてしまっている。あとは、それを僕がどう思うか――問題はずっと、それだけだった。”好きになったらどうでもよくなった”、ってアルカの言葉が、今なら分かる。お前はヴィルだ。それでいい。それが僕の答えだ。今朝はごめん。許してほしい」

 ヴィルは暫く沈黙した。それから首元に掛かった硝子を顔の横に持ち上げてみせ、「そこまで言うのなら、今日はこれに免じて許しましょう」と、つとめて朗らかに振舞った。

 特大の花火が炸裂し、あたりが明朝のようになった。振り向くと、夜空に枝垂桜が咲いていた。長く燃え残る枝と花弁は、幻想との別れを惜しむ人々の心情を代弁しているように見えた。

「おしまいだ」

「えぇ」

 終わりを見送る彼の瞳に、もう鈍色の景色は映っていない。

「そういえば、お礼を言いそびれていました。素敵な贈り物を、ありがとうございます。大事にします。いつかきっと、お礼をします」

 胸元の造花を見つめながら、そう口にする彼女の面持ちは明るい。

「別にいいよ。お詫びのために送ったんだ」

「では、またお返しをくれたらいいでしょう?」

「……わかった、そうするよ。まったくお前には敵わないな」

 最後の一発が打ちあがったのを見送って、二人は宿へ戻ることにした。帰り道も混むだろうな、とテオが手を差し出すと、彼女はすぐさまそれに応じた。

 夜風が吹く。

 火照った耳が、すこし涼しい。

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