第14話
翌朝、テオの部屋に、控えめなノックの音がした。
「――テオ、起きてますか?」
「……んぁ?」
寝ぼけた生返事を是と見做して、ヴィルは鍵のないドアノブを握り、中に入った。テオは暫くのあいだ半分眠ったような状態でヴィルを見ていたが、状況理解が追いつくと、途端に布団ごと体を跳ね上がらせ、驚愕を露にした。
「……は、え、お前――」
「あ、おはようございます……」
「おはよう……じゃなくて、何のつもりだ?」
強く頬をつねるが、夢ではないようだった。束の間の静寂。ヴィルの面持ちは沈着としていて、洞察できる感情はない。そして理性が追いついて彼に言った。彼女にそんなモノがある筈はないと。
「……昨日は、災難でしたね」
彼女は水玉模様のパジャマを着ていた。いつになくラフな装い。その内側にあるものを想像して、テオは気分が悪くなる。
「私のこと、怖いですか?」
「……あぁ、そうだ」
テオは布団を腕で抱きかかえるようにして、そのまま体を少し前に屈めた。
「お前やカイトと過ごしてきた時間が、あの衝撃で空虚なものに変わってしまった。僕とお前の間にあった情感は、全て偽りのものだった。これが恐怖でなくて、いったい何だ?」
長い言葉だったが、そこに言い淀みは無かった。一晩中このことを考え続けていたせいで、今の自分を言い表す言葉選びには苦労しなかった。
「……それでも私は、あなたと対等な存在でありたいです。私のことを、ちゃんと一人の人間として見て欲しい……。以前のあなたに、戻ってきて欲しいんです」
ヴィルは胸の内を曝け出した。拒絶の刃を振るわれれば、そこに深い傷跡が残ることを覚悟の上で。その顔を見て、テオもその思いに気付いた。自分が夢と部屋に籠っているあいだ、彼女は臍を固めて、自らこの扉を開きに来ている。その劣等感に苛まれた。
「紛い物ではいけませんか。あなたにとって、本物とはどういうものですか。私はどうすれば、あなたにとっての本物になれますか」
テオは声を少し荒げる。
「人間とは心を持ち、肉で出来た体を、その血と電撃で動かすものだ。機械の体を、計算で動かすお前とは違う。本物になるだって? そんなこと出来やしない!」
ヴィルも、引かずに応じた。
「構成要素と駆動方式が境目を決めるのですか? サイボーグは人ではないと?」
論駁を受けて、テオは黙った。一理ある、と思ってしまったのだ。義肢を付ける人も人工臓器を付ける人も、それは人間で、機械ではない。
「……構成要素は問題じゃない。重要なのは脳だ。機械のお前には脳がないだろ」
「いいえ。私には人間の脳神経構造と完全に互換性のある演算装置が搭載されています。材質こそ違えど、仕組みも、機能も、人のそれと何ら変わりありません。義肢と同じです」
少なくとも論理的思考やコミュニケーションという点において、その機能に問題が無いということは、これまで彼が彼女らの正体に気付かなかった点から、明らかな事実だった。そして構成要素が問題でないことは、先程テオも認めていた。
反論の余地が徐々に食いつぶされてゆく感覚がして、理性と感情が火花を散らした。肉体にも脳にも人たる絶対性が無いなら、テオが武器にできる論拠は残されていないような気がした。
「……意識はどうだ。お前には意識があるのか?」
「これまで、私たちが戦場でどう会話してきたのかお忘れですか?」
「……そうだな」
テオの頭に浮かぶ論拠は、残すところ一つとなった。
「だがお前には、心がない」
「心とは何ですか? 人間のあなたは、それが何か知っているのですか?」
テオは何秒ものあいだ沈黙したが、思い浮かんだ言葉は何もなかった。会話の接ぎ穂は途切れ、そこに彼女が人間と本質的にどう違うのか白黒つけられなかったテオの不合理が浮き彫りにされた。
続くヴィルの言葉が、テオには糾弾に聞こえる。
「分からないのなら、どうして私を、怖いだなんて言うんですか」
「……分からないから、僕は怖いんだ」
「だったら――」
ヴィルはテオの元へ駆け寄り、彼の両肩を手で強く握った。
「――私から、目を逸らさないでください! 私を拒絶しないで、ちゃんと理解しようとして下さい! じゃないと貴方は、一生わたしを恐れたままじゃありませんか!」
小刻みに震える指と、気付けば今にも泣きだしそうな表情が、テオの罪悪感を強烈に煽った。遅れて、彼の理性がそこに
彼の胸は切なくなった。こんなにも真に迫る表情で訴えかけてくる彼女が偽物なら、もはやその疑いは自分にも向けられるような気がした。人と機械の違いなど、論じるまでもなく明確なものだと思っていたが、いざこうして話す機会があると、それが幻想であることに気付かされた。何が正しいのか、もはや分からなかった。
ただ、目を逸らすなという言葉だけは、真実だと思った。
「……お前の言う通りだな」
「分かって貰えましたか?」
テオは頷いた。ここで彼女を引き離して目を瞑っても、事態が前に進むことはない。不気味の谷を乗り越えるなら、考え、感じ、その頂上から、全てを見渡さねばならなかった。〆切は、カイトが目を覚ますまでだ。鍵となるのは、
「ただ結局のところ、僕は何をすればいいんだろう?」
「……えぇっと、そうですね」
問題は、そこから先の具体的な事だった。目的地は分かったが、経路が分からない。ヴィルもそこまでは考えていなかったので、二人して微妙な沈黙を味わう。だが不意に、部屋のドアが音を立てて勢いよく開いた。そして、メガホンでも仕込んでいそうな声量と共に、昂揚したアルカが諸手をあげて飛び込んできた。
「ビぃぃいッグニュぅぅぅうーーーーーーース!」
「ひゃぁッ!?」
「あ、ゴメン! ハニトラ中だった?」「へっ?」
ヴィルは己の置かれた状況を俯瞰した。しどけないパジャマ姿で彼の部屋に押し入り、目尻に涙を浮かべた昂揚した面持ちで――どこか袖に縋るように、彼の両肩を引き寄せている自分の様を。そして同時に、亜音速で両手を離した。
「ち、ちちちち違います! これは決して、そういうのでは――」
「あっははははは! 冗談よ、アンタら二人が死ぬほど奥手なのは分かってるから。まぁ、二人いるなら丁度いいわ。あのね! 実はビッグニュースがあるの!」
「それはさっきも聞いた」
ヴィルと同じで、彼女もパジャマ姿のままだった。加えて寝癖も放ったらかしで、殆ど起き抜けにここへ来たようだった。
「えっとね、何と、レガリウムに24時間の滞在許可が下りました! いぇーい!」
「何だそれ」
「え、知らないの? ヴィルは知ってるわよね?」
「すいません、私も、何が何だか……」
アルカは愁眉を寄せて「はぁ?」と呟き、肩透かしされた心境を全面に押し出した。
「何で誰も知らないのよ! 興奮を分かち合える相手が居ないじゃない! アンタたち、レキのこと何にも分かってないのね」
「悪かったな。それで何なんだ、そのプラネタリウムみたいな奴は」
「レガリウム。この世で一番アツい
アルカが扉の向こうへ消えて、騒々しい足音で一階へ下っていくのを、二人は言葉を失いながら見送った。
「……相変わらず嵐みたいなやつだな」
「そうですね……」
「それで、戻ってくるまでに僕らが準備し終えてなかったら、多分怒るんだよな」
「間違いなく、そうなりますね」
テオは自ずと腰を上げ、大きく伸びをして寝起きの体を解した。着替えようと部屋の隅にあるタンスを開けると、ヴィルが慌てて、出口に向かって踵を返した。
直後、また部屋のドアが開いた。
「準備できたわ!」「ふぎゅッ!」
白パーカーと黒デニムに着替え、荷物の入ったナップサックを肩に担いだアルカが廊下に立っていた。そして変わらぬ服装の二人を見て、驚愕に染まった顔をした。
「あによまだ3センチしか動いてないじゃない! スクランブルって言ったでしょ!? 軍人失格! ほら動く動く!」
「僕は空軍じゃない」
「うるさい! 口答えする暇があるなら、さっさと着替える!」
「なら出てってくれないか」
「仰る通りね! さあヴィル、行くわよ!」「えっ? あっ、はいぃ……」
嵐はヴィルを吸い込んで、ともに部屋から姿を消した。テオが大きなため息をつく。まだ昼前だが、既に今日起こりうる中で、最も濃厚な時間を過ごしたような気分だった。
「……あれだけキツイこと言っといて、何も言い返せないなんてな。人間様とやらがこの有様じゃ、あいつのことなんか、とやかく言えた義理じゃないか……」
ふと、途中で終わった彼女との話が思い出されて、思わずそう呟いた。結局、彼女との会話で明らかになったのは、自分の曖昧な人間信仰と自己矛盾だった。それが彼女によって暴かれた時、テオは確かに、怒りを覚えた。
「これじゃ、上手くいかないことに苛立つガキと大差ないな」
過ちだったと認めて、いつか謝ろうと心に決める。しかしこの課題を解けていない今はまだ、そうする資格がないとも思う。
「おそい!」
ドアの向こうで声がした。また随分早いことだと思いつつ、テオは必要最低限のものを放り込んだザックを背負って廊下に出た。洗面所に行く、と先んじて伝えると、アルカは不満そうにした。本当に急いているのだなと、テオは彼女にその詳細を問うた。
「……旅行って言ったよな。こんな世界で、何処に行こうっていうんだ?」
アルカは、胸に抱いた期待と高揚をその全面に押し出しながら、言った。
「――
⁂
博士の研究所に向かう廊下の最奥には、レキの全設備を繋ぐパイプ・エレベータがある。入り口は意識認証で閉ざされており、許可された意識の形を持つ人間しか利用できない。テオとヴィルにその権限はないので、代わりにアルカがリンクデバイスを同期させ、解錠する。
「……意識認証ですか。厳重ですね」
ヴィルが呟いた。紺色のニットに白の巻きスカートの冬装いである。
「同じ意識を持つ人間はいないからね。システム側から不正侵入するのは無理じゃないかしら。物理破壊すればどうなるのかは知らないけど」
三人を乗せたエレベータが動き出したことを、三人は慣性の変化で感じ取る。中は完全な円筒の空間であり、操作パネルはない。動作も無音であるため、動きを感知できる要素は、
「勝手に動いてるけど、行き先はもう決まってるのか?」
「えぇ、心配しないで」
それより、とアルカは新たに意識帯を構築してテオ達を招待し、そこに一つのデータファイルを共有した。<Con>という拡張子の、デジタル=意識間通信に用いられる特殊形式で、中には知識、概念といった情報が入っている。これを脳に読み込むと、文字や図表を読む過程を全てすっ飛ばして、内容理解という結果だけを得ることができる。
インストールを許可すると、テオは頭の中のキャンバスに、誰かが高速で絵を描画していくような感覚を覚えた。ファイルの
「……クセになりそうだな、これ」
「数学の問題が解けた時みたいよね、これ。やりすぎると疲れちゃうけど」
「あぁ、わかる。そんな感じだ」
話しながら、テオは脳内に書き込まれた内容を反芻した。中身は概ね、レガリウムを訪れる際の禁則事項や設立目的が記載されたガイドブックのようなものだ。物を壊すな、調和を乱すな。そういうどこにでもあるお約束。
「一応、博士からのお達しって事で、これを知らなきゃいけないの。理解できた?」
テオは首を捻った。
「理解はしたけど、なんだか実感が湧かないな。経験がないせいで、なんというか知識が独立して……浮ついた感じがする」
「百聞は一見に如かず、って日本では言うんだっけ? 同意するわ。ま、つまり行けばよく分かるってことよ」
次第にパイプ・エレベータの中に最初とは逆向きの慣性が生まれ、ややあって静止した。ドアが開くと、その先には木の床が続く廊下があり、奥からは人の声が聞こえてきた。
「……なんだ?」
テオは困惑しながら前に進んだ。通路を抜け、ドアを開けると、とつぜんレトロシックな木造家屋に出た。名も知らぬ絵画や振り子時計の掛かった木目調の壁、アンティーク調の意匠が凝らされた家具や照明器具といった西洋の内装。振り返って、エレベータから続く白無地の廊下とこの部屋を見比べてみると、何かの手違いでドアが異世界と繋がってしまったような非対称であった。
さらに奥へと進むと数組の客が、カウンターらしきところで応対されている様が見える。アタシたちも行くわよ、とアルカがテオを追い抜いて列に並んだ。番が来たところで彼女が名前を伝えると、店員は奥の控えに向けて何かを言った。リンクデバイスの翻訳によると、イタリア語で「お前の客が来たぞ!」という意味のようだった。
現れたのは、濡羽色のポニーテールをした女である。
「おっ、来たな、
快活なトーン。陽気な笑顔でカウンターを出て三人の前に参じると、順に握手を交わして自己紹介する。
「初めまして、お三方。私はアオ・アルバーニ。気軽にアオと呼んでくれていい。博士から、君達のガイドをするように依頼された。今日は一日、よろしく頼む」
それじゃぁ早速、と三人の先頭に立つと、彼女はエントランスを開いた。そこには水に浮かぶレンガ造りの家が立ち並び、木造のゴンドラが水路を行き交っていた。
「我らがアドリア海の女王、ベネチアへようこそ」
彼女の背中から吹き込んだ冷たい風は、潮の香りがした。
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