第11話

                   ⁂


                               <<:数分前:>>


<――指定形状プライムプロテガ!>

 上空から飛来物の脅威を目にした直後、アルカは槍を変形させ、自身の前面に半球状の盾を展開した。

「キャっ――」

 爆風から本能的に目を背けると、五臓六腑が浮き上がりそうなほどの衝撃と、飛来物が装甲と衝突して激しい火花を散らす。耳朶を打たれながら、嵐が収まるのを待つ。ピークを過ぎた頃合いを見計らって瞼を開き、形状を槍へ還元。亜音速の物体と衝突を繰り広げたものの、損壊は軽微だ。アルカ自身も無傷である。

「……今だけは、この力をくれたヴィシュに感謝ね。それと、博士にも」

 彼女の能力アクトは磁場生成。詳細には、五感の何れかで感知できる空間上に、認識可能な任意の形状を持つ磁場を生成することだ。先程から変形を繰り返している黒い物体は、鉄粘土アイアンクレイと呼ばれる強磁性の半固体で、形成された磁場に合わせて変形/移動する。盾、剣、槍、鎧、あらゆる形状変化に対応でき、磁束密度をトリガとして液体=個体間の相変化も操作可能な、攻守自在のガジェットである。

「――にしても、いったい何が降って来たっていうの?」

 衝撃で舞いあがった粉塵と粉雪の数が減るにつれ、次第に周辺の状況が明るみになる。爆轟の規模は予想していたより小規模であり、林も吹き飛ばされただけで、燃えている様子は皆無。落下物は火薬を積んだミサイルではなく、別の意図をもって投下された、攻撃以外の機能を持つ質量体である可能性が高い――単純にミサイルを撃ち込まれるより、よほど気味の悪い話だ。

 悪い予感は的中して、リンクデバイスが不明物質ホロンの接近を警告した。アルカは宙に浮く槍を板状に変えて飛び乗り、接触を回避する。恐る恐る地面を覗き込むと、銀幕は微弱な傾斜を遡上・・していた。まるで自らの意志と、それを叶える何らかの推進力を持っているかのように。

「……うわ、何よこれ」

 好奇心から、微量のアイアンクレイを分離させて滴定してみる。するとそれは瞬く間に火花と煙を上げ、跡形もなく消失した。熱したフライパンに水滴を落とした時とよく似ている。

 とまれ、これに触れるべきではない――そう思い至って漸く、アルカは仲間のことを思いだした。

<みんな無事!? 足元に気を付けて! 銀色の液体に触れちゃダメ!>

<……此方ヴィル、了解。爆風で飛ばされましたが負傷ありません。ジェットパック推進で滞空状態を維持します>

<…………他はァ!? テオ! カイト! 返事しなさい!>

 直後、アルカは共通意識帯からテオが抜け落ちていることに気が付いた。

<そういえば、アイツ弾は防げるけど爆風は防げない……みたいなこと、言ってたわね。けどカイトは何なのよ! アイツの顔、一度も見てない!>

<私、テオを探してきます>

<いいわ、アンタはカイトを探しなさい。テオの近くには母子も居る。運送性能、アタシの方がアンタより上!>

<……ッ、頼みますよ……!>

 ヴィルが行動開始したのを感じ取って、アルカも動く。まずは爆心地に向かった。そこから高度を上げて辺りを見渡す算段であったが、実際にたどり着くと、そこにはテオを抱え上げ、ホロンの海に沈みゆくカイトの姿があった。

 彼女は彼の取った行動の意図を理解した。鉄粘土アイアンクレイがその顔に影を落とすと、気付いた彼から、未来を託された。

「――悪いな、アルカ。後を頼むよ」

「……そう。覚悟決めたのね」


                   ⁂


 体の軸が大きく傾いたことを切っ掛けに、テオは意識を覚醒させた。眼前には満天の星が広がり、寝転ぶ背中の感触は硬く、神妙な面持ちをしたアルカの姿が近くにある。

「……状況は? 何が起きた……?」

 上半身を起こしながら、記憶を探る。二人を助け、木の麓で寝かせたあと、何かものすごい音と爆風がして――以降は記憶がない。

「僕は、なんで助かったんだ」

 アルカは、地面に向かって指をさした。体を其方に捩じろうとして、いま自分のいるところが地面ではなく、鉄粘土アイアンクレイの上であることに気が付いた。

 月明りに照らされたそれが影を落とすところには、カイトの姿があった。

「よう、起きたか」

 漂流者の様に、ホロンから上半身を浮かび上がらせた瞳が笑顔をうかべたとき、テオは横隔膜が引き攣って息が出来なくなるのを感じた。

「泳ぐには、ちっとばかし寒すぎたなぁ」

 肺腑にまで侵食が進み、深く息を吸う事さえ難しそうな体から出た声はか細いが、けれど鋭利に、静寂を切り裂いた。テオの視線が鉛色の骨とショートする傷口に向いて、彼は反射的に、鉄粘土の上から体を退けようとした。

「ちょっ――待ちなさい、テオ!」

「何やってんだよ、お前!!」

「くだらないこと聞くんじゃねぇよ。当たり前のこと……お前も、そう言っただろ」

 アルカの制止を意に介さず、カイトのもとへ飛び降りた。保護膜が展開され、その体に触れる前にホロンを消滅させるが、その度に際限なく新しい波が押し寄せてくるせいで、刻一刻と負荷が掛かり、脳が重くなる。カイトの元へ踏み出す一歩一歩が、油槽の中を歩いているかのように重い。

 カイトの絞り出すような声がする。

「よせ、お前までダメになっちまうぞ……早く、戻れ」

「馬鹿言うな。僕の力ならお前を救える。この液体が何かは分からないけど、金属には違いない。お前の体から、金属だけ取り除いてやればいい!」

 ほら立て、とカイトの腕を握る掌の中で、しかしそれは、テオになんの感触も返さなかった。空回りした掌を開くと、劣化した金属の黒い粉が残っていた。

「……それ以上、こっちに来るな」

 破壊された腕の断面に、筋繊維の束に似た配線と、骨に似た鈍色のフレームを見た。黄色く熱い鮮血のような液体が噴き出し、徐々にその勢いを弱める。

 おそらくは無残に破壊された肉体を見るよりも強い不快感が、テオを襲った。膝が抜けてへたり込むと、視線が下がって、より見たくないものが見えた。浮き出でる、血肉と骨によく似た鈍色の肋骨が、喘ぐように軋みながら息を吸い込もうとする様だった。

「――ぁ、」

 四肢が震え、乾いた喉がへばり付いて、なにも言葉を結ぼうとしないまま硬直した。諦観と悲哀の複雑に混じった泣き笑いはその半分が金属の髑髏で、テオの心にどす黒い深遠を刻み込んだ。瞼が消え、露になった片方の眼球は、カイトが目尻に涙を浮かばせると同時に白目をむいた。思わず声が出そうになった。片側は見慣れた親友で、もう片方は人の偽物。その不均衡は堪え難い不気味さと怖気を生み出した。

「――なぁテオ。HHHエイチスリーって、知ってるか」

 おびえた子供みたいに首を振った。彼が喉から放つ音は、ホロンがせっせと彼を破壊する音が混じって、ひどくノイジーだった。

「History Holding Humanoid……歴史を保持する人型の機械、って感じだ。まぁ、俺の場合はタイプGだからHistoryじゃなくてHumanityなんだけど……」

 それが彼の口から語られることの意味を察せぬほど、テオは馬鹿ではなかった。

「要するに、俺は……その、純粋には人間じゃなくて……だな。あ、いや、そんな、驚かないでくれよ……別に今まで気付かなかったろ……?」

「それ以上言うな。僕は今日、何も見なかった。それでいいだろ」

「なら、そんな顔するなよ。怖いんだろ、俺のことが。もう忘れられねぇんだろ」

「してない。怖くなんかない。お前は、僕の友達だろ。怖いはずないだろ……」

 長い言葉をしゃべっていると、息が短くて息継ぎが必要だった。奥歯は震えてカチカチ鳴り、その眼の奥は怯えていた。これまで積み重ねてきた思い出と時間が、その根本から瓦解し、全く本質の異なるものへ変態しようとしていた。テオの理性は、感情とは真逆の認識へ舵を切って、カイトを完全に人でないものとして認識した。

「……そんな顔しないでくれよ。これが俺の任務なんだ」

 そしてカイトは、おそらくは悲しい顔をした。

「任務って、何だよ」

「お前と同じ、内偵みたいなもんだ。この液体……ホロンって奴が何なのか調べるために、俺の中央処理装置……平たく言えば、脳味噌が役に立つ。詳しくは博士が話すだろう……。なぁ、仕事が終わったら、今度はお前が迎えに来てくれよ。新しい体に脳のバックアップを放り込んで、俺はまた戻ってくるからさ。そん時はまた、前みたいに、笑ってくれよ」

 テオはそれが、無理な気がした。

「……どうしろってんだよ。僕にどうしろってんだ」

「友達だって、言ってくれただろ。あの言葉を嘘にしないでくれ。――ほら、そんな顔するな。笑えよ……。なぁ、笑えって。……お願いだからさ……! 何泣いてんだ、馬鹿野郎ッ……!」

 カイトはテオに触れようとした。朽ちた梢のような手先だった。それが保護膜によって黒煙となって消え去ると同時に、彼の全てが、ホロンに消えた。食後の赤子がげっぷをするように、液面がぽこんと泡を吹くと、それきりノイズはしなくなって、痛い静寂が訪れた。

「――ぅぅあ、ああああああ……」

 テオが彼の消えた場所に両手をついて、涙と喃語を零す。

<<:異常な脳負荷の累積を検知 2秒後、能力アクト使用限界に到達:>>

 度重なる能力アクトの酷使で意識を失いかけたテオが倒れ込む寸前、アルカがその首根っこを右手で掴み、ホロンの海から引っこ抜いた。

<来なさい、テオ。アンタにも知らなきゃいけない事ができたわ>

 残り僅かな意識の中で、背後で唸るエンジンの音を聞いた。ハッチを開けて待機する輸送機の影。そこには助けた母子と、ヴィルの姿が既にあった。

 鉄粘土に載せられたまま、テオはハッチに飲み込まれる。自動操縦の輸送機がすぐさま危険域を離脱すべく、垂直移動を開始する。閉じ行くハッチが最後の光を閉ざした後、アルカは彼にこう言い放つ。

「博士のところに行きましょう。レキのなにもかも、始めたのはあいつだから」

 力なく座り込み、加速度に押されるテオの身体を、アルカが支える。


 後部座席でその様子を見ながら、ヴィルは、何もできない。

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