第7話


「どうでしょう、これ」

 鏡の前でハンガー付きの服を翳すヴィルの視線が、鏡を反射してテオをとらえる。家から電車で小一時間、複合型ショッピングセンターのレディースファッションフロアに放り込まれた彼は、すこし肩身の狭い思いで、そこに映る彼女を見つめた。

 ライムグリーンのブラウスだ。薄く柔らかい生地で、ふわりと首元まで盛り上がった襟に、ゆるい袖口。腰まで来ている長めの裾からは藍色のロングスカートが伸びている。どちらも緩い雰囲気で、春の穏やかな陽気と位相が揃っているが、テオはそういうものにとことん疎かった。

「なんというか、布が多そうな感じだな」

「……もしかして連れてきた意味がなかったりしますか?」

「あ、あぁ、女の子の服って感じもするぞ」

「レディースですからねぇ」

 空振りか、とヴィルは苦笑しながら陰でため息をついた。

「ねぇ、テオはどういう服が好きなんですか?」

「僕は仕事着以外ならジャージが殆どだ。服は正直、よく分からない。着られればそれで」

 するとヴィルはふむと一息おいて、問いを切り替えた。

「では、どういうのが私に似合うか、二者一択で答えてください」

「それなら何とか」

 ヴィルはおもむろに目の前のハンガーラックから一着抜き出すと、振り向いて背後のもう一着も取り、両手でテオに掲げて見せた。右手はビビッドトーンで厚手の生地に、ポップなロゴが貼られたパーカー。左手は薄橙の上品なカシュクールニット。テオが直感で左側を選ぶと、即座にそれがカゴへ放り込まれた。

 次いで、右手に紺色のスキニ―デニム、左手に藍色のレースフレアスカート。テオは暫しのあいだ頭を捻った。前者はぴっちりと引き締まった脚のラインがクールで、後者は可憐だ。真逆の印象だが両方とも似合っていて、甲乙付け難い感じがした。

「これはどっちでも……というか、基本的になんでも似合う気がするんだよな」

「藪から棒に」

「だってスタイルいいし綺麗だしさ。けばけばしい奴じゃないなら正直……」

「わ、わかりました。お世辞は結構ですから」

 ヴィルは忙しなく手を振り回し、仕草で言葉の続きを阻んだ。ぶつぶつ呟きながらそっぽを向いてしばらく進み、積まれていたカゴを手に取ると、それから彼女はテオが頷いた三着を躊躇なくカゴへ放り込んだ。

「なぁ、これとかもどうだ? 似合うと思うんだけど――」

 テオが初めて自分からアイデアを出したので、ヴィルは飛びつくようにそれを見た。白い生地に翠色すいしよくのスカートと襟のついた、春夏合い物のワンピース。やや可愛いいが過ぎるきらいはあるが、着るタイミングを選べば許容はできる。デザインも悪くない。何より、それをテオが選んできたことが、彼女に購買を決意させた。

「わかりました。それも是非」

 その後、どれも値札を見ずに買ったせいで、ヴィルはレジで目玉が飛び出そうになるのを必死で堪える羽目になった。


                   ⁂


 それから二人は昼食を取り、ウィンドウショッピングを楽しみ、最後の工程であるスーパーマーケットへ流れついた。ヴィルが残り三日の炊事当番分とその他諸々の日用品を纏めて買い込んでいくのを、テオがカートで追従していく。

 野菜売り場の前に来ると、ヴィルは両手にカボチャを持って重さ比べしたり、トマトやナスのヘタの反り具合を見比べたりして、ずいぶん長い時間を選り好みに使った。その様子が不思議で、テオは訊ねる。

「いつもやってるのか? それ。そんなに大差ないと思うけど……」

「稀に状態が悪いものもありますから。重さ比べは気休めですけど……」

 厳正な審査を経て、籠にトマトと黄色いパプリカが放り込まれた。他の三人の作る料理に比べて、彼女が使う緑黄色野菜の量は圧倒的である。野菜嫌いなアルカは毎度それに文句を言っているが、ヴィルが聞き入れた試しはいちどもなかった。

「また誰かが文句を言うぞ」

「アルカは偏食すぎます。お酒ばっかり飲んで、肉とお菓子ばっかり食べて……あんなのじゃ、すぐに体にガタが来ますよ。せめて私が料理する時くらい、野菜を食べさせないと……」

「その割にはなんだかんだ太らないよなぁ、あいつ。どんな体してるんだか」

「さぁ……。肌とか荒れててもおかしくないのに、変ですよね」

 不意にテオがそう漏らしたのを耳にすると、彼女は俯きがちにお腹へ手を触れ、小声でホントなんでなんだろう、と愚痴った。それを聞いて、テオはなんとなく彼女がアルカの要望に耳を塞ぐ理由を理解できた気がした。

「あんまり気にする事でもないと思うけど」

「へっ? あぁいや、お、お気になさらず!」

 ヴィルは大急ぎでそっぽを向いて、逃げるように生鮮食品のコーナーへ消えた。

 カートの中を荒さぬように気を配りながら追いかけていくと、見つけたその後ろ姿へ、誰かが小走りに近づいてゆくのが見えた。両手に大量の酒類とスナック菓子を抱えた、赤髪の女。そんな奴はたぶんレキに一人だった。

「ヴィル~! 今日の晩御飯なに~?」

「はい? あ、アルカ!? あなた、今までどこほっつき歩いて……しかも、よりにもよってこんな時に――」

「……え、ナニ、怒ってる? アタシなんかした?」

 ちょうどそのタイミングで、カート係のテオが二人の所へ追いついた。その瞬間、アルカは全てを察したように「あ~……」と宙を見つめて、カゴに酒と菓子を突っ込んだあと、静かにその場を去ろうとする。しかしヴィルがそれを呼び止めた。

「晩御飯のメニュー、聞きたいんですよね? 今日と明日と明後日の晩御飯は、全部あなたの好きな野菜ヴイーガン料理ですよ」

 菩薩のような微笑みで、彼女は言った。

「待ってそれだけは勘弁して。ホントにごめん。ごめんなさい。マジで謝るから」

 アルカは泣きそうな顔で袖に縋ったが、ヴィルの微笑みは巌のように揺るがなかった。


                   ⁂


 帰宅して、下処理した食材を冷蔵庫に放り込んだり、服のタグを外すなどしてひと段落付けたあと、風呂の順番がヴィルへ回ってきた。

 髪を洗い、リンスをかけようとしてポンプを押した手が空を切る。替えはないかと思うものの、ちょうど買い忘れていた事に気づいて小さく落胆する。仕方なく容器に湯を注いで、貧乏臭く急をしのぐ。

 なんとなく晴れない気分で鏡に映った自分を見ながら、昼間のことを思い浮かべた。服を選んでもらったとき、何でも似合うと褒められ、買い物をしていたら、家庭的と言われた。思い出すと嬉しくなって、つい顔が綻んだ。

 髪に塗ったリンスを洗い流しながら、髪は長い方が良いのか、短い方が良いのかを気にする。体をスポンジで洗いながら、もう少し痩せるべきかどうか悩む。泡のついた腕で多少自信のある胸を寄せて、彼の反応を想像する――それは流石に恥ずかしかったので、すぐに止めた。

 一体いつから自分がそうなったのか、考えてみても今一つ分からなかった。

 テオがレキへやって来たのは、昨日と似た経緯だった。トロールだった彼を含む集落へ三人で救出に出向き、兵士としてのスキルを買われて、一年前からこの部隊いえに来た。それを機に色々と話すようになって、映画を見たり、本の話をしたり、一緒に家事をしたり、仕事をしたり――そのうち、気心知れた仲になった。異性の友人だと思っていたが、彼がヴィシュへ行ってしまった一ヶ月、胸の中はいつもどこかが虚ろだった。

 ――また、二人で遊びに行けたらいいな。

 その思いが友情でないことは、既に知っていた。しかし意識するのは怖かったので、心の奥底へ封じておいた。この想いは、押さえなければ止め処なく溢れ出る。その洪水が受け止められず、この日常が破壊されてしまうのは、恐ろしかった。

 それでも今日のように思わせ振りな事をして、何とか気付いてもらおうとする自分もいた。均衡はいつも危うかった。日に日に強くなっていく思い募りが、この身を焦がすかのようだった。


                   ⁂


「……来たか」

 モニタを前に椅子を半回転し、博士は向き直った先に地球儀のホログラムを出す。極秘裏に打ち上げられたステルス衛星群からデータで構築された地表のライブデータ。まだレキへ回収されていないトロールの所在を表す青いピンがまばらに打たれており、そのうちの一つに、地表を巡回するマギアスの赤いピンが接近しつつあった。

 マギアスは地表を一掃したあと、機体の増産をやめている。ヴィシュへ攻め込む素振りも見せていない。博士の見解では、奴らは最終決戦の準備へリソースを振り分けており、地上の警戒は既存の機体に任せている。

 その一部の巡回ルートとトロールの拠点が、このまま行くと、運悪くカチ合う。機体は人と文明を破壊するようにプログラムされている。ガタが来るまで永久に地上を歩き回っては、それらを見つけ次第粉砕するのが彼らの役目。ロクな武器もないトロールが出会えば、どう足掻いても命はない。

 ――故に、それを救うのはレキの仕事だ。

 今現在、接近中の機体は一機。レキの現在地から南南西に4500㎞弱の地点。接近機体は3機で、距離はどれも概ね45km。遭遇まで1時間半といったところ。


 博士は意識帯を構築し、四人を呼び集めて、端的に伝えた。

<――緊急出動スクランブルだ>

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