第5話
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その後。ヴィルは店の厚意で休憩室に入っていたが、その横で会を続けるのも忍びなくなり、一行は配られた料理を平らげたところでしめやかに会計の流れとなった。それからアルカはボトルを抱えて蒸発したので、テオとカイトが何とかヴィルを家に運び、彼女の自室へ寝かせた。
家――というのは、このリビングを共用スペースとし、一階にヴィルとアルカの女性陣、二階にテオとカイトの男性陣が住む、博士提供のシェアハウスのことだ。
彼ら四人は博士の
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画面に一際派手なエフェクトが走り、KOの文字が打ち出されると、それと呼応するようにカイトの体がソファからずり落ち、「ぬぁ」と情けない言霊が天井へ放たれた。ヴィルの介抱を終えてリビングに戻ったきり、二人が問答無用で始めた
「10:1て。な~んで俺ァ一か月ブランクのある奴に勝てねぇんだ? お前指何本あんの? もっぺんよく数えてくんない?」
「10本だな。4本ぐらい減らして勝負してやろうか?」
「いや……それで負けたら俺立ち直れない。……ぬぁああ、結構コンボとか練習したんだぞ、俺。お前が居ない間にせっせと……。あ~あ、辞めだ辞め。馬鹿らしくなってきた。お前もこんな雑魚相手じゃつまらんだろ、な?」
「いや、全然。準備運動に丁度よかったんだけど」
「俺の本気を準備運動にするなよ」
カイトはゲーム機の電源を切り、TVを地上波へ切り替えた。偶然ついたチャンネルが古いアクション映画をやっていたのでそのままにする。弾帯を袈裟懸けにした半裸の益荒男が、機関銃を構えて一騎当千を演じる場面だ。
「馬鹿そうな映画だ」
「夜中に小難しいのなんて見たら眠っちまうよ。映画なんてこんなもんで良いんだ。折角だしどうだ、二人で」
カイトが指でグラスを傾ける仕草をして、テオも頷いた。
「いいな。実はまだ、ちょっと物足りなくて」
「よし来た。ちょっと待ってろ」
カイトはキッチンに向かって、三割ほど残った洋酒の瓶や炭酸水やロックアイス、ショットグラスにチョコにピスタチオと、晩酌ご用達のセットをトレーに乗せて持ってきた。
「注いでやる」「どうも」
ひたひたになったグラスで控えめに乾杯。それから二人して景気よく飲み干す。途端、テオは驚きに目を丸くした。醸成された穀物の独特な甘い香りと、その奥に隠れた酒樽のヴィンテージな残り香が混ざって、すぐには味の奥底に辿り着けないほどの深みがある。飲み込んだ後も、風味がアルコールの上昇気流に乗って胃の中から口腔を満たし、鼻息とともに抜けていくまで残る。そのくせ口当たりはまろやかで、アルコールも角が取れているものだから、気を抜くと幾らでも飲んでしまいそうになる。危険な酒だ、とテオは直感した。
「古いやつなのか? これ。ずいぶん飲みやすいな」
問われて、カイトは瓶のラベルを見眇めた。
「……アネホ、って種類らしい。名前は何語か分からんが、どうせ気取った言葉だ。テキーラなのか。数年単位で、普通よりも長いこと熟成させてあるんだってよ。お前の言う通り、古いやつみたいだ。酒ってのは寝かせると飲みやすくなるのか」
「テキーラに関してはそうらしい。母さんがそう言ってた」
「お前の母ちゃん、子供に何教えてんだ?」
テオは調子よく瓶を傾け、今度はソーダで割って飲む。芳醇な香りが少し薄まる代わりに、炭酸も相まって実に爽やかな味わいとなって、これはこれで菓子うけがいい。だが美味い美味いと調子よく4~5杯空にしていると、急に視界がぐらりと歪んで、慌てて飲む手を緩める。
「美味いのは良いけど……なぁ、これ、度数いくらだ?」
カイトはふたたび瓶のラベルに向けて眉をひそめた。
「50度だってよ」「先に言ってくれ……」
テオはショットグラスを片付けて普通のグラスを持ってくると、それから炭酸水で十倍に薄めてチビチビ飲むことにした。
「うかうかヴィルの事を言ってられなくなるところだった」
「一口で昏倒なんて初めて見た。ホントに俺の
ヴィルは
「とりあえず、悪い男に引っ掛けられて、酔わされないことを祈るよ」
「お前がそばにいてやれよ。あいつ喜ぶぞ」
「別に僕じゃなくてもいいだろ。兄貴の方が気心知れてて良いんじゃないか?」
テオは何の気なしに言った。それを聞いたカイトは天を仰いだ。
「は~、あ、そう。つまんねぇ奴だなお前。そんなんだからモテねぇ」
「なんだ藪から棒に」
「まぁいいや。別に俺関係ないし。苦労してるアイツ思い浮かべながら飲む酒は美味いし……」
テオはきょとんとした表情を浮かべながら、彼がグラスを傾ける様を見ていた。かれこれ5杯目のショットグラスが空になる。さっきからずっとストレートなので、テオは少し心配になった。
「……あ~、回ってきた。明日大丈夫かな……まぁいいや。そういや、
テオはかぶりを振った。
「あんなは所もうごめんだ。閉塞的だし、規則は多いし、娯楽はないし。生きてる意味ないよ。みんな滅んでみんなレキに来ればいいのに」
「別に、レキが
「なんだ、それ。例えばどんなことだ?」
いずれわかる、とカイトは韜晦するように六杯目のグラスを呷った。「なんだよ」とテオは謎を投げっぱなしで回収しない彼へ不満をぶつけるが、カイトは無視して話題を移した。
「お前、向こうに友達は居たのか?」
「……友達はみんなヴィシュに行く前に死んだよ」
「なんというか、その……すまん」
「いいよ別に。そう思うなら、お前はくれぐれも死なないでくれ」
するとカイトは急に真剣な面持ちになって、テオへ問いかけた。
「俺がやられそうになった時、お前は命張って助けてくれるか」
テオは突拍子もない話題に困惑しながらも、頷いた。
「そんなくだらないこと今更聞くな。当たり前だ。助けてやる」
カイトは空のグラスをテーブルに置いて、深く息を吐くと、ひとり微苦笑した。
「そうか、そりゃ結構。なんだお前、俺の事大好きか?」
「嫌いな奴と飲む趣味はない」
「あぁそうかよ。……わかった、よく分かったよ」
今日はもう打ち止めだ、とカイトは有無を言わさぬ手さばきで机の上のものを片した。壁の高くに設置された時計が、自然とテオの視界に映り込んだ。既に深夜の二時である。気付けば映画も終わっていて、内容は意外にも悲劇だったらしい。
「美味い酒をありがとう。こういうの、またいつかやろう」
キッチンにいる彼のもとへそう言うと、少し不自然な間をおいて返事があった。
「――あぁ。次は、お前から誘ってくれ」
カイトがは二階の自室へ上がってゆくのを、テオは首を傾げながら見送る。何か妙な予感がしたが、不意に出た欠伸が、その先の想像を閉ざしてしまった。テオはそれからシャワーを浴びて、自室の布団に潜った。腕立て伏せのことを思い出す間もなく、水へ放り込まれた鉄球のように眠りへ落ちた。
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